咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

浦和駅西口にあった丸井

2018年05月10日 | 日記
2015年06月14日ブログで私は「浦和のうら」HPにあった昭和の商工案内図を見た。そして現在地図に赤で囲んだところは商工案内図のここではないかと書いた。

さて、この商工案内図の右側(東)を見ると丸井浦和店がある。
昭和53年発行写真集の写真で浦和駅西口を見る。
丸井の屋上看板が見える。
平成12年浦和市立郷土博物館発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の昭和47年浦和駅西口交番前の写真に丸井が写っている。
昭和56年西口駅前再開発後の西口交番前の写真を見る。交番と道路を隔てて丸井が見える。

ウィキペディア丸井の「過去に存在した丸井の店舗」から『大宮店浦和館(旧・浦和店)』を見ると “ 浦和駅西口交番そばにあり、1964年(昭和39年)に開店し1985年(昭和60年)に閉店した。閉店後は洋服のアストリア浦和店となったが2001年(平成13年)4月に閉店。同年10月にプレバブ建てで「さくらや浦和駅西口総合館」がオープンしたが、2008年(平成20年)4月に再開発事業に伴う立ち退きを理由に閉店した。現在は駐車場になっている。” と記述されており、丸井浦和店は昭和39年から昭和60年まであったことがわかる。

商工案内図に赤で示した道は現在この道だと思う。
丸井浦和店はここにあったと思う。
今年3月の写真。


昭和53年発行写真集の写真には丸井の屋上看板の隣りに大東京火災の屋上看板が見える。
西口駅前再開発後の写真の右下にその看板が見える。
商工案内図の大東京火災の場所と一致すると思う。
平成3年の鳥瞰写真を見る。丸井は閉店し、洋服のアストリア浦和店になっていると思う。
平成3年の地図を見ると「アストリア」が表示されている。
大東京火災の屋上看板があった場所には現在「東進ハイスクール」の看板があると思う。
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6 コメント

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高かったギター (セミオート)
2018-05-10 19:10:21
1968年頃、この丸井でエレクトリックギターを買いました。
3万円くらいした物ですから、月賦以外では買う方法がなかったのです。
あの頃はすべて払い終えるとガラスのお皿やボールをくれました。
1980年代の前半アメリカにまで持って行き、今も何処かにあると思います。
ギターは、たぶん川崎の親戚が保管していることでしょう。
エレキギター (咲いた万歩)
2018-05-10 22:01:59
こんばんは。
私が実家で暮らしていた頃、隣の青年が4人位でエレキバンドを組んで、よく練習していました。
結構な騒音でしたが、近所トラブルはなかったです。皆さん、おおらかでした。
ギター・アンプ・スピーカーと揃えるとかなりの出費になったと思います。
大東京火災海上保険さん。 (みやのこ)
2018-05-13 17:22:11
こんにちは。
今ではあいおいニッセイ同和損