marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(156回目)神学的なことに入りつつ・・・Ⅲ

2016-10-17 20:38:38 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
アメリカ大統領候補、トランプとクリントンのやじ合戦は、数年前に言われた「アメリカ・マインドの終焉」が本当に露骨になってきたものだと言えますね。
◆アメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの「アメリカ史のアイロニー」(大木英夫、深井智明訳 2002年6月29日初版1印)を再読。
先回155回目に書いた”善を維持するために悪をも用いる”という皮肉。必然的にそうなってしまわざるを得ない現在、悪はひそかに隠れていたが、表にとうとう行き場がなくなって出てきたという気配を思ってしまう。この書物は決して古くなく、キリスト教ピューリタンが作った国、アメリカを読めば今後のいくすえが推察できるというものだ。96回目に書いた「冷静さを求める祈り」はこのニバーの祈りであり、それを紹介したのがニーバーのもとで博士論文を書いた最後の学生、神学者大木英夫さんである(ご健在)。生きておられるイエスの父なる神、信ずる者への啓示、霊的日々の促し。自分の言葉で会話すること。

◆「アメリカ史のアイロニー」の一部を紹介します。

 いかなる価値あることも、人生の時間の中でそれを完成することはできない。それゆえひとは”希望”によって救われねばならない。いかにまことに美しく善きことであっても、目に見える歴史の現実の中でそれを明白に実現することはできない。それゆえひとは”信仰”によって救われねばならない。いかに有徳な者であっても、ひとのなすことは、ただひとりだけでは達成することはできない。それゆえにひとは”愛”によって救われるのである。たとえわれわれから見て有徳な行為であると思えるものであっても、われわれの友人あるいは敵から見ればそれは有徳だとは感じられないものなのである。それ故にわれわれは”赦し”という愛の究極的な形によって救われねばならないのである。(p102)
                                                   ・・・

ヨハネによる福音書(敷衍訳)(第6章14節-21節 湖を渡る)

2016-10-17 20:28:00 | 日記
◆ヨハネによる福音書◆湖を渡る(第6章14節~21節)八木誠一訳(1970年)
14:そこで人々はイエスが行った奇蹟を見て、「この人こそほんとうに世の終わり現れる預言者だ」と言った。イエスは人々が来て、彼をつかまえ、王にしようとしているのを知り、ひとりだけで再び山に退いた。
16-17:夕方になると、イエスの弟子達は湖畔に下って、小舟に乗り、湖の対岸のカペナウムに向かった。あたりがすっかり暗くなってもイエスはまだ彼等のところに来なかった。
18-19:強い風が吹いて湖は荒れていた。数キロ舟を漕ぎだして湖の中ほどに来たとき、弟子達はイエスが湖の上を歩いて小舟の傍らに近づいたのを見て、恐れた。
20:イエスは彼等に言った。
 「私だ。怖がることはない」。
21:それで彼等はイエスを小舟に乗せようとしたが、その間もなく小舟は目的地に着いてしまった。