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人生、消去法
世捨て人のつぶやき




早いもので、帰郷して丸11年になった。



状況は好転する兆しがなく、鬱々とした日々が続く。



今日はかなり気温が上がり、アメダスの速報値(翌日に訂正されることが多い)だと26.6度だ。



暑い。



まだ、エアコンで冷房は入れていないが、明日はもっと暑くなるらしいから、今季初の冷房ということになりそう。



うつのほうは一向に良くならない。



先月からラツーダという新しい薬を試している。



昨日から増量で、40mgになった。



効いてくれればいいのだが。


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ボールペンの補充をしようとAmazonにアクセスしたところ、次のような表示が出てびっくり。



「ええぇっ!」となり、ググったところ次のような記事を発見。


結論としては、一時的なエラーのようなのだが。



うーん。



可能性としては、セキュリティソフトやアドブロッカーの類のせいで、こちらの位置情報を誤ってAmazon側が認識してしまっているというものだろうか。



ま、注文画面に進むと、正しい住所が出たので問題はなかったのだが、気持ち悪いなぁ。


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この動画に出てくるつみれ入りの味噌汁というのがうまそうだったので、晩飯に作ってみた。



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私の大学での恩師(当時助教授、現在で言えば准教授)は「インテリは左翼じゃないとね〜」とおっしゃっていた。



四半世紀も前のことだ。



私は深く考えもせずに、「そっすねー」と軽く答え、特段違和感は感じなかった。



それから幾星霜、2009〜2012年のいわゆる”悪夢の”民主党政権があり、左派への失望が募り、その後の2015年以降のSEALDs騒動くらいからだろうか、あまりにナイーブな左翼的な思考が疎ましがられるようになり、その反動として、保守的思考が幅を利かせるようになってきた。



そんな今だからこそ立ち止まって、「なぜインテリには左翼が多いのか?」を考えてみることには幾分かの意味はあるのではないか。




【その1】



(私の狭い視野に入ってくるものだけの話ではあるが)保守言論界隈で言われるのは、GHQによる戦後統制の影響だ。



たしかに、戦前の国粋主義的な思考を駆逐するために、GHQは非常にわかりやすい形、すなわち教職追放を行った。



このことが、戦後の思潮を支配する契機になったことは認めなくてはならないだろう。



追放された側の(つまり、「転向」しなかった人々の)「恨み骨髄」は理解できる。



しかし、ここは冷静に観察することが必要だ。



「恨み骨髄」に共感・共鳴しているだけではいけない。



アメリカの占領政策を担った人々、特に日本国憲法の起草に関わった人々は、今で言う「リベラル」な人たちだったというのはいいとしても、「共産主義者」の名で括るのはあまりにも乱暴だ。



輪をかけて困ったことに、保守言論ではここから、共産主義の「悪魔化」を始めてしまう。



いわく、GHQのブレーンは共産主義者、そして共産主義者は世界的ネットワークを駆使して世界中至るところに力を行使していた云々・・・。



確かに当時のインテリは多かれ少なかれ共産主義・マルクス思想の影響は受けてはいただろうことは想像に難くない。



言い換えれば、「資本主義の問題を憂える」というのは、政治的左右を問わず「インテリ仕草」として必須だったということをわきまえる必要がある。



インテリたるもの、その使命として、その時代の問題を強く意識し(19世紀末から西欧で解決すべき最大の問題とされたのは資本主義であり、その結実がマルクスの『資本論』だった)、その上で自らの学問的営為が営まれるというのは、いわば暗黙の了解だったのだ。



だが、そのことを知らないことが「共産主義の悪魔化」を正当化しはしない。



まるで全世界の共産主義者が共謀して狡知を巡らし、陰謀を企て、闇の力を以って全ての裏で糸を引いているかのような言い草は笑止である。





以上の【その1】を受けた上で(GHQの影響は認めた上で)、もう一段考えを進められないか。





【その2】



戦後もすでに78年。



一世代25年と言われるので、単純計算で3回以上代替わりしているはずなのだが、今でもインテリに左翼的傾向の人物が圧倒的に多いという事実は変わらない。



この間、1989年にベルリンの壁崩壊、そして1991年にはついに共産主義の巨頭ソ連が崩壊し、共産主義は目に見えて退潮していった。



この事をもって「歴史の終わり」などという派手で愚かな文言を弄し、後に恥を晒した学者もいた(今、どうしてるんだろう?と思って検索してみたら、少しづつ軌道修正しながら現在もご健在のようだ。右顧左眄してなんとか地位を確保しているというところか。彼のような人物は、いわば一種のイデオローグなのであり、亜インテリとして括るのが正しいように思われる)。



