marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(519回目)(その1)不条理を解明しようとすることが人として生涯を生き通すことなのだ

2018-07-08 09:05:08 | 日記
 西日本では大雨で又、大変な被害。この国の地形の移り変わり、ぼくら人の手では如何ともできない天災について。ともかく犠牲は最小限に、早く復旧されることを心から願います。
 僕のいるところは、遠くに海、運河が下に望む高台の上にあり、小山の裏手に行くと遠くには日本酒の名称にもなっている山が見える。冬は寒いが、季節の天災には殆ど被害に会うことから守られているようだ。それにしても僕の学生の頃より、甚大な被害の天災が多く頻発しているように思う。少し理科的な頭も持っている僕としては、地震が起こるのは地球の長い長い歴史の中で23.5度だったか23.7度だったか(間違ってたらごめんなさい)傾いている地球の地軸がぶれ始めているからのようなのである。かといってぼくらには、備えをしなさい、という程度で、天災については如何ともしがたい。(ここで、アメリカでは”ケム・トレイル”とか(確か)で天候まで人的に操作しようとした実験があったようだが、戦略的に、そもそも”人工地震”などというものもなのだが、そういう言葉が出てくるとモヤモヤと胡散霧散になってしまう)
◆前のブログでのお約束を書こうとしたが、当初からの僕の求める処は変わらないのだが、列車に乗ってそちら側に乗り込んでしまった職業柄の牧師キリスト者はおそらくそう考えて行かねばいけないでしょうと思うであろうと思うのだが、どうも個人的正確からそうではない方も居られて(だからこそそこで留まっていけないと僕は言っているのだが)、それは何でも作家佐藤優さんが言うがごとく、すでにキリストの教会は斜陽産業となっているからなのだろう。
 組織体に依存して本当に聖書を日々、学ばれているのか神学的に、しかも自分の言葉で・・・ということを羊は感じているのではないだろうか。羊飼いは羊を産まない、羊が羊を産むのであるといった羊飼いがいたが、今は、霊的にではない知識の上では、羊の方が情報を知っている場合がある。何が大切かもよく探す。何しろ現場に日々いるのであるから・・・。
◆”教師は特別厳しい裁きを受けるであろう”と手紙にあるごとく、自分に降りかかった試練や困難は、むしろキリストの十字架を知る上で慶びとしなければならないだろうがそうではないというのは、やはり土台が緩い斜陽産業とならざるを得ない。羊は羊飼いにこう言うのである。「羊が羊を産むのであるとするなら羊飼いはどのように羊を導こうとしているのか、羊飼いの言葉でしっかり示して欲しいのであると」。”キリスト者は試練に遭うように定められている”との手紙をどう読まれるのか、それは当時の話としてかたづけられるのか・・・と問いたい。心のあり方の持ちよう、それのみ、そのサロン雰囲気だけで集客しようとするのはすでに困難な時代である。しかも、そのようなことは歴史の上でなんどか繰り返されているのを知らなければいけない。イエスは、「私はよい羊飼いと言われたが」、現存の牧師がそれはイエスのこととして羊飼いを言っているとすれば、自分の職業は”よい”とは言わないまでも羊飼いであると自認しなくてはいけない。さて、話がおおきくずれてきたが、不条理について

◆肉的(パウロが手紙で用いる「外なる人」)にのみに読むのであれば、イエスの言葉は不条理だらけであろう。次の言葉をどう考えるか。
 
 「あなた自身を愛すように、あなたの隣人を愛しなさい」
 
 「自分を捨て、自分の十字架を背負って我に従え」  

◆そもそも、「自分」などということを誰もが改めて考えることなどしていないのであるから・・・ これを読まれる方はどう思われるだろうか。・・・続く 
 

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