marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その5)宇宙人👽A:アルテミス計画? ロケットオリオンの燃料漏れ

2022-09-07 16:19:46 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 僕らが造られたということ。先のブログからしばらく現れなかった宇宙人👽が軒並み入れ替わり立ち代わり現れて眠れなかった。2時間おきである。歳とってこちらは燃料ではなく排泄の方の小便も漏れが近くなって起こされるせいもあろうが、そればかりでなく、どうも現れるそれ(👽)が同じ奴ではないのである。

先のブログのそれぞれの文章にはここに説明が必要である、と言った前の宇宙人がきたかと思えば、神や霊魂などそもそもない、という奴も現れて、そうかと思えば、記事のあれは肯定するが、こちらのそれは否定するという奴も現れて、尻切れトンボのように結論をださず姿を消してしまう。それで、現れたかと思えば違った奴が出て来て前の奴とは違う見解を言い始めては消えるという具合。

という訳で、頭に残っている彼らの見解を書き留めておきたい。以下、それの意味するところの内容は、とても長いのだったが、それを考えていると話の主要が消えていくようでとりあえず、順次、ひとりずつ記憶にあるものだけを箇条書きにとどめておく。それぞれの言葉は、違う星から来た奴のようだがはっきりしない。入れ替わり立ち代わり消えては表れなので、話す内容から違う奴だったなと後から推察するしかなかった。

耳かじりのニュース。最近、ISという過激グループでも夢を頻繁に見るようで何とキリスト者に改宗する輩もでているという。どんな夢かと言えば、夢の中に白い衣を着たイエス・キリストが現れるというのである。「私が愛する子らを殺すな!」と語るというのである。夢のお告げとういうのは、彼らにとっては伝統的にもとても重要なことなのである。で、僕の場合は、殆ど夢は見ない。その代わり、起こされるのだ。入れかわり立ち代わりというのは、違う星から来るらしかった。

宇宙人👽Aの話:

NASAがアルテミス計画の2度目の延期。正確に言えばロケット名はオリオンというのだが燃料漏れを起こしていたというのであるが、僕らの仕業だ、というのである。延期にならねば計画の名前も世界に流れることはないだろう、と。

オリオン(星座)と言う名は知っているだろうが、ここで新約聖書に復活のイエスの啓示を体現する使徒パウロが、あのマケドニアでその宗教がバリバリの中でイエスのことを命を張って伝道するのであったが、その地のギリシャの神がアルテミスという名前だった。今の日本の神社あたりでもあるが、その神の模造が造られて結構店で売られていたのであった。パウロが偶像であると戒め伝道し始めて、大騒ぎになった事件が頻発したのであったあの件。

「アルテミス! アルテミス! 我らの神が唯一最高だ・・・」商売人は、それを否定されたら飯の食い上げだ、と大乱闘にもなった。そういういきさつ、謂れのある名前がアルテミスなのである。

(※これは何を言いたいのか、つまり、現代も影響をあたえる周知されたキリスト教とは違い心情を無化させて宇宙に向かわしめる計画であって、結局それは彼らへの対面の事実を切り開こうとする意図があるものなのか、と思わされる。)

前に来た時に君に長々と話したろうが、人は共通認識の先理解の言葉が無ければお互い分かったということが出来ないだろう。時代を経て、君らの科学は我らの後追いを時間をかけて行っているけれど、神も霊魂もないと言ったのは、君らの今の段階では”ある”ということにしておくということ。

2万5千年以上も君らの科学から進んでいる我らの世界においては、君らがそのように呼んでいるもの、あるいは神が行ったという現象は我らの世界では既に解明されてしまった科学的事柄なことで当たり前の事なのである。だから、不思議とも思われる現象は、神の人が行う現象であるとみなしてまったく構わないし、事実そうなのであると。

我らが神と呼ぶとされるものは、我らも君らに、君らと同じからだという実態としてからだを現わすことができるが、そもそものこの実態として生じさせている原動力と言えばいいいか、この宇宙に満ち満ちているエネルギーと言えばいいいか。やはり、これはあまりにも君らが科学的と呼ばれる宇宙摂理を説明する言葉の解釈するための先理解の言葉の不足と共有化がないために説明しようがないのだ。