加えて、戦後の最大の左翼思想運動を担った、いわゆる「団塊の世代」が2007年ごろから大量に退職時期を迎え、さらに今年2023年からは彼ら彼女らは後期高齢者となり、いよいよ第一線から消えていくようになった。



※団塊世代の「欺瞞性」については、またどこかで稿を改めて書いてみたいと考えている。



繰り返すまでもないが、いまや共産主義国だったはずの中国は権威主義的国家資本主義国と化し、他の「共産主義国」もその実態はただの独裁の方便であることがはっきりした。



世間的には、すでに「共産主義」は死語であり、なんとか「リベラル」という言葉のうちになんとかその残滓が生き残っている、と言うべきだろう。



普通に考えれば、インテリ層の左翼的思考も変わりそうなものだ。



しかし、実際には根強く左翼的インテリというのは存続している。



というか、むしろアカデミアを支配し、左翼でなければ人にあらず、的な風潮がいまだに瀰漫しているというのが現状だろう。



直近では、歴史学者の呉座氏やツイッター論客の一人の雁林(@ganrim_)氏などがその逆鱗に触れて、アカデミアから排除されるという事件が起きたのも記憶に新しい。



ここまで継続しているという事実から、もっと本質的に「インテリが左翼的思想を好む理由」があると考えてみるのはどうだろうか。




【その3】



インテリは学者・知識人を指す。



「知」というものの基本傾向として、「普遍性」を志向するというのがある。



わかりやすい例を上げるならば、「1+1=2」は地球上のすべて、もっと言えば宇宙全体で妥当するという事実を参照するとよい。



もちろんこれは「端的な例」であるが、学問の理想形として、一種の「普遍性」を志向するのはインテリを自称するものならば、多少の差はあれ持っているはずのものだと思う。



少し話題がそれるが、日本では「文系・理系」の区別がイビツな形で一種の「常識」となり、血液型性格判断に似た、ある種の決めつけを生んでいるのは嘆かわしい限りだ。



本来は、文系=人文知、理系=サイエンスであり、知の基盤として人文知が存在し、その上に人文知と地続きにサイエンスがあるという理解を広めるのが望ましいが、現状の日本の状況を鑑みるに、なかなかに難しい問題である。



閑話休題。



学問というのは、真理の探求である。



真理というのは、究極的にはひとつしかないものだ。



同じレベルの2つの真理が併存するというのは、基本的には考えられない。



それまでに真理だと信じられてきたものは、新たな研究によってより高次の真理が打ち立てられたときには打ち捨てられる。



これが学問的真理というドグマである。



これがインテリの思考の根底にどっかりと根を下ろしている。



【その4】



そのうえで、ここに更にもう一つのレイヤーが加わることになる。



近代以降の政治哲学の大きな流れとしての「リベラリズム」である。



近代以降、市民(中産階級)が力をつけて、政治の主体となっていった。



その過程で、「市民」は「自由」を要求した。



政治哲学は、その市民の自由を理論武装する役割を果たした(実際には「鶏と卵」的な側面はあるのだが)。



そして、ここが重要なのだが、この「過程」はまだ終わっておらず、現在も進行中だということである。



この「運動」は「学問」として、「普遍性」を希求する形で今もなお発展の途上にある。



ここでは、「市民の自由の確保および拡大」に「普遍的価値」を見出すという側面があるということを銘記したい。



つまり、「市民の自由を追求すること」は「普遍的」である以上、それは特定の国にしか適用されるようなものではなく、全世界に共通して適用可能な「普遍的な命題」なのである。



このことが、左翼的人々をある種の「国際人」とし、また彼ら自身も自らを「特定の国」に限定された存在とは認めない根拠となっている。





【その5】



さらに、より大きな視点から言えば、古代からの「学問の自治」とも関係があるだろうとも考えられる。



「学問の自治」とは西欧における「大学」の歴史に由来を持つ。



学問の府としての大学は、現在の日本においては、もはや一種の職業訓練学校的なものに成り下がっているが、明治以降の大学制は西欧近代の諸制度を取り入れる中で、いわば借り物として取り入れられたのではあったが、それは戦後になってより徹底的な形で再構築されることになる。



