marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(555回) 「令和」になり、僕にとっての一つの時代の区切り

2019-05-08 06:06:43 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(509回目)日常生活の冒険(連休7~8日目)長崎・天草地方潜伏キリシタン関連世界遺産に思う

 ・・前回からの続き◆僕のこのブログは文字だらけになってから、ずうっ~と考えてきたことは変わりません。表題のニュースが流れてきて、第504回目の投稿内容もあの鎖国が始まる時......
 

◆この国の一つの区切り、僕がずっと考えてきたことの一つ。この国のどこにでもある社(やしろ)のこと。この国の不思議、幼稚園にあがる前から至る所にある神社に引かれるものがあった。何故かわからない。宗教はまったく抜きにして、自分とは何なんだろう。人とは何なんだろうなどと暗い時代を過ごし、暗中模索の中から、キリストの十字架にぶつかった。

◆それがどうも、彼の言わんとしている父なる神がこの国のとても古い時代(国の歴史が形成される以前)に伝えられて日本の至る所にあるその神社につながっているように思われて仕方がなかったのだ。熱心な訳ではないが時折、調べてたりすると益々、その確信を持つようになった。日本中にある(僕の田舎にもある)「八幡神社」。中学の時に、歴史で日本が中国との戦争に勝利して九州に「八幡製鉄所」が出来たなどと学んだ時、なぜ、「八幡」なのだと不思議の思ったことを今でも覚えている。理系専攻だったけれど歴史には興味があって、世界史の時間で先生が、カスピ海周辺にいた「月氏」という部族が東を目指して大移動したと話されたことも妙に記憶に残っている。(正確には「弓月」)

◆学生時代、「ホロン革命」を書いたアーサー・ケストラーの『失われた十部族』も興味深く思った。学的には間違いがあるらしいのだが、確かに旧約聖書時代、あのイスラエルという国が出来ていこう(紀元前1000年ころのダビデ王国)、その後、バビロン捕囚などでその12部族が北イスラエルと南ユダになって、のこりの10部族はどこへ行ってしまったのかという謎とき。人が存在する限りDNAは存続する、この人たちは旧約時代だから、救い主といわれる方が誕生することは旧約時代から言われてきたのは知っていたのだがイエス時代は体験していない。天地創造の唯一の神は知っていたわけだからこの地上の至る所でも神は守られるだろうと恐れなく世界中に拡散していった。アジアのシルクロード、あの宗教変遷のベルト地帯は彼らが発端となっている。その彼らが、日本に着いて昔の心の形成に大きく影響を及ぼして、その形が日本中に残っているのが古い時代からの社だろうと。

◆「令和」この国の時代の区切りとなった。ネットでこれらのことは、正しく学的にも証明されることになった。これらのことはyoutubeでも多く確認できるようになったのを僕は嬉しく思っている。「日本史から見たホモサピエンス全史」歴史学者 田中英道、その#4だったか。古代の埴輪にユダヤ人の姿が作られていること。DNAにしても燐国にはないがユダヤ人のそれをもつ人々がこの国に多数いることなど。これは決定的なのではないかと歓喜しているのである。「令和」というこの国の一つの時代の区切り、この5月僕も人生の一つの区切りを迎える。   ・・・ 


世界のベストセラーを読む(554回)再び シモーヌ・ヴェーユのこと 仕事において肉体労働を終えるに当たり

2019-05-06 06:27:43 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(349回目)哲学者 シモーヌ・ヴェーユ のこと Ⅰ

 今回は、女性の方が読まれていれば石を投げられるかもしれない(旧約時代当時の刑罰の一つで石で撃ち殺すというのがあった)。それは、表題の女性(※)については、学生時代から本はあったが......
 

◆女性の牧師で、僕と同じようなことを考える方がおられるものだ(肉体の表記の関連部分のみですが)と思ったのでとっておいた記事があったので掲載します。・・・その前に、教会とかキリスト教たか神とかの言葉が出てきたときに、実に多くのしがらみがまとわりついてくるものだということからすっきりさせることを努力ねがいたい。自分と命を与えるキリスト(語る言葉を持つということが難しいとも思うのだが実はそうではなく)という方と直接語るのであり、あまりに多くの書物や長い歴史があるからその辺のまとわりつくゴミをも我々はどうしても同時に考えてしまいがちになる困難さが発生するからである。自分の今の命の源から静かに言葉を探していく、そこから初めて行けばいいのです。・・・それでは、

