人生、消去法
世捨て人のつぶやき




たしかに、本来病気じゃないような人まで病気にしちゃっているという非難はありえるでしょう。
ただ、ちょっと気になったのが、じゃあなぜこんなおかしなことになったのか?ということ。
NYTの記事のほうでは、一応現代社会のストレス
それも「自由であるが故のストレス」というところを指摘していて
これはこれで、確かにそういう側面はあるな、とは思う。
終風氏が「若者の問題として」とおっしゃるのもこの辺りのこと。

で、私個人の感想はというと
社会の寛容さの減少もあるんじゃないのか、と。

正常と異常の区別は難しい、というのは何も今に始まったことではない。
常に正常と異常の間にはなだらかなグラデーションがあって
いろんな「微妙な」人々がいるわけです。
で、かつては一度異常の枠に入れられると、
ま、取り返しがつかないことになってしまうということで
いろいろ、精神病院の環境改善とか入院措置の緩和だとかあったんでしょう(多分)。

ところが、現代社会は「正常」に分類されている限り
かなり厳しく規定された「正常人」を演じることを強いられる。
ここでいう「正常人」というのはかなり条件が厳しくて
そこにうまく入れない人や途中ではみ出てしなうような人が必ず出てくる。
でも、その逸脱は「あってなきもの」として扱われる。
なぜなら「彼(彼女)は正常だから」。
「異常」の条件も厳しいですから、そんなに簡単には「異常」にはなれない。

正常な人は・・・いい年こいて泣きわめいたりせず・性欲は多すぎず少なすぎず・みんなと仲良くして・犯罪には手を染めず・食事も適切で・家族を大事にし・人生を楽しみ・未来に希望を持っている・・・
あり得ないわけです、そんなのは。

だけど、上記のような要件を満たさないからといって「狂っている」訳ではない。
狂っていない以上、正常なわけです。当然ですが。
正常なのにも関わらず「正常に」振る舞えないというのは
結局、彼(彼女)の個人的な『努力』が足りないだけとされてしまう・・・

このように、正常なはずなのに正常ではなく
かと言って、異常というわけでもない人たちが取り残される。
正常と異常の間のエアポケットというか。

彼(彼女)らは本人も苦しむし、周りも困る。でも、正常。
で、このような状況の中で「正常」からの圧迫を逃れる手段として
新たな「病」が発明されるに至ったと言えないだろうかと思うわけです。

ま、個人的にもそういうのってあるんですよ。
「いや、もう俺、シゾイド型人格障害だからさ(爆)」みたいな。
楽になれるんですよね。そう言ってしまうことで(言える相手は限られますが)。

翻って考えてみるに、かつての社会では何も誰が見ても狂人という人が
たとえば宗教的な役割や特殊な能力の持ち主として扱われただけでなく
その他の「微妙な」人たちも「困った奴だね」とか言われながら
それなりに居場所があったんじゃなかろうかと思うわけです。
それが今は、ちょっとしたことでもすぐに
「排除の論理」が働いてしまうようになって来ているような気がします。
これに対する、対抗措置として新たな「病」は発明されたのではないでしょうか?
(一見確かに「病」自体が排除の論理のようでいて、
 その実、殺人等の犯人の刑事責任の有無を論じる際に
 「心身耗弱」が犯人を刑罰という排除の論理から
 「救う」手段に使われるように)

工業化社会になるにしたがって、必要とされる人間の型が狭まっていき
同時にそこからあぶれる人間へのセーフティネットもなくなっていくと。
逃げたくなりますよ、そりゃ。
でも逃げられないんだから、ますますいやになりますよ。

で、病気扱いされるのは基本的のはいやなもんなんですが、
新しく出て来た「病」はどれも「現状を消極的にではあるが肯定する」面があって、
「病」だと言ってもらわないと(=自分の現状を否認されると)もっとつらいわけです。
なんだかね、ですが。

新しい「病」はこれからもしばらくは量産され続けそうですね。
結局、世界中みんな病気ということになって、
「つーことはみんな正常」ってなっちゃうのかな(わけないか)。

ま、この辺にしておきます。

では。

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