つまり、それが「学問の自治」である。



もちろん、そこには多分に戦前への反省が込められていたことは間違いないが、それ以上に、本来の西欧における意味の大学として、学問というものの自立と自由を謳うものである。



ここでも「自由」が出てくることになる。



大学はそれぞれに独立し、自由を持っている。



しかし、一方で、大学同士は学問における真理の追求という使命において連帯しており、またここでも「普遍性」の名のもとにInter-Nationalなのである。



大学の起源が国民国家よりも遥かに古い起源を持つことから、この「学問の自治」の力は強い。





うまくまとめられなかった。



また、余力があれば書こうと思う。


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今日は気温が上がっている。



14:46に26.6℃を記録した。



もはや初夏の陽気と言っていいだろう。



午前中は分厚いトレーナーを着込んでいたのだが、昼食後にそれを脱ぎ、ついでにヒートテックのタイツも脱いだ。



とはいえ、桜の季節も過ぎ、新緑が目にまぶしい季節なのだから、まぁこのくらいの陽気は当然なのかもしれない。



山にはヤマツツジの紫色の花が咲き、近所の神社の周りに植えられているツツジのつぼみも開き始めた。



今年は、例年になく時間の経つのが早く感じられる。



年なのだから仕方ないのかもしれないが、なんだか寂しいものである。



元気になりたいなぁ。


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今日の夕飯の食材を買いにスーパーへ行ったところ、卵豆腐が消えていた。



私は鈍なので、

「あれぇ、この辺にいつもあったはずなんだけどなぁ」

などと考えた。



で、帰宅してから気がついた。



最近の卵不足で卵の価格が高騰し、おそらく卵豆腐の採算が合わなくなったのだ。



いやぁ、我ながら気づくのが遅い・・・。



もう、何もかも値上がりしていて、どんどん生活がきつくなっていく。



やれやれ。


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いちおう正確を期して、発言者とその発言を引く。

石坂啓:(安倍氏暗殺を知ったときの発言)「でかした!」
その夫:「山上様」




これは多くの人がドン引きしたし、私もドン引きしたひとり。



そして、こうしたイデオロギーに染まった人間は、いかに醜悪で恐るべきものであるかは、ネット上でたくさん語られた。



その流れの中で、自分はこうした醜さからは遠いという安心感も得た。



私はまだ人の心を保っているんだと。



しかし、数日前、なにげなくつらつらと思いを巡らしているうちに、こんな事を考えた。



もし、誰かが「竹中平蔵」を襲撃して暗殺したとしたら、自分はどんな反応をするだろうか?と。



恥を忍んで言うが、私は石坂啓と同じ言葉で快哉を叫ぶ可能性が高い。



なんてこった!



とても手放しに石坂啓を批判などできないことがわかってしまった。



もう一度、なんてこった!



「こいつさえいなければ」という思考が、人をこんなにも残忍にし、かつそのことを自覚できないようにしてしまう。



閑話休題。



政治の世界では、いまや安倍氏に変わる「巨悪」を求めて右往左往しているように見える。



しかし、自戒の念を込めて思うのは次の言葉である。



「汝自身を知れ」


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キーボードを新調する際に、おすすめ商品に出てきたケンジントンのトラックボールがかなり安かったので、勢いで買ってしまった。



 


8,645円。



かなり安いのではないだろうか。



かつては1万円超えの製品だったはずだ。



円安なのにどうして・・・。



今になって冷静に考えてみると、ひょっとするとモデルチェンジが控えていて、在庫処分なのかも・・・とか思ったり。



なにはともあれ、初めてのトラックボール。



むかし電気店の店頭で触ったことはあるものの、そんな記憶ははるか彼方。



届いた大きなダンボール箱を開けるとこのトラックボールの小箱が入っていたのだが、想像していたよりも一回り小さい。



開封して取り出してみると、やはり小さい。



気のせいか。



Appleの純正トラックパッドになれた身にはいささか違和感がある。



マジックトラックパッドだと「ぬるぬる」と無段階にスクロールしたのが、このトラックボールだとカチッカチッとクリック感のある段階的スクロールになる。



設定アプリにはこの「クリック感」に関する項目は無いようで、ネットを見てもむしろこのクリック感がいいという記事ばかりで、アンチの意見はない。



一番困ってしまったのは、複数のデスクトップの移動である。



トラックパッドなら、3本指でサッと左右にスワイプするだけで切り替えられたのだが、いまのところトラックボールでは切り替え方がわからない。



仕方ないのでキーボードのショートカット、control+矢印キーで対応。



うーん、マジックトラックパッドに戻すかも。


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先週の木曜日に、ふと思い立ってパソコン(Mac mini)のキーボードをAmazon
でポチってしまった。



