
2025年2月16日(日)午前中、山鹿市立博物館で開催中の『絵図・地図で見る山鹿』展をようやくの観覧。鳥瞰図絵師・吉田初三郎が太平洋戦争下の熊本県葦北郡佐敷に疎開し、仮画室を構えて1945(昭和20)年に描いた「菊池史蹟図」絹本肉筆画が初公開展示されています。

ここに展示されている絹本肉筆画は、吉田初三郎自らが1945(昭和20)年8月8日、海軍軍神・松尾敬宇中佐の生家に届けた「菊池史蹟図」です。初三郎はこの作品を描く経緯を「佐敷日記」に記していて、前年に戦意高揚映画として制作された映画「菊池千本槍」に関連して当時の熊本県知事の依頼により制作に入ったことが分かっています。ちなみに、同映画の監督は文藝春秋・菊池寛、ロケ時の記念写真なども松尾家で見せていただきました。

2013年春、私は山鹿市教育委員会からの依頼で松尾家に伝わるこの作品を確認。関連する膨大な資料も閲覧し、初三郎ご遺族宅に遺る松尾様からの手紙類と合わせて全容を把握。本図は、晧台寺住職・村上蘇道禅師の指導を仰ぎ、貴族院議員で熊本財界の雄だった古荘財閥・古荘健次郎氏の後援を得て描かれたもの。
この作品を持参した日、初三郎は夜には佐敷の蟄居画室へ戻って「佐敷大空襲」に遭遇しています。この時、画室で描いていた作品は徳富蘇峰に依頼された「阿蘇大観図」で、焼夷弾が絹本に到達し、穴が空いたが無事だったこと、その10日後には大観図を仕上げたことが日記等に記されています。「阿蘇大観図」は神奈川県二宮町の徳富蘇峰記念館に今も収蔵されており、機会あるごとに展示されています。
また、菊池神社宝物館に収蔵展示されている同名鳥瞰図肉筆画と今回展示されている「菊池史蹟図」は一対の作品ですが、菊池神社に奉納されたのは終戦後の1946(昭和21)年3月です。また、古荘健次郎の繋がりにより、初三郎は終戦直後には九州産業交通が経営していた阿蘇観光ホテルに飾る「阿蘇大観図」絹本肉筆画を1947(昭和22)年に制作しています。内容的には、蘇峰記念館にある作品と対になるものだったようで、進駐軍にもこの作品は賞賛を受け、1949(昭和24)年の昭和天皇ご巡幸の際には展覧を受けています。

山鹿市立博物館の展示を観覧した後、私は松尾敬宇中佐のお墓参りをして生家・松尾家にもご挨拶に伺いました。出迎えてくれたのは、今回の展示写真で初三郎の横で写真に写っている(4歳当時)松尾和子さんと飼い猫でした。

ちなみに、西日本鉄道の天神大牟田線は元々、熊本延伸が計画されていましたが、熊本側のまとめ役だった古荘健次郎が急逝したこともあり、延伸計画を断念しています。後年、この計画を受け継ぐように、西鉄の特急バスは九州産業交通との連携で「ひのくに号」として熊本進出を果たし、九州自動車道の開通に合わせて高速バスとなりました。歴史は繋がっています。