平成徒然草(萩原 希仁)

毎日の喜怒哀楽をストレートに表現してゆく。

リーダーシップ。

2011-07-09 21:26:08 | 日記
多摩センターのテーマパークで、僕は、1000人のクルーを動かしていたが、

1人対1000人では無いのであって、どんな有能なリーダーでも、

的確な指導体制が取れるのは、せいぜい、1人対30人が、限界ではないか。

こんな信念があるから、僕は、30人の、中間管理職的な、社員を準備した。

社員を準備とは、自分の考えや、基本方針を、叩き込むのだ。

すべての問題を、具体的にフォローする訳にはいかないから、

30人のリーダーが、それぞれの現場で、僕と同じ判断が出来る様にしたのである。

それでも、不安があったため、30人のリーダーと、

僕の間に、5人のスーパーバイザーを置いた。

これで、僕は、この5人に、全てを注ぎこめば、良くなった。

5人なら、毎日、細かい打ち合わせと、軌道修正ができた。

当時、僕は火の玉だった。

これは、意識してやっていた。


何故ならば、直接お客様と接する、1000人は、

僕は、直接面倒が見れない。

この、1000人を、直接教育する、30人も、

僕は、毎日は面倒が見られない。

僕が毎日接することが可能なのは、5人の、管理者だ。

だから、間接的な教育指導が、徹底する様に、火の玉になった。

僕が、100の力だと、直下の5人では、80の力になって、

現場のリーダー、30人の所では、60位になる。

すると、一番大切な、1000人の所へは、

きっと、40位の力しか届かなくなるのだ。

だから、スタートの僕は、200の、力で燃え盛った。

こうすると、末端まで、100の力が通じる。

僕の実践してきたリーダーシップはこうである。

そんな僕の目から見ると、内閣に対する、

菅首相の、リーダーシップは、あまりに弱いのである。


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自転車あれこれ。

2011-07-09 19:13:44 | 日記
自転車事情を見ていると、現代の闇が見える。

僕は、千葉県の松戸市の、新松戸に住んでいる。

都内まで、電車で、1時間ちょっとだから、

通勤しているサラリーマンが多い町だ。

まず、何だか納得がいかないのは、

駅周りの殆ど全てを網羅する、

市営の有料駐輪場の存在。

老人が多い時代だから、そこに居るのは、

満遍なく、お年寄りである。

まあ、シルバー労働力は社会に必要なのだろうが、

正直言って、五月蝿くて、感じが悪い。

僕は、太ももの大動脈も、手術しているので、

自転車の方が歩くよりも楽なので、

駅前の銀行や、買い物は、自転車利用が多い。


サラリーマンではないから、長時間止めっぱなしはないが、

必ず、ちょっと威張った、数人のおじいちゃんたちに、

睨まれる。

駐輪場の利用金額は、時間にかかわらず、

一日100円である。

特に何の設備も無い、ただの歩道である。

五月蝿いじいちゃんが座っているだけ。

一面の自転車だらけだから、相当の収入だろうが、

何人もじいちゃんが居るから、その給料になるのか。

僕は何だか納得が出来ないから、

絶対に利用しない。

サラリーマンや、パートに行く主婦たち、

学生たちから、何もしないで、お金を取り続けないで、

一定の金額を集めて、市でも補助金を出して、

ちゃんとした駐輪場を確保したらどうだろう。


今のままでは、毎月、3000円近く払って、

何にも良いことのない人が多過ぎるのではないか。

昔の様に、野放しで、駅前に、

放置自転車が溢れるのも困るが、

今の様子は、何だか感じが悪すぎる。

あと、自転車の不満は、道交法の法律では、

自転車は、車道の左側通行と、定められているのに、

歩道を駆け抜ける人が多いこと。

これは、若い学生も多いが、残念ながら、

お年寄りも非常に多い。

酷い場合は、歩道を歩いていると、後ろから、

ベルをじゃんじゃん鳴らされる。

これは感じが悪い。

これはお年寄りが多い。

これからの日本は、老人大国だ。

シルバー世代の職場進出も増えるし、

町を出歩くお年寄りも増えるだろう。

もう、学校はないから、何らかの教育が必要だろう。

これは我々の為でもあるし、老人自体が、

無用の事故に遭わない為でもあるだろう。

勿論お年寄りを敬いながら、

皆が暮らしやすい社会をつくる必要がある。

自転車から、こんな事を考えた。


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醍醐味(だいごみ)。

2011-07-09 15:36:54 | 日記
古代から中世にかけて、乳製品で、

栄養価も高く、飛び切り美味しかったのが、

今のチーズの様な、醍醐(だいご)である。

美味しい物が少ない昔だから、

きっと、素晴らしく美味しい感じだったろう。

だから、醍醐味とは、エクスタシーを感じるほどの、

幸せいっぱいの、様子の事だ。

帝(みかど)や、限られた、高級貴族だけの物だったはずだ。

せっかく生まれて来たからには、この醍醐味を知らないのは、

全くもったいない話である。

では、どうしたら、醍醐味を味わえるのか。

現代は、飽食の時代で、美味しい物は溢れているから、

どんなに御馳走でも、食べ物から感じることは無理だろう。

それじゃあ、どうしたら良いのだろうか。

僕はこう思う。

それは、強制されてやるのではなくて、

何かを、自分から、一生懸命にやりきる事だと。

それが、難しいほど、醍醐味は大きいだろう。

しかし、ささやかな事でも、小さい醍醐味はあるはずだ。

そして、とてもでかい事だと、一生懸命にやる事で、

そう、努力を惜しまないだけで、失敗しても、

醍醐味は感じられる気がする。

もしかすると、この醍醐味こそが、生きる目的なのかも知れない。

僕はこれを、皆に知って欲しいのだ。

醍醐味とは、満足感の、とびっきり美味しい奴と、

思ってもらえば、間違いない。

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知ってると誤解し無いで。

2011-07-09 02:06:19 | 日記
ちょっと古い言葉に、耳年増と言うのがあります。

良く分からないけど、人の話を、

小耳に挟んでいる内に、自分では、

経験していないけど、分かった気になる事。

誤解の状態です。

人間は、そんなに便利には出来ていません。

実際に経験しなければ、身に付かないのです。

現代は、情報やエンターテイメントが、

過剰な時代ですから、耳年増も、

目年増も、いっぱい居ます。

ドラマや映画で観ても、それは、疑似体験で、

自分の身になっている訳では無いのです。

テレビのヒロインと違って、実際に泣くと、

鼻水がいっぱい出て、しゃっくりも止まらなくて、

まともに、話すことさえ出来ません。

そして、2~3時間もすると、

目の周りが、ぱんぱんにはれます。

だから、情報として、耳で聞いたり、

映画を観ることも大切ですが、

特に、経験不足の若者は、

前向きに色々やってみて欲しいのです。

成功だけではなく、失敗だって、

貴重な経験なのですから。

良くないのは、何もしないで、避けて通ることでしょう。

じゃあ、経験が増えると、どうなるかって?

それは、生きることに、驚くことが少しは減ります。

そうして、未体験の事に、挑戦するのが、

楽しくなってきます。

周りから見ると、頼り甲斐があって、逞しくなります。


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