とにかく、こんなに腹が立ったのは久しぶりだ。
目覚めてすぐにまた思い出していらいらしてくる。
生きていくというのは、ことほどさように容易ではない・・・
思えば、私は感情の中でも「怒り」だけは
なぜかストレートに表出するところがあった。
子供の頃からそうだ。
小学3年くらいまでの間は
決まって私の悪口をいうやつがいて
そいつを追いかけ回して捕まえて
思いっきりしばくのが、ひとつのコミュニケーションだった(なんだそりゃ)
今から考えてみれば、相手もいわば直感的に私の性質を見抜き
「こうやれば反応してくるぞ」というのが分かっていてやってきており、
私のほうでもなかばそういう状況を期待しているというところがあればこそ
何がしかのコミュニケーションになっているという
そういう暗黙の合意のようなものを前提にしていたように思う。
そう考えると、年が長じるにつれ
当然そういう悪口を言うやつは減り
私は私で、たとえ何か気に食わないことがあったからといって
いちいちしばくわけにも行かなくなってくる。
そうして次第にコミュニケーションのひとつのチャネルが閉じてしまったように思うのだ。
私はいわゆるニートでも引きこもりでもなく
まぁ、なんとか働いてはいるわけだが
控えめに言っても適応など全くできていはいない。
それをなぜかと言えば、よく言われるありがちな言説になるが
端的に言って「コミュニケーション能力の欠落」にあるように思う。
そして、そのうちのいくらかは
子供時代のそういった「原始的作法」を失ったあとに
それに代わる「作法」を身につけることができなかったことに起因するようの思われるのだ。
だいたい会話のキャッチボールよりも
そういう「悪口を言う」→「しばく」という
まぁ、身体レベルでの「反応」でしかコミュニケートできないというは
「まともな大人」という観点からすれば
やはり、とんでもなく困ったことであり
不適応を引き起こすのは仕方がない側面があるように思う。
はてさて、ここまでつらつら考えてみたのは
もちろん、今の怒りを相対化して
すこし落ち着いてみようという魂胆だったのだが
う~ん、やっぱり怒りが解消することはないなぁ・・・
ちょっとは落ち着きましたが。ほんのちょっとだけね。
こういうところも私の「幼児性」なのかも知れない。
そうは言っても、世間の奴らだってたいがいだと思うんですがねぇ。
ああ、やっぱり私は社会不適応者。
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私自身も「コミュニケーション能力」かなり低いと思っています。
世の中?と上手くいかないことも多いしね。
自分が「社会不適応」じゃなくて、「社会が自分にあってない」だけなんじゃないでしょうか。
「コミュニケーション能力が低い」コトが悪いわけではないし、そう思った方が楽ですよ♪
しかし、そういった「摩擦」を回避しながら
うまく生きれないものかなぁと。
今日もまだイライラしてるんですが(笑)
毎度ありがとうございます。
では。