れきしどころ真理庵

江戸時代の江戸を中心に、医学史・蘭学史を調べています。日々の暮らしを歴史からみた写真日記。

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北康利さんのファンブログ始めました♪

2010-09-16 06:47:53 | 真理庵文庫・歴史&医学
このブログを始めて間もなくからの読者である作家北康利先生の「ファンクラブ」ブログを立ち上げました。

ここです↓
http://blogs.yahoo.co.jp/mariasophiayumi

行ってみてくださいね♪♪
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「オール読物」2月号に名前が載りました♪

2010-01-28 06:00:41 | 真理庵文庫・歴史&医学
寒中お見舞い申し上げます!
今年に入って大分日が経ってからの今年最初に日記になってしまいました。
今年も宜しくお願いいたします♪

で、今頃描いていて何なのですが、今年の目標は月に7つ以上記事をアップすることにしたいです。
まあ2月以降ということになりますが。。。
目標に向かって第一弾です♪



先日発売された「オール読物」2月号、北村薫氏が連載中の「いとま申して」の中に私の「坪井信道と安懐堂・日習堂の塾生達」が引用されています♪
立ち読みで良いので、168p読んでやってください!

※発売日雑誌を書店で購入したら、翌日文藝春秋から1冊届きました♪
北村さんは本当に律儀な方です!!


*********************************************************************
12月のことでしたが、職場に北村薫と言う人から電話が入りました。
その人の問い合わせ内容は「日収堂はいつまであったか?」というものでした。
日習堂とは坪井信道が作った蘭学塾でトータルで2000名の塾生を輩出しています。
北村氏のご先祖様は宮本姓。
いきなり宮本某と言われてこちらも面食らってしました。(有名処に宮本姓は無し)

ただ、日習堂の最後は翌安政3年と記憶していましたので、「安政2年ならまだ塾はありましたよ。」とはお返事したのですが、明日佐倉の郷土史家に会うというせっかちな北村さんを説得できるほどの材料がありませんでした。
電話が終わると取り次いだTさんが嬉しそうに、検索画面を指し示して「北村薫って直木賞作家じゃん!凄いよ、これ!」と言ってニヤニヤしています。
正直北村薫さんのお名前は存じていました。公共図書館にいたときは人気作家の一人でしたが、ミステリーに興味にない私は読んだことがありませんでした(^^;)

仕事を終えたその足で目黒駅ビルのY堂という書店に入り、北村薫さんの言った「オール読物」1月号を購入。1階にあるパン屋のカフェテリアでサンドイッチ摘みながら読んでみました。
そこで予備知識を得て、有栖川公園の都立図書館に行きました。そこで以前読んだことのある坪井信道関係の本を引っ張り出して読んでみました。
やっぱり安政3年まで塾は存在していた。

私は単純に嬉しかった!
北村さんが私を捜し出したのは、日習堂について論文を書いたからですが、それを検索し探し出してわざわざ電話してきて下さったこが嬉しかったのです。


再び北村さんから職場に電話がありました。この数日で彼が識ったことをわざわざ知らせてくれたのです。
こちらからも12月25日に図書館に行った結果をお知らせしました。
そして分かったこと。宮本某(お知りになりたい方はオール読物をご覧になって下さい)は日習堂と順天堂と両方の塾に通っていたのです!
当時の蘭学塾ではこういったことは結構あって、その事は別段失礼でも何でもありませんでした。先生同士仲が良かったのです。


昨日の電話で北村さんの一生懸命さがよく分かりました。ミステリー業界ではすでに重鎮で、直木賞を今頃取ったのは遅すぎるくらいですが、こんなに謙虚な人なんだと好感を持ちました♪
遅ればせながら氏の作品を読んでみようと思っています。


そして、「仁」もそうですが、あの時代を生きた人々、蘭学者の末裔がこうして作家として活躍していることに感動を憶えました。
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「くりま1月号 坂本龍馬がゆく」