YouTubeで書斎系の動画を見て、ほほう、と思ったからだ。



Appleのマジックキーボードは少し使いづらいなと改めて感じてしまったこともある。



過去には、マジックキーボードの裏に百均の吸盤を貼り付けて高さを上げたり、戻したりしていた。


2018/07/02


2018/11/26



それから、はや4年以上になる。



今回購入したのは、Keychrone K2 Version 2というモデル。

 


全く知らないメーカーだったが、


>Keychron社は香港とフランスに会社を持ち、2017年からキーボードを作っているメーカーです。 


とのこと。



今日になってようやくAmazonから届き、さっそくマジックキーボードと取り替え。



箱から出すと、見た目からは想像できないほどずっしり・・・。



比較のため調べると、マジックキーボードの重さは239g。



対して、Keychrone K2 Version 2は794g。



なんと、約3.3倍の重さ。



あまりの違いに、「お、おぅ・・・」となってしまった。



接続は有線(USB C to A)/Bluetooth。



Bluetooth接続の場合、一番最初の接続時だけ、”Fnキー+1”を4秒以上押すことになっている。



これでペアリングができる。



マジックキーボードとは高さが全く違うので最初は少し戸惑うが、しばらくすればこちらのほうが手の負担感が格段に少ないということに気づく。



打鍵感もまた完全にマジックキーボードとは別物で、カシャカシャという音が気になる。



まさに、これ。 ↓






マジックキーボードがあまりに静かだったせいもあって、気になるっちゃあ気になる。



だが、この感覚はどこかで経験があるような・・・と思ったら、小学生の頃に触った国産パソコンのキーボードに似ている(親に買ってもらったSHARPのX1Gや友人のNEC PC88、PC98など)。



カシャカシャというか、カチカチというか、いかにもコンピューターに打ち込んでますっていう感覚。



あと、マジックキーボードよりだいぶ高さが出るのでパームレストもあったほうが良いとのことだったので、純正のを楽天で買っておいた(Amazonでは品切れだった)。



(楽天のリンクがうまく貼れないので画像のみ。型番はPalm-Rest/K2-PR1)


純正だけあって、幅もぴったりで高級感がある。



あとは慣れるのみ。


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昨年末くらいからiPhone8のバッテリーがヘタってきて、半日も持たない状態になっていた。



そりゃあ、最新のiPhoneが14だから、8などええかげん買い替え〜やというところ。



今年に入ると、100%の状態で夜寝ると、朝には残り5%とかになるようになった。



「困ったなぁ。とはいえ、買い換えるのは10万以上の出費になるのでキツイなぁ」などと考えていた。



ネットで検索してみたら、車で30分ほどのところにあるショッピングモールの中にスマホやPCの修理をしているお店があって、そこがバッテリーの交換もしてくれるということまではなんとか調べた。



が、なかなかそこまで行く元気も出ず、なんやかんやで3月になった。



ところが、である。



なぜだかはわからないのだが、バッテリーの持ちが良くなった。



100%で夜寝ると、朝には60%程度で収まるようになった。



これで余計な出費が抑えられた。



やれやれ。


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なにげなくAmazonでMac用のキーボードを探していて気づいたのだが、Amazonには「お気に入り」の機能がないのだなぁ。



楽天とかだと、とりあえず気になったものをお気に入り登録して、あとからざっと見直すことができる。



当たり前だと思っていたその機能がAmazonにはない。



いまさらだが。



いまのところ「ほしいものリスト」に登録するしかなさそうだ。



うーん。



Amazonに意外な盲点。



Chromeの拡張機能で何かないか探してみよう。


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ウグイスの声を初確認!!!

先程、洗濯機から洗濯物を取り出していたら、家の前の神社の森からウグイスの声が聞こえてきた。今春になっての初確認である。今朝は、最低気温も3.7℃と高く(昨日はマイナス4.1℃......

