咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

明治・大正期の浦和~大門間里程

2019年07月23日 | 日記
国立国会図書館デジタルコレクションで『埼玉県管轄内里程便覧』(明治20年3月出版)を閲覧する
コマ番号62以下に附録があり、コマ番号62を見る。中山道各宿間里程である。
大正13年大阪毎日新聞発行『日本交通分県地図 其九 埼玉県』別図<埼玉県管内里程図>を見る
さいたま市付近を拡大する
里程図の蕨~浦和間、浦和~大宮間、大宮~上尾間と里程便覧の記述を照合すると里程は合っていると思う。
コマ番号63の右ページを見る。里程図の草加~越ヶ谷、越ヶ谷~粕壁と里程便覧の里程は合っていると思う。
コマ番号64の右ページを見る。里程図の大門~岩槻間と里程便覧の里程は合っていると思う。
コマ番号64の左ページを見る。里程図の浦和~大門間は2.12であるが、里程便覧の里程は2.30となっている。
明治20年の里程便覧は2里30町であるが、大正13年の里程図では2里12町ということで、18町短くなっている。
1町を109mで計算すると1,962mになる。約2Kmである。

明治13年測量の地図で浦和の中山道から大門町までの当時の一般的道を赤で示すとこのようになると思う。
明治20年の里程便覧(2里30町)のルートはこの道に近いのではないだろうか。

昭和4年頃の地図で浦和の中山道から大門村までの当時の一般的道を赤で示すこのようになると思う。
中山道から緑区中尾の吉祥寺付近までは明治13年地図の道とあまり変わっていないのだが、その先で大きく道筋が変わったと思う。
昭和4年頃の地図に明治13年地図の道を緑で示すこのようになると思う。
大正13年の里程図(2里12町)の浦和~大門間のルートは昭和4年頃の地図の道に近いのではないかと思う。

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