2009-11-23 10:27:19 | 真理庵文庫・歴史&医学
北康利氏より連絡が入り、「くりま1月号」を購入しました♪

「書店に「文藝春秋別冊くりま1月号 坂本龍馬がゆく」が山と積まれています。文芸春秋が乾坤一擲、賭けに出たと思わせる金のかかった雑誌で、おそらく来年の大河ドラマ「龍馬伝」放映まで書店に積み続けるつもりでしょう。小生は坂本龍馬を書いたことはないのですが、この「くりま」の巻末に拙文を寄せています。小生の文章は大したことないですが、それ以外は龍馬ファンにはたまらないはず。特に司馬先生の手紙には感動しました。

ちなみに『歴史通』1月号(12月9日発売)では大河ドマラ「龍馬伝」のNHK鈴木プロデューサーと龍馬の魅力について対談、週刊ダイヤモンド別冊『歴学』創刊号(12月11日発売)では、島津斉彬と毛利敬親について語っております。是非お手にとってご覧ください。」

麻布六本木学研究会では今週の集会で、麻布における龍馬の足跡を調べます。(勝海舟が麻布(氷川町)に住んでおり、そこに龍馬がやってきました)
来月はそこを街歩きする予定なので、グッドタイミングで、北さんのお知らせが入ったと喜んでいます♪
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北さんの講演から二足の草鞋術を学ぶ

2009-07-19 11:00:30 | 真理庵文庫・歴史&医学
13日(月)にNPO法人知的生産の技術研究会主催の北康利氏の講演会が赤坂の日本財団A会議室にて行われました。

「北さん+白洲次郎」の組み合わせでの講演は今まで何度も聴講しておりますので、今回はサラリーマンだった北さんがどうやって時間をやりくりして二足の草鞋生活をしていたのか?、また作家一本になった本当のところを初めて明かしてくださいましたので、そこに絞ってご報告したいと思います。

まず、彼のプロフィールを張っておきますね。

【昭和35年12月24日名古屋市生まれ、東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として大東証券証券営業部副部長、富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。】

実は昨年五月末T工大図書館に再就職が決まったことを北さんにお知らせすると、「実は僕も六月末で会社を辞めます」とさらりと書いてこられたので、すごく驚きました。筆一本の生活は危険じゃないかと、私は、「大学の客員教授でしたよね?それを充分活かしてください」と余計な心配をしてしまいました。(今となっては笑い話ですが・・・)

彼の最初の著作は『ABS投資入門』(シグマベイスキャピタル)。専門書です。これを書いたとき、社長に会社の宣伝になるからどんどん書いてくれと言われたそうです。さい先良い滑り出しでした。

その後、お父さんがスキルス性胃ガンで亡くなり、遺志を継ぐ形で兵庫県三田市の郷土史を始めます。で、この時北さんが思ったのは、「郷土の偉人を全国区にしよう。そうすれば自ずと世間の目が向いて三田の活性化に繋がる」ということでした。そこで書きだしたのが川本幸民であり、九鬼隆一でありました。でも、ここで問題が起こります。白洲次郎の原稿を神戸の新聞社に持っていったところ、ページ数が多すぎて出版できないと断られました。折角の意欲作です。お蔵入りは勿体ないと、学生時代の先輩の講談社編集者に相談します。その結果、かなり内容をそぎ落とした形ですが、本になりました。これが『白洲次郎―占領を背負った男』の誕生になりました。もし神戸の新聞社が採算を度外視して白洲次郎を出版していたら、北さんは多分全国区にはなれなかったでしょう!
人生はどう転ぶか分かりません。

ところで、当時北さんは千葉県に一戸建て住宅を持っておりそこから都心に出勤していました。小一時間立ちっぱなしで、彼は前夜書いた原稿に赤入れチェックをしていたそうです。行き帰りで合わせて二時間。結構使い勝手がある時間だったそうです。
ただ、そうしていると体力的にしんどくなります。仕方なく都内にマンションをかり家族でそこに引っ越して、そこから通勤しはじめました。で、仕事が進んだかというとそういうことではなかったようです。一五分では何も出来ないで終わったと。

ところで、そんな中勤め先の富士銀行がみずほに統合されます。元富士(それぞれ会社はカルチャーを持っているわけで…)の人間として組織の中でどう生きていこうか、また、リストラする側に立ってしまい、辛い思いもなさったようです。みずほ証券財務開発部長の最後の頃、会社がたまたま証券のトラブルで大赤字を出してしまい、全社的に早期退職者を募りました。それ以前に部下達を外部に送り出す(ある意味リストラ)ことをして北氏は、この際だから会社を辞めようという思いに至ったそうでした。これが昨年六月。