先ほど、食材を買いに行った帰り道、神社の森からウグイスの声が聞こえた。



そのことを書こうと思ったら、なんと去年の同日にもウグイスの声が聞こえたことが判明。



シンクロニシティ。



去年の今日の最低気温は3.7℃だったが、今年は1.8℃とまだ低い。



とはいえ、季節は確実に進んでいる。



歳のせいか、年々時間の経つのが早くなっていく。



仕方のないことなのだろうが、一抹の寂しさは残る。



忍び寄る老い。



残された時間は短い。


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昨年末くらいから見ているチャンネル。



なんというか、「丁寧な暮らし」みたいな趣きがある。



スパムをよく食べるので沖縄出身の人かと思ったら違った。



絶望だ地獄だ言うわりには、酒は本物のビールだったりして、ま、そこはご愛嬌(最初は「そこはストゼロだろ!」とか思ったりしたが、ま、それも無粋というものだと気づいた)。



【手取り16万】地獄の自炊生活【40歳寮暮らし】| 絶望飯1週間


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スマホで変な広告が出た。



いつもは気に求めないのだが、思わず二度見した。



ラーメン屋の広告かな?と思ったら、なんと学習塾の広告だった。



いや、頑固そうな顔して腕組みするポーズって、ラーメン屋の写真でよくあるじゃないですか。







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遅まきながら、今日が啓蟄だと知った。



そういえば、2月にこんなエントリをしていた。


このときに今年の啓蟄は3月6日だと気づいていたのだが、完全に忘れてしまっていた。



今日はよく晴れていて、たしかに虫が動き出しそうではある。



年々、月日の経つのが早くなっているのだが、今年は特に早く感じる。



ついこの間、正月だったのに、もう3月である。



読書もまともにできない日々が続く。



書籍購入は毎月するので、積読がどんどん増えていくばかり。



とはいえ、田舎なので本の購入は通販頼みになる。



これには利点もあって、大型書店のある都会にいたら、なおさら沢山の本を次々と購入してしまうだろうからだ。



とはいえ、大型書店がやはり懐かしい。



文庫や新書の新刊チェックなどはネットでは面倒なのでしていない。



店頭なら、何気なく立ち寄って手に取り、書き出しの文章を少し読んで、その本の良し悪しを吟味できる。



ま、たいていは魅力を感じてしまうわけだが。



数年前にAmazonの「おすすめ」機能が大幅に改悪されてから、Amazonで本を買うことはほとんどなくなった。



懐かしくなってググってみたが、はっきりした時期はわからない。



だいたい2018年ごろのことだったようである。



改悪前のAmazonの「おすすめ」機能はけっこう優秀で、購入した本から、かなりの精度で「グッと来る」ものを「これはどうですか?」と提案してくるのである。



基本的にネット広告の氾濫には辟易しているくちなので、購入履歴やら検索履歴やらを収集されるのは嫌と感じるのだが、かつてのAmazonのおすすめ機能だけは、ありがたいというか、信頼が置けるというか、とにかく便利だった。



上がってくるおすすめリストに対して、「これはすでに持っている」とか「興味がない」とか登録することができ、実質的な蔵書目録代わりになっていた。



が、それも、2018年に終わりを告げた。



もともと遅読だったのが、うつ病でさらに遅くなり、ここ数年は老いのせいだろうか、またさらに遅くなった。



困ったものだ。



で、その本はどこで買っているかというと楽天ブックスである。



要するに、「ポイント乞食」をやっているわけだ。



楽天ブックスには、しっかりしたおすすめ機能がないので(一応おすすめはあるのだが、的はずれなものばかり示してくる)、購入する際はAmazonで調べる。



とはいえ、最初の知るきっかけとなる情報元が以前に比べて格段に少なくなってしまったことは事実で、書評サイトくらいしか現状頼るものがないのは寂しいところ。



で、おすすめ改悪後のAmazonは、私にはほとんど「定期おトク便」だけのものとなっている。



まぁ、私も人並みにサプリとかには関心があり、色々と飲んでいる。



サプリメントとは、現代人一般が罹っている、一種のおまじない信仰のようなものだ。



そうは言っても「病は気から」ともいう。



バカにはできない。



医薬品の効能の検査には二重盲検法という、プラシーボ効果(偽薬効果)を見込んだ方法が採られているくらいだ。



しかし、逆に困るのは、サプリばかり買っているので、たまに本について調べようとAmazonを開くと、サプリのおすすめばかりが出てくること。



それが嫌で、さらにAmazonから遠のきつつあるのが現状。



いやはや。


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