marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(912回)茶色のノートから「キィエルケゴールの言葉」

2021-09-06 09:09:09 | 日記

(初めに)実存主義という哲学のはしりとなったデンマークの哲学者は、以下のような手記を残している。自分探しをしていた18歳のころには、なぜかとても心に響いたものだ。今はでは少し青臭いかもしれないが、成長期だった僕らには、時代や世代を超えた永遠の言葉のように思えたのである。ノートはこう始まっている。・・・「キィエルケゴールは僕の好きな哲学者の一人だ。手記の中から最も好きな文章を書きだしてみたいと思う。・・・」

『私に欠けているのは、私は何をなすべきかということについて、私自身に決心がつかないでいることなのだ。私の使命を理解することが問題なのだ。私にとって真理であるような真理を発見し、私がそのために生き、そして死ぬことを願うようなイデーを発見することが必要なのだ。所謂、客観的な真理などを探し出してみたところで、それが私に何の役に立つだろう。私に欠けていたのは完全な人間らしい生活をおくるということであった。単に認識の生活をおくることではなかったのだ。こうしてのみ私は私の思想の展開を私自身のものでないものの上に基礎づけることなく、私の実存のもっとも深い根源とつながるものの上に基礎づけ、例え全世界が崩れ落ちようともそれにからみついて離れることなく、(そのものの上に)基礎づけることが出来るのだ。真理とはイデーのために生きること以外の何であろう。私に欠けているのはまさにくこれなのだ。だから私はそれを求めて努力しよう。

人は他の何ものを知るより先に、自己みづからを知ることを学ばねばならない。さあ、骰子は投げられたのだ。ー 私はルビコン河を渡るのだ! この道は私を闘争に導くだろう。だが、わたしはたじろぎはしない。過ぎ去った時を悲しもうとは思わない。ーだって悲しんだとて何になるものか。わたしは力強く前進しよう。いたずらに悲しんで時を費やすことはしまい。私は見出した道を駆けて進もう。』(日付がない、数ページ前に11月6日の日付。19〇〇年11月6日以降12月にかけて)

(コメント)彼は当時のキリスト教と戦っている。先祖伝来の思想的土台がない異邦人にとって、十字架が立つ地面の捜索から始めなくてはならなかった。死亡率100%の僕らにとって「自分さがし」の、それは今の誰に対してもの問であろう。