ここからは私の思いですが、北さんの退職後わずか3ヶ月でリーマンショックが起こります。
今までの北さんの人生の流れを見ていますと、一見マイナスに見えることが結果的には人生の好転機になっています。この勘の良さを是非学びたいものと思いました。
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北康利氏「白洲次郎に学ぶ プリンシプルのある生き方」

2009-07-09 06:07:37 | 真理庵文庫・歴史&医学
北さんの講演会かあります♪
皆さん是非いらしゃってください!!!


『白洲次郎に学ぶ プリンシプルのある生き方』
講 師  北 康利
日 時  2009年7月13日(月)
     18時00分~受付開始、
            本の販売&サイン会
     18時30分~講演(1時間30分)
     20時00分~質疑応答(30分)
     20時30分 セミナー終了
場 所  日本財団A会議室(東京・赤坂・特許庁前交差点角)
東京都港区赤坂1-2-2日本財団ビル
(03-6229-5111)

会 費  5000円
主 催  NPO法人知的生産の技術研究会、
共 催  多摩大学統合リスクマネジメント研究所(IRI)
共 催  日本計画研究所(JPI)

お問い合わせは秋田さん
emirun@nifty.com    にお願いいたします。
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宮部みゆき 『孤宿の人』

2008-09-24 05:35:51 | 真理庵文庫・歴史&医学
職場の同僚が本を貸してくれました♪で、早速読みました!

時代小説です。ですが舞台は宮部が得意の江戸ではなく讃岐の丸亀藩を模した「丸海藩」。鳥居耀蔵からヒントを得たという罪人「加賀様」が丸海藩お預かりになったことで、小さな藩は息を殺したように日々を過ごさなければならなくなります。
そこにたまたま江戸から金比羅様にお参りにきて置き去りにされた「ほう」という10才の少女がからんできます。いろいろな経緯の末、(天涯孤独で外ものとうことも幸いして)ほうは加賀様のお屋敷の下働きとなり、加賀様もほうが文字すら知らないときいて、(幽閉されて心を通わせるものもいなかったこともあり)手習いを自ら教えます。
養い親から「ほうの「ほう」の字は「阿呆」の呆」と聴かされていたほうに「方」という名前を与え、「物事の方角がわかるように」と諭します。最後ほうは加賀様から「おまえの奉公を解く」と言われ逃がされ、雷による火災からかろうじて生還しました。加賀様は(覚悟の)焼死。そして同様に生き残ったお匙の砥部様から加賀様の「宝」の字が書かれた紙をを受け取ります。「これは加賀様から賜ったほうの名前だ」と。養い親の育児放棄でまともに文字が読めなかったほうはその純真さゆえ、「宝」にとなったのです。
ほうを妹のようにかわいがっていた女引手の宇佐。お匙の井上家の人々。宮部らしい善意のキャラクターの人々が出てきますが、藩の大事の前に庶民の思いは押しつぶされてしまいます。
加賀様は「雷獣と戦って丸海を救った」ということで、神様にまつられることで、一件は落着するのですが、「生かさず殺さず」という罪人を預かった小藩の苦悩がよく分かる、それゆえ(いつもの活きのいい市井ものに慣れている私には)ちょっと重苦しい作品でしたが、じんわりと暖かさを感じた作品でした。

同い年、そして宮部ファンと共通点が増え、同僚との楽しみが増しました♪
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北氏川本幸民を語る@アカデミーヒルズ

2008-09-04 10:53:06 | 真理庵文庫・歴史&医学
昨日はアカデミーヒルズで北康利氏の『蘭学者 川本幸民』の講演会がありました。

6月に企画して3ヶ月後に実現したものです。
今回私が企画で協力したこともあり、このブログで出会った八田修一氏にも来ていただきました♪

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いつもながらの熱い北節で、教育の必要性等を語って下さいました。
①教育の持っていた正のスパイラルを取り戻そう
 ー(江戸時代の蘭学塾のような)尊敬される先生と優秀な生徒

