気ままに

大船での気ままな生活日誌

童門冬二さんの講演会

2015-04-10 05:56:55 | Weblog

旅行先の京都からの投稿です。京都に向かう前日、1月8日の、歴史小説家、童門冬二さんの講演会の紹介です。

童門さんが登壇して、まず自己紹介。年齢を聞いてびっくり。昭和2年生まれ、もう米寿だという。えっ!どうみても80歳前。また、お話がじょうずで、まるで落語家みたいだなと、思ったら、話の途中で、小三治がひょこっと顔を出した。あの人は、とびきり、うまいね、マクラが長くて本題は5分で終わちゃうけど、なんて。

童門さんの本題は、横浜市栄区テレビセミナ、第1回講座、”花燃ゆ”の背景だったが、小三治師匠のようにマクラが長く、それがまた、とても面白くて、かつ深かった。

海軍少年飛行兵の特攻隊に入隊し、17歳で終戦を迎え、故郷に帰ったが、冷たい視線。学校の先生も軍国主義から、180度の転換。人間不信に陥り、20歳になったときに、自分の師となる本を探した。一つが内村鑑三の”代表的日本人”。そして、ルーマニアのコンスタンチン・ ゲオルギュの”25時”という小説。スターリン体制のもと、祖国は風前の灯火だったが”たとえ世界の終末が明日であろうとも、わたしは今日リンゴの木 を植える”という言葉に感銘を受けた(開高健も好きな言葉でしたね)。三つ目は太宰の”斜陽”。それを読んで以来、太宰は悪魔(デーモン)のように自分にとりつき、今でも、毎年、桜桃忌には、一人酒で太宰を偲ぶらしい。ペンネームの童門はデーモンから来ているとのこと。

太宰の”正義と微笑”に、かれは、人を喜ばせるのが、何よりも好きであった!という言葉があるが、それは、ほろりと出た彼の本心で、暗いイメージのある太宰だが、彼自身、こうした思いが強かったはずだ、という。内村鑑三の思想もそうだが、これらは、(孔子が人生で一番大事なことと教えた)、"恕(じょ)"の思想に通じ、 相手の立場や心情を察し、思いやり、人を和ませる精神なのだという。

こうした、まくらの話しが長くつづき、本題に入る。吉田松陰は、まさに"恕"の精神を生涯、貫いた人物だということがよくわかった。

昨日の、平安神宮、半木の道、植物園の紅しだれ桜、最高の見頃でしたよ!天気も良かったし。今日は雨の予報ですが、晴れ女がついているから大丈夫!

コメント (2)
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