marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(112回目)

2016-08-28 00:04:45 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 口語訳。前回からの続き少し・・・。
先回はとても大切なことを偉そうに書いた気がするな。このブログの目的は、いのちのことばであるイエスの言葉を本当に多くの人に自分の言葉で読んで欲しいと願っているのだ。でも、たいていのノウ・ハウ本は、何故かひっかかるな。それをこと細かに書くと、その道の人から怒られそう・・・。でも、いつか書こうっと。
◆デリケートな問題でもあるが、でも良く考えて欲しいけど、来年は宗教改革から500年、万人祭司を言ったM.ルターさん(111回目R.ルターと書いてしまいましたので訂正ください。Martinus Luther です)は、聖書の言葉を万人のものにと言われて、母国語に翻訳したということは、みんなが自分の言葉で読んで自分のものにしてねということでした。しかし、聖書はいきなり読んでも、新約聖書を読むには、旧約聖書の内容のすごい先理解(前提として分かっていなければいけないこと)があまりにも多すぎるようで、そのことの解説は説教として教会に行かれてお話を聴いてくださいということになりますが、お話聴いてもどうもやはり上澄みだけのようでよう分からん、結局、直截、イエスの言葉を聴くことだとなるわけです。こういう訳で、もし、教会に行かれるとすれば、きちんと聖書研究なりを、日曜(あるいは土曜日礼拝厳守のところもありますが)礼拝以外に行っているところを選んでくださいと言えます。こういう話は本筋から離れますのでここで止めます。
◆さて、前回の宿題とうか、ヨハネさんのフライングというか、前回111回目の日記を読まれて、その当時のヨハネさんの心境を加味しながら、丁寧に読むと、そういえばこう書いてあるのは良い意味でヨハネさんの訴えたいことなのだなと理解できるのではないかと思います。その一例として、これは過去の回にも少し書きましたが、僕の一番好きな話の第9章の生まれつき盲人であった人が、いままで罪の中に生まれたと言われ続けひとりぼっちだったにもかかわらず、イエスが目を開けたという奇跡のわざにあずかった途端、ユダヤ人に逆に説教する場面(9:31)で、「わたしたちはこのことを知っています。~」と(ヨハネの)群れの一員か、少なくとも正統派のユダヤ人たちの伝統的な神との理解とは異なっているという集団の一員として語っている箇所などですね。当時の生まれつき盲人が奇跡を起こされた時点では、まずこのように自分の立場がその一員となるユダヤ人達に対立する集団という形はできあがってはいませんでしたから。このへんにもヨハネさんが現在の”わざ”の目の前の証人(その目の開いた人=若者)を前にして、過去の物語(説教する時点)において、さらに自分たちの神の証しをなす者(神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは聞き入れてくださいます)という先理解も話させていることになっている訳です。時間経過の中で群れが出来た今の時点から過去を書いたというふうに読めますね。次回からどんどん先へ進みます。・・・Ω 

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