②純粋な知的好奇心をもってみないか

③(日本の発展の原点に立ち返り)理工系やものづくりの大切さと 可能性を再認識しよう 

④嫉妬をなくすこと。悪平等をもう一度考え直そう

お話は川本幸民のみならず、福沢諭吉、白洲次郎など、今までお書きになった主人公達の話題にもおよび、幅広く北流近現代史を学んだ気がします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
帰りがけに北さんとお話ししたとき、私が招待した八田修一氏についてお話がおよび(実は彼は三田市出身)、「占い」に話が及びました。彼は占い師でもあるのですが(彼との出会いは私のブログに彼がご自分の占いブログをトラックバックしたこと)、その事を北さんに言ったところ北さんも四柱推命に凝っていらした時期があったそうで、本当に世の中何処でつながっていくのか分からないものと、凄く繋がりのおもしろさを感じてしまいました!

八田氏のブログ↓
http://shuichihatta-kisekinouranai.at.webry.info/
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北 康利『蘭学者 川本幸民』

2008-06-30 06:26:37 | 真理庵文庫・歴史&医学
私の友人、北康利氏がとうとう『蘭学者 川本幸民 ー近代の扉を開いた万能科学者の生涯ー』をPHP研究所から出しました!思い出深い作品です!!!
実はこの本は4年前に別の出版社から出されており、今回のものはそれを大幅加筆修正した新版です♪

川本幸民は、以前から私も坪井信道の重要な弟子の一人として調べていました。そんな中で、北さんがペンネーム「司亮一」で書いた『蘭学者 川本幸民』に出会ったのです。前回の出版社からの本は取り寄せるだけでもずいぶんと暇がかかりました。たどり着くまで大変だったわけです。やっときた本を読んで驚いた!実に綿密に調べてらっしゃる。素人とは思えない文章力でした!
この人が後に本名北康利で『白洲次郎 占領を背負った男』『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』を書かれたのです!

このブログが著名な北氏と無名な私を結びつけたわけで、不思議なご縁を感じるとともに、チャンスを下さったブログという現代のツールに感謝します。


ところで、この本のプロフィールに「平成20年6月みずほ証券退職」とありますが、6月30日がサラリーマン最後の日だったことになります。彼の人生の証人になった気分です。

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山崎洋子 『赤い崖の女』

2008-05-04 13:52:25 | 真理庵文庫・歴史&医学
実は山崎洋子さんを読むのは初めてでした。
ある方のお勧めで読み出したのですが、読んで面白かった!
歴史小説でありながら【待つ女】ではなく、どんどん道を切り開いて行く女が描かれていたから。

黒船来航の本牧。器量よしの希沙は腹違いの姉美代に疎まれていた。希沙と自分の許嫁卯之吉の中を邪推したのだった。その後卯之吉は本牧から姿を消す。美代は希沙が卯之吉にしむけたと思い込み、男どもを使って希沙を襲わせ、「赤い崖=マンダリン・ブラフ」にぶら下げさせた。希沙のことはすぐに周囲に知れ、父親は娘を横浜の岩亀楼という遊郭へラシャメン(外国人相手の女郎)として売った。
器量も頭もよい希沙はすぐに頭角を現し、外国人の屋敷へ現地妻として迎えられたのだが、いざ床入れとなると体調をを崩す。それが何度も続いて、とうとう歩くこことすらまま無くなり、下働きの部屋へ放り込まれた。そこで加世というあばただが気だてのいい少女と出会い、二人は親友になっていく。
二人一緒にケイトと言うイギリス女性の女中になるが、ケイトもまた自分の道を切り開こうと悪戦苦闘している女性だった。横浜で婦人服の仕立て屋をするのが彼女の夢だった。希沙は通訳と洋服作り、加世は女コックを目指しながらケイトの元で頑張っていたがそんなある日、横浜に大火事が起こった。希沙と加世は別れ別れになるが。。。

幕末の横浜を舞台にして、意欲的な若い女性たちの困難にもめげずに自分たちの夢を実現して行く姿を描いていて共感できます。
希沙の男性拒否が輪姦のトラウマだと言う事は、現代の私たちにはすぐに分かります。トラウマを乗り越え、自立して行こうとする希沙と加世。それをずっと憎んで邪魔をする美代。時代の流れに翻弄されながらも、最後混血児の施設を作って行くところは圧巻です。

