marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(28回目)

2016-06-19 17:52:44 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 今日のブログを読まれる方はラッキーです。・・・なに! 何千年に渡り腐るほど(失礼)研究書も解説書もある聖書を読むだと! と殆どの人がまんま表題にするとよほどのノータリン(頭の弱い人=すみません禁止用語?)かオタクだろうと思われるので「聖書」ということばを表題に書かないことに。 こんなの信じて命を賭けて伝えようとしたなんて信じられない・・・が一度きりの人生だ、知ったところで今の時代は、牢屋にぶち込まれる訳でもないから、そしてうまくいけば自分も天国とやらに行けるかもという下心があってもいいので、兎に角、自分の言葉でまずは読んで見てね。で、まずは福音書はヨハネ伝から、他見なくてもということを例のルターさんが言うとるので始めてきました。◆課題は「自分を知る」ということは難しい、自分を考える「言葉」自体を持っていない、持ちにくいということ。それから「言葉」には、意味伝達の話せばその場で役目を終わり消えていく言葉もあるが、そして普段それを我々は使っているが、それもすべて含んでとういうか包括しているというか、言葉がすべてをあらしめているというか(この辺が難しいところだが)、言(「葉」が無い)、ロゴスという神の「言(葉)」があるようなところを学んだ。僕が無謀なことのような(「ような」と書いたのは、無謀だと思っていないからだが)聖書を読むと始めたのは、理解する人は理解するだろう、しない人はしないだろういう禅問答のような中に、すべてのしがらみから解放されて永遠の命を与える神の言を我等のものに!という意気込みに賛同されて下さる方が一人でもおおく生み出されないと、おそらくこの日本の国の今のキリストきょうかい(ここで漢字にしないのは全体という意味が含んでいるので)においては、伝道といいつつ、自らがその壁をつくって権威づけによって神の言葉の伝達を阻害していることに自ら気づいていないのではないかと痛感しているからなのです。組織体の中に満足しているだけではありませんか? そんなのは長い歴史の中でていたらくになっていくばかりではありませんか? そこで、いかめしく小難しい本をいくら翻訳したところで、それはそれでご本人は一生懸命奉仕されているのでよろしいのでしょうが、まずはそのような本は高すぎ。内輪の人のみの満足だけとはなってませんかね? と疑義を呈しているのです。実は、それよりbook offで100円で売られている神の言葉(中味は変わらんのだ)を、生きている今、この自分の言葉で読む、読んでもらう、イエスの声を直截聴く、聴いてもらうということがいかばかりか重要なのではないかということなのだ。今日も脱線! それで最後にラッキーな記事を。なんとイエスからパラダイスに共に行くとよと保証された人間がいたのである。ルカ伝の方:第23章41節から43節。此の中に上の課題の答えらしきものがある。何も心配はいらない・・・Ω 

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