◆日本基督教団、奥羽教区通信No.325(2018年9月23日発行) 八戸北伝道所 岩田厚子牧師 ◆****

 30代後半、Cコース受験の最中に、「労働は意識を奪う」、「労働を通して、人間は物質になる・・・労働は一種の死のようなもの」とのシモーヌ・ェーユの言葉に突き動かされた私は、教会の外に出て、ベルトコンベアでの流れ作業や、パンとケーキ工場でのアルバイトを経験し、牧師になるべく精神の自己訓練をしていました。・・・私たちにとって神に全面的に信頼し、素直に従うことは、実はとても困難なことです。だからこそ戦うことがどうしても必要になってくるのです。思い煩いや心労は、神に委ねるしかありません。むしろ私たちは冷静に物事を判断し、今、自分が求める事は何なのかを考えながら生活し、信仰の実践をしていくことが求められています。・・・「教会こそ、本来の思想力である。・・・われわれは真剣な、集中された意志をもって、教会において『考える人』でなければならぬ」(鈴木正久牧師のことば)。私は、台所にも哲学があると自負し、信徒も神学を身につけていると考えています。それは難しく考える必要はないことです。「まず神の国とその義を」求めて生きる道において与えられます。 ******* ・・・・ 

 


世界のベストセラーを読む(553回)僕の好きな小説 「悪童日記」アゴタ・クリストフ(早川書房)

2019-05-05 19:31:36 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(508回目)日常生活の冒険(連休5~6日目)少し大切な小難しい事、自分の中のもうひとりとイエスの死
 雨が朝から降り始め・・・◆家のあちこちが気が付くとだいぶ傷んでいて、業者に依頼すると(例えば、外部の簡単にできそうもないこと、具体的には外庭のモルタルの軒を支えている柱の根元が......
 

◆1年前の記事についてgooからメール。この小説については書かないわけにはいかない。映画になったのかな確か・・・。以前のブログは相変わらずのぼけ防止を兼ねた長文。だれも読まないだろうよ・・・なのであるが、後半にこの小説のことが書かれていた。この本についてだけでも僕にとっては長文になりそうなのだが、手短に書けば、双子の少年は僕自身の中では、一人の自分の中の会話しあう二人なのである。それは、この少年が聖書を読んで戦火の中、意地悪なおばあちゃんの元で自己を訓練していくこと、そしてやはり最後、死んだ親を乗り越えて一人は外へ脱出、残りの一人はもとの場所に戻るというところなのだ。◆これは、いつの時代の僕らの姿でもあるのではなかろうか。未来に向かう自分、そして、今の厳しい現実の普段の生活に留まり地道に人生を送ろうという自分。それは、地道な今の厳しい現実という自己の錨(いかり)を礎にしなければ、決して未来へは飛躍できないだろうことを語っているのではなかろうか。厳しい現実に錨を降ろしておかなければ、決して夢などは実現しないだろうということ。普段の思索のなかでもそのことが起こっているのだといつも僕は思わされている。いつかは身体も老化し肉体も思うようには動かなくなっていくだろう。そのとき、僕は朽ちていく肉体をおいてその脱出に夢を追いかけて思索に没頭していくことだろう。 ・・・ Ω 


世界のベストセラーを読む(552回)永遠への天の窓はいつも僕らの頭上に開かれている(「令和」最初のブログ)

2019-05-03 08:16:56 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(507回目)日常生活の冒険(連休3~4日目)それは確かに大切なことなのだが・・・

 カミュ『異邦人』小説ふうに・・・昨日は書きかけで、日常の雑事の消化に負われてしまう。雨が降っては出来ない事も多数あり、で・・・   **********************......
 

◆体力的にも少し戻り、少しく心の余裕が今朝は天候も良くなってきたので短く。メモとして・・・

 ぼけ防止に出来る限り、ごねごねとおそらく一目でだれもが読みたくないような長文を書き始めるので読者はそれほどいないだろうなと思いつつも短くともOUT-PUTが大切と励ましながら、とにかく続けることだと誰かが言っているようで、まもなく1000回までは一気に行くスタート切りたいな。五月に入りまもなく。

◆昨年度2018年4月21日(日) イースター礼拝の司会担当。 

 2018年は後半、「我らの戦いは血肉にあらず、支配と権威、闇の世界の支配者、天における諸々の悪の諸霊に対するものなのである(文言は僕の記憶)」とういうエフェソの信徒への手紙確か終わりの6章、パウロの手紙の言葉が思い出されて仕方がなかった。・・・ノートルダム大聖堂の大火災。スリランカでの320名もの死者を出したIS過激派の自爆テロ。この国の人々、だから向こうの宗教はだめなのよ!・・・では実はないのです。

◆宗教とは人が作ったジャンル。

 イエスはこう言っているのです「悪魔は人殺しである」と。天地創造の神の長たる大天使が一転、堕天使となって地上に落とされ寵愛の人間を殺す側に転じた悪魔。彼にとっては人が殺しあうには人が生み出した宗教を用いいるのが楽なのだ。まさに命がけでやるからね。

◆だから僕らはこう望むのだ。

「霊の高みに上れ、地上のすべてのしがらみを脱ぎ捨てて、我らの戦いは血肉にあらず、その戦いを知っているからこそ地上において霊の戦いをし続けていくのだ。永遠の世界への天の窓は、いつも僕らの頭上に開かれているのだ・・・ と 」。         ・・・・