時代小説の形をとりながら、実は現代女性の友情物語と感じました。
さわやかな読後感です。


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宮部みゆき『ぼんくら』

2007-11-12 23:49:01 | 真理庵文庫・歴史&医学

私のよく行くブログに「くるねこ大和」というネコ漫画があります。
名古屋在住の商業デザイナーの女性が
ネコ5匹との日常生活を漫画にしてブログにアップしています。
http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/

そこで、先日宮部みゆき『ぼんくら』を取り上げていました。
くるさんの絵がすごく特徴を捉えていて、
ツボにハマッてしまい、久しぶりで宮部(『ぼんくら』)を読みました。
http://blog.goo.ne.jp/kuru0214/e/b4542033b4cdfec0cd08ca814c89f9bb

くるさんが描いていた美少年弓之助は「歩く鯨尺」。
佐賀町に住む佐々木道三郎という浪人から測量を学び、
地図をもぐりで作っています。
この話を読んだとき、伊能忠敬を思いました。
彼は測量を学ぶため佐倉から深川へ単身越してきました。
そして天文方へ教えを請い、50歳過ぎて測量を学びます。
門前仲町の富岡八幡宮内に伊能忠敬像があります。
多分宮部はこの話にヒントを得たのでしょう。

で、「ぼんくら」は、井筒平四郎というぼんくら同心が主人公の
深川人情捕り物話です。
平四郎の外見は正にくるさんの絵の通り。
のそっとした平四郎と頭脳明晰な甥っ子美少年弓之助の凸凹コンビ。
二人が鉄瓶長屋の事件に取り組む話です。

いつもながら宮部の描く江戸の町は活き活きとしています。
長屋の住人達もそれぞれ息づかいが聞こえてくろようです。

私が初めて読んだ『本所深川ふしぎ草子』の主人公は
回向院の茂七親分でしたが、
今回茂七さんのところの手下の政五郎やおでこ、黒豆等
平四郎のスタッフも充実し、その分複雑な筋になっています。
513頁にも及ぶ長編ですが、一気に読めました!

 

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小林信彦 『日本橋バビロン』

2007-11-07 16:19:17 | 真理庵文庫・歴史&医学

この本(小説?)の舞台は、現在で言えば、
人形町・馬喰町・横山町・久松町・浜町周辺の
過去物語です。

著者小林信彦は中央区日本橋生まれですが、
戦後その地を引き払い、
あえて日本橋(西両国)から目を背けます。
1970年代に再び水天宮に出かけます。
その頃からまた生まれ育った街に目が向いていきます。
そして最近の〈散歩〉〈ウオーキング〉ブーム。
「情報誌」の編集者に促されて、彼らとその地に向かいます。

多分これはカテゴリーとしては、自伝小説でしょうが、
著者が意図してウエットな感情を排して書いているので、
ひどく淡々としながら、
静かな語り口ながら、9代続いた老舗の和菓子屋の
栄枯盛衰が良く分かる物語になっています。

現在同じ中央区という街に住んでいますし、
深川にいた頃は隅田川の対岸ということで、
歩いて日本橋あたりを散策した身には
とても懐かしい内容でした。

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諸田玲子 『狸穴あいあい坂』

2007-10-03 09:33:12 | 真理庵文庫・歴史&医学
諸田玲子さんの作品を読みのは初めてのことです。
勿論時代小説家として知ってはいましたが、
今一歩手にとって読んでみようという気に
なりませんでした。

で、今回はズバリ!題名に惹かれて読み始めました。
「狸穴」は麻布の地名にいまだに残っていますし、
「狸穴坂」も実際あります。
麻布を舞台にしてどの程度麻布が描けているかが
今回読んでいる基準ですので、
もし諸田ファンがいらっしゃたら、
「何というけしからん読み方!」とお叱り受けそうですが、
お許し下さい。

で、感想は、「登場人物が初々しくて、爽やか」でした。
ライト感覚の時代小説で、正月の「ムジナ事件」から始まって、
年末の「春の兆し」で終わる結寿(ゆず)17歳の恋物語。
シングルファザーの道三郎との恋も
悲恋とかでは全くなく、微笑ましさを感じました。
多分諸田玲子さんご自身が品のある人なのでしょう。
それが「事件簿」的な内容を扱っていながら、
下世話にならずに済んでいる。
麻布十番周辺もいろいろお調べになって書かれたのが
よく分かりました。
好感の持てる作品です。
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福沢諭吉の教育とは?

