marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(554回)再び シモーヌ・ヴェーユのこと 仕事において肉体労働を終えるに当たり

2019-05-06 06:27:43 | 日記
 
世界のベストセラーを読む(349回目)哲学者 シモーヌ・ヴェーユ のこと Ⅰ

 今回は、女性の方が読まれていれば石を投げられるかもしれない(旧約時代当時の刑罰の一つで石で撃ち殺すというのがあった)。それは、表題の女性(※)については、学生時代から本はあったが......
 

◆女性の牧師で、僕と同じようなことを考える方がおられるものだ(肉体の表記の関連部分のみですが)と思ったのでとっておいた記事があったので掲載します。・・・その前に、教会とかキリスト教たか神とかの言葉が出てきたときに、実に多くのしがらみがまとわりついてくるものだということからすっきりさせることを努力ねがいたい。自分と命を与えるキリスト(語る言葉を持つということが難しいとも思うのだが実はそうではなく)という方と直接語るのであり、あまりに多くの書物や長い歴史があるからその辺のまとわりつくゴミをも我々はどうしても同時に考えてしまいがちになる困難さが発生するからである。自分の今の命の源から静かに言葉を探していく、そこから初めて行けばいいのです。・・・それでは、

◆日本基督教団、奥羽教区通信No.325(2018年9月23日発行) 八戸北伝道所 岩田厚子牧師 ◆****

 30代後半、Cコース受験の最中に、「労働は意識を奪う」、「労働を通して、人間は物質になる・・・労働は一種の死のようなもの」とのシモーヌ・ェーユの言葉に突き動かされた私は、教会の外に出て、ベルトコンベアでの流れ作業や、パンとケーキ工場でのアルバイトを経験し、牧師になるべく精神の自己訓練をしていました。・・・私たちにとって神に全面的に信頼し、素直に従うことは、実はとても困難なことです。だからこそ戦うことがどうしても必要になってくるのです。思い煩いや心労は、神に委ねるしかありません。むしろ私たちは冷静に物事を判断し、今、自分が求める事は何なのかを考えながら生活し、信仰の実践をしていくことが求められています。・・・「教会こそ、本来の思想力である。・・・われわれは真剣な、集中された意志をもって、教会において『考える人』でなければならぬ」(鈴木正久牧師のことば)。私は、台所にも哲学があると自負し、信徒も神学を身につけていると考えています。それは難しく考える必要はないことです。「まず神の国とその義を」求めて生きる道において与えられます。 ******* ・・・・ 

 


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