れきしどころ真理庵

江戸時代の江戸を中心に、医学史・蘭学史を調べています。日々の暮らしを歴史からみた写真日記。

続「赤い靴の少女」きみちゃんの人生

2006-10-31 07:40:37 | 歴史散策

9月22日にきみちゃんについて書かせて頂きましたが、
その後、きみちゃんにまつわることを
U氏より新聞記事2箇所からお知らせ頂きましたので、
再び書かせて頂きます。
「北海道新聞」9月20日号と、「東奥日報」9月21日号です。

http://jin3.jp/kimi/hokkaidou060920.htm

「北海道新聞」の「赤い靴の物語上」には、
9月22日のブログに書きました菊池寛先生と、
麻布十番商店主の山本仁寿さんのお話が載っていました。

菊池寛先生とは、ある「歴史散歩」できみちゃんのことを取り上げ、
その時ご本の引用許可を得るためコンタクトを取って以来、
1年のお付き合いになります。
ですので、多少は存じ上げていましたが、
この北海道新聞の記事で、菊池先生のお母様のことを知り、驚きました。
先生が5年間きみちゃん母子を追った原動力になったもの、それは亡母の思い出。

菊池先生のお母様は菊池先生が10歳の時に亡くなられました。
「赤い靴」を歌ってあやしてくれた背中を鮮明に覚えているそうです。
「体の弱い母は、子どもの行く末を見守ることができないことを知っていたのでは。
そして、自分がいなくても、
この歌のようにだれかが新しい世界に連れて行ってくれるという希望を
私に伝えたかったのではないか」(「」内新聞記事引用)
と、北星学園大学教授となられた今思っていらっしゃるとのことでした。
(実は北星学園大はミッション系なので、
牧師夫婦に引きとられたきみちゃんに影響を受けてのことかと
以前菊池先生にお尋ねしましたが、「偶然です」とお返事頂きました。
でも、私には偶然には思えなかった…)

また、麻布十番できみちゃん像のお世話をしている山本仁寿さんも
45歳でお子さんを授かったとこの記事で初めて知りました。
(山本さんにも「歴史散歩」企画のときにお世話になっています)

身近にいながら知らないことばかりだったと反省した次第です。

              *

「東奥日報」の方は、きみちゃんの義父鈴木志郎の出身地青森県鰺ヶ沢町では
童謡ゆかりの地として記念像を建てる計画が上がっているそうです。

http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2006/20060921090410.asp

きみちゃんに関する動きをいろいろな媒体からお知らせ下さったUさん、
有難うございました♪


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