2007-09-24 01:13:28 | 真理庵文庫・歴史&医学

9月22日、子供教育フォーラムが
アカデミーヒルズで行われました。
そこで北康利氏が短かったのですが、ご講演をなさいました。
メモを↓に付けますのでご覧下さい。

世の中のためになる人間になれ!
①人脈-一生ものの人脈を作るための機会としての大学
 
今の人はコミュニケーション不足。
 いざ何かがあったとき、「この国を支える」というエリート層を作る。
②人は苦労しないと強くならない→必死になって勉強する経験
 
福沢諭吉がよく使っていた言葉:「バカ不平多し」「空き樽は良く鳴る」
③人生には親のオリエンテーションが必要=
子供の自主性に任せない!
 
福沢諭吉の日々の教え:長男に対して、諭吉は目の前で紙に書いて言葉を渡した

福沢諭吉の教えのエッセンス
①「民の中の公」に対する誇り
 
義塾=パブリックスクール
  ↓
 社会に貢献できる学校
 ※民でないとできな事もある。民間が国のためにやることが尊い。
②「先生」は福沢諭吉のみ 
 
大学教授も学内では「君」。
③日本人が頑張らないと日本はダメになる!
 
 
批判するのは簡単。自ら提言することが大切。
 「自由は不自由の中にあり」
④目利きとしての能力=人間学


実は今回のフォーラムは、場所はアカデミーヒルズでしたが
主催者は全く別のところでした。
アカデミーヒルズは会場を提供しただけです。
そうなるとやっぱり、内容は…でした。
折角北氏が熱い言葉で話しても
他のパネラーや司会がそれを受け取れなけば
言葉は行き場を失ってしまうわけで。。。

息子が幼児の頃、
故井深ソニー会長がセンター長をつとめていらっしゃった
幼児開発センターに通っていましたが、
開所式ではスピーチの後、
井深さん自らが2歳児以下の子ども達の頭を
ひとりひとり撫で話しかけてくださいました。
息子も井深さんに撫でて頂いたひとりです。
子供にとっても、親にとってもこれは誇らしい経験でした。
子供の教育って、まず親が示すってことだと教わりました。
http://www.sony-ef.or.jp/eda/
幼児開発センターは今はもうありませんが、
貴重な体験だったと思っています。

今回の教育フォーラムで違和感を感じたところは
主催者が自分のスタンスをはっきり示さなかったところです。
だから折角著名な人を何人も集めても、
「船頭多くして…」のことわざ通り、話が座礁してました。。。

写真は数年前に撮った慶應義塾三田キャンパス内福沢諭吉記念館。



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千原勝美先生

2007-09-23 23:39:33 | 真理庵文庫・歴史&医学

先日みちあき神父とお話ししていたおり、
お父様のことにお話が及びました。
お父様が信州大学教授でいらっしゃたことは存じ上げていましたが
専門が漢文(中国文学)で、
信州の教育史をまとめていらっしゃたとは
思ってもいませんでした。

実は以前から長野県の教育については興味がありました。
数年前ですが青木歳幸先生と【新元会】で隣り合わせになり
お話したことがありました。
当時青木先生は『在村蘭学の研究』というご本を上梓なされ、
ご発表があったのですが、
青木先生のフィールドは信州でした。
江戸時代の信州では、今で言うところの村長・町長クラスの人が
医者の代行をしており、彼らは(長崎留学は出来なかったものの)
積極的に蘭学書を求め、
研究していたことが分かったというものでした。 

そんなこともあり、また、大学医学部勤務時代に
たまたま軽井沢出身の女医さんがい、
彼女は高校進学の際にアパート住まい、
自炊をしていたとお話してくれました。
越境しても良い高校へ入るのは、地方では当たり前。
まして教育県長野では当然のことっだったと聞きます。

その上、8月には『栗林忠道からの手紙』で、
また長野県松代が取り上げられました。
ますます長野の教育に注目が行っていました!

