marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

☕12月に入ったぞなもし・・・(その1)

2021-12-01 09:09:09 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

▶さて、科学という学問以外のくせ者のお話。人が学ぶのは、無論、成長期の体験、環境(基礎となる元もとの親のDNAは別にして)などであるが、それを自分の言葉として会得してなのだが、身をもっての体験は自分の誕生以降のことであるからどのように解釈するのも自由であるのだが、科学は、顔の見えない未来の他人でもその成果を受けとること、利用することができるのだが、それとは偉く違って”くせもの”と書いた特に歴史ものは、書いた時代、著した人物なりの心理やとりまく背後関係なども考慮にいれないと、否、それをいれたとしても不明な諸々の事情があるのだが、そうして残された文書が、歴史となって文字となったて残されたものが真実だとなるのである。ここで、文字に残されたものが、それが昔のことでそのことしか知る術がないとすれば、それを真実として一応学問としての記録として尊重されなければならない。それが過去のものとしてだけであれば、問題ないが、現在までそれが影響を与えるとすればどうか。過去の経緯からそれはこういう理由からであったなどと、総括する文言で現状にそれなりに、腑に落ちる言葉でまとめられる。その時代に生きていなければわからぬことも歴史は勝者によって書かれるのである。理解は、読む時代に合わせて判断されるのであると。考えてみれば僕らの国では、自分の言葉で考えることを恐れてきたのではなかったか。したがって、少なくとも僕らの成長期の時期には、自分というものがどういう生き物かを把握できないで非常なる不安の中に過ごしたのである。とすれば、自由とはまず、自分の本能に素直に生きる、それが自由であると。この世に生きる自己実現。権力思考。五感の拡張。生殖の拡張を内心に抱えて、なぜならそれが生き物本来の生存の唯一の活動の源になっているから。勝者の総括的言葉のありようは、敗者は道徳的見地からそれは起こったことなのだと、纏めやすい。しかし、どうなのか、そういう見方もあるだろうけれど。だから、柄谷が志賀直哉をバッサリ評価したことに、少なくとも僕はすっきりするし、高校の夏休みに夏目漱石の「こころ」を読んで感想文をかけなどという宿題なんぞより、「私の個人主義」を読んで思うところを書いて来なさい、との宿題の方がいかほど、高校生にはためになったか知れないと今でも思う。しかし、ここでもこの国の歴史を作ろうとするものは、若い時代から、言葉をもつことを教育で避けられてきたのであった。人は儒教や他力本願の宗教が蔓延していたからか。被害者になる哀れみ、それは自然災害、圧政による搾取など、貧しい者は永遠に浮かばれることなく、言葉も持たない。他力本願の宗教が流行ったのも、政の救済がほとんどなかったからである。探してみるといい政がその救済のための法律をみたことがない。否、あっただろうが歴史には見らないない。話を飛躍して、世界に散らされた嫌われユダヤ人は、塗炭の苦しみの中で希望は捨てなかった。彼らは、何代も先を見ていたのだ。あまりの苦しさに、しかも世界を創造したと教えられてきたその土台に、なぜ人という生き物は、なぜ、人類というものは、とあらねばならない世界を将来に考え、その理想を実現しなくていけないと思ったのではないだろうか。それは、長い時代を経て、地上の現実を改革する言葉を禁止してきたのではなかったか、少なくとの教育において。歴史において自己反省の言葉を僕らの国の人々は、語らない。


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