法隆寺聖霊院前の鏡池の前に、子規の句碑が建っている。”法隆寺の茶店に憩いて”の前書きを添えて、”柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺”。若いときは、この句のどこがいいのだろうと思ったが、年を重ねてもどこがいいのかと思う。でも、実際に、法隆寺の境内に入り、当時の子規の気持ちを想うと(日清戦争の従軍記者として派遣されたが、身体をこわし帰国、松山で漱石と過ごし、帰りにここに寄った)、しみじみとした情感がつたわってくる。
さて、前回、西院伽藍のみ記事にしたが、大宝蔵院と東院伽藍についてはまだである。むしろこちらの方に、有名な仏像さんや宝物が在る。大宝蔵院には百済観音堂が平成10年に完成し、ようやく安住の地が得られた、百済観音さまが安置されている。すらりとしたお姿、左手で水瓶をつまみ、右手をやさしく差しのべていらっしゃるお姿。二十代だった和辻哲郎が、大正七年の五月、当時、奈良博におられた観音様の印象をこう述べている(古寺巡礼)。
百済観音の、あの丸い清らかな腕や、楚々として濁りのない、滑らかな胸の美しさは、人体の美に慣れた心の所産ではなく、はじめて人体に底知れぬ美しさを見出した驚きの所産である。あのかすかに微笑を帯びた、なつかしく優しい、けれども憧憬の結晶のようにほのかな、どことなく気味悪さをさえ伴った顔の表情は、慈悲ということのほかに何事も考えられなくなったういういしい心の、病理的と言っていいほどに烈しい偏執を度外しては考えられない。このことは特に横からながめた時に強く感じられる。面長な柔らかい横顔にも、薄い体の奇妙なうねり方にも。
(百済観音堂と百済観音像)
そして夢違観音。この夏、三井記念美術館でもお会いした。実家に戻り、安堵され、さらにうつくしさを倍加していた。
玉虫厨子。飛鳥時代の建築、絵画、工芸、彫刻などの芸術を寄せ集めた傑作だそうだ。宮殿部と須弥座から構成される。
お馴染み、聖徳太子二王子像。
その他、お宝満載。加えて、大宝蔵殿(院とは別室)では、法隆寺秘宝展。ガイドさんがここにはたいしたものはありません、みな20分ほどで出てきます、と言われたけれど、重要文化財がごろごろ。法隆寺では二流でも、いずれも、他県に来られれば、大スターです。
そして、道をへだてて、東伽藍へ。ここには夢殿、そして、この中に安置される救世観音。聖徳太子よ等身の秘仏だ。
(夢殿)
(ガイドさんに抱かれる救世観音さま)うらやましい(汗)
子規が憩った茶店の後継だろうか。
また、近いうちに是非、訪ねてみよう。