いずれ、君らの世界を創造したという、君ら人間が人を創造することができる、それほど進んだ科学と考えてもらえばいい。死なないといことは、聖書に創造された人が何百歳という寿命であった、といろいろ書かれている記事からも分かるだろう。我らはそういう不死の解明がなされてしまっている。

あなた方の知っているイエスという方は、あなたの住む地球人類の息の(霊の)と言えばいいいか、それも我らは創造したが故に重要な理解事項ではあるのだが、そのバージョンアップのために遣わされた方である。新しい時代を作るために。

その理由? 肉ある者は、地上の肉体の消滅とともにその霊も消滅する。地上においてDNAを引き継いでいけば、引き継ぐ者はその霊の痕跡を記憶していくかもしれない。しかし、肉体が消滅しても君らの言葉で言えば、未練がある?、自分では死んではいない? と思う霊は地上に残るのだ。人によりその時間が異なるけれど。そしていずれは消滅するのだけれど。

人は地上の塵によってつくられたから死んだら塵に返る。けれど、霊は創造主の神(ここでは一応こう書く)と呼ばれる方が一人、ひとりの誕生に吹き込んだものである。と同時に、ここからが混乱するかもしれんが、地上に未練がる(残念至極や怨霊も含む)、自分は死んではいない、そういう浮遊する霊が新しい命の誕生の時に入り込む場合もある。あるいは、弱い霊の場合は生きる過程で入り込む場合もある。君らに見えないないが、その霊のクラウドに多数存在するのである。男女の性的結合のエクスタシーの時に、地上の実態になりたいと願う霊が入り込むのである。違う国の過去の人の前世を記憶する人がいるのは、おかしなことではない。

仏教の場合は、輪廻転生があってこの地上の違う人に転生する。イスラムはこの地上に自らの信仰が実現しなければと争う。争うことでそう地上での優位性の拡張が死後、天国に行くと信じている人々がいる。

しかし、キリストは霊の転生も地上での自己優位性(好戦的な生き物としての排他性)も自分の命でそれを止めた。信じた時点で霊の転生、地上での霊の争いの理由を遮断した。天地創造からの自分の存在のDNA(当然、これが引き継いで来なければ自分も今、ここにいないわけであるから)を引き継いでイエス・キリストにあって信じたその時点で、彼(イエス)に会う為の過去の自分の先祖の人々のすべての人生があった、という具合にその理由を飛躍させたのである。

地上でうろつく霊が、彼を信じたことにより転生がなくなるのである。人生過程で入り込もうとする誰もが脳内の自己破壊的プログラムが働こうとする時、それを我らは敵(悪魔)が仕組んだものとみなしている。これは人によっては大変な戦いとなる。本来の自己優位性が真逆に働き自己否定に働く。外部から死が導かれなければ、自己消滅を願望するように組まれている。

しかし、イエスとの契約者は、次の世界にあって永遠に生きるためにこの地上での死後、眠りにつくのである。彼らが教会で、唱える使徒信条の「生きる者と死ぬる者を裁きたまわん。」という言葉は、永遠に新しいからだ(多くの信者は新しい霊として生きると思っているが、我らの科学では永遠に霊を持った肉体のある実態として生きる)として生きるか、肉体が消滅すれば霊も共に消滅するか、で判断されるということである。

「裁き」という言葉のポイントは、皆が道徳的なことでの判断と思うようだが、そういうしょぼいことではなく「ただ、彼を信じ生きたかどうか」というその一点である。それが新しい「契約」の意味である。

彼イエスは、再び天上から来ると言われる。弟子たちには、「わたしをみたのは父をみたのである」と言われた。その言葉を不思議な言葉と思わないほどに、あなたらの科学が進むことを願っている。違う星から願わないものも来るし、光を装いくる危ない輩もいるが、今も我らの仲間は、彼を多くの人々に繋がるように願っているのである。

「我らの戦いは血肉にあらず、支配と権威、闇の世界の支配者、天における諸々の悪の諸霊に対するものなのである。」

エフェソへの信徒への手紙、”悪と戦え”の章を語って、彼は消えた。  ・・・2:30am