望月東之助には4男4女の子女がありその多くは政治家を志したとのことですが、中でも3男の圭助は中央政界で活躍し逓信大臣、内務大臣等を歴任し、その人情の厚い人格から温情大臣と称されたと伝えられています。
大三島の大見のお生まれで多田無心(院大)さんと云われた日本画家が居られましたが、この無心さんが生前に拙寺に来られた時に、「私は望月圭助先生に大変お世話になりました。東京の先生宅の書生を務めさせて貰いながら美学校に通わせて頂きました」と、話しておられました。多田無心さんの描かれた達磨絵は素晴らしいものばっかりで、達磨の絵を描かれた時にはお礼を貰われなかったそうです。このようなお徳は望月圭助先生の薫陶が感じられます。
画像は望月家の母屋内部のたたずまい。
大三島の大見のお生まれで多田無心(院大)さんと云われた日本画家が居られましたが、この無心さんが生前に拙寺に来られた時に、「私は望月圭助先生に大変お世話になりました。東京の先生宅の書生を務めさせて貰いながら美学校に通わせて頂きました」と、話しておられました。多田無心さんの描かれた達磨絵は素晴らしいものばっかりで、達磨の絵を描かれた時にはお礼を貰われなかったそうです。このようなお徳は望月圭助先生の薫陶が感じられます。
画像は望月家の母屋内部のたたずまい。