みちあき神父のお父様のお名前は千原勝美。
『信州の藩学』というご本をお書きになっていらっしゃいます。
また、『開智学校沿革史』というご本も共著で書かれていらっしゃる。
写真はその旧開智学校の復元された建物です。
日本最古の小学校ということですが
以前この写真を観る機会があり、
建物としての美しさに目を見張りました!

近いうち『信州の藩学』『開智学校沿革史』を
読んでみようと思っています。

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北康利氏@アカデミーヒルズ

2007-09-19 23:15:02 | 真理庵文庫・歴史&医学



先日アカデミーヒルズ・六本木ライブラリーで行われた
「“ライフスタイル”サロン2007」のご報告を致します。

写真を貼り付けさせて頂きましたが、
上が北氏で、下はご存知竹中氏です。
(下の方は大臣でしたから皆様ご存知でしょう)
で、このサロン中、北さんは敢えて「竹中先生」とはおっしゃらなかった。
というのも、慶應義塾では福沢諭吉のみが「先生」であって
後はすべて「さん」付けが伝統なのだそうです。

今まで、北さんというと【聞き上手】の印象があり
ご自身でどの位お話しなさる方か私はよく知りませんでした。
ところが喋らせたらすごく面白い!ちょっと関西弁が入った口調で
実に熱くお話しなさる!!
考えてみたら当たり前で、北氏は大学の客員教授だし、
証券会社ではファンド系のお仕事もなさってらっしゃる。
つまり話なれてらしゃる方なのです。

まず最初に北さんはご自分が何故「三足の草鞋」を
履いているのかということを話されました。
1998年8月2日父様を65歳でスキルス性癌で亡くされました。
お父様は癌と分かってから何ヶ月もなくあっという間に亡くなってしまい
遺言らしい物すら聞くことができなかった。
お父様が多分老後にやりたかったこと、
それは(遺品から推すに)兵庫県三田市の郷土史とカメラ。
北さんはお父様に遺志を継ぐべく三田の歴史を書き始めます。
で、何作か郷土の偉人を書いたのですが、
「全国区」にならなければ、売れなければ
郷土を認知してもらえないと言われます。
たまたまお父様に眠る三田市の心月院には
白洲次郎・正子の墓があります。
白洲次郎なら「全国区」になるのではないか?と。
これが山本七平賞を受賞した作品を描く切っ掛けになったのでした。

で、北さんが伝記をお書きになろうと思った切っ掛けの一つは
少子化です。
少子化とは子どもの数が少ないことだけではない。
子にとっての、叔父叔母の数が極めて少なくなることであり
子どもに「自分が将来なりたい姿」を示せる大人が減ることであると。
子どもは叔父叔母でケーススタディするわけで、
ケース数が少なければ、何かで補わなければならない。
北さんは人生を追体験してもらうために「人物伝」を
書くことを決められたのだと。
(今後を生きていくための)道しるべ、燈台としての伝記です。









第1回テーマ:独立自尊の精神について
第1回は、ベストセラー『白洲次郎 占領を背負った男』
(代14回山本七平賞受賞)の著者、北康利氏をゲストのお招きし、
今年3月に上梓された『福沢諭吉~国を支えて国を頼らず』をもとに、
福沢諭吉をテーマに開催します。
「明治時代に福沢諭吉が唱えた「独立自尊」の精神
(他に頼ることなく、自らの尊厳を自らの力で守ること)
が21世紀の現代ほど必要とされている時代はない」と言う
北氏と共に、福沢諭吉のライフスタイルについて探求します。


北康利氏プロフィール
1960年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業。銀行系証券会社勤務。
中央大学専門職大学院国際会計研究科客員教授。
PHP研究所「次代を考える東京座会」メンバー。
著書に『ABS投資入門』『北摂三田の歴史』、
『男爵九鬼隆一 明治のドンジュアンたち』、『蘭学者 川本幸民』
『白洲次郎 占領を背負った男』『栗林忠道からの手紙』(共著)。
9月から産経新聞火曜日に『同行二人 松下幸之助と歩む旅』連載中。
                    (以上ライブラリー事務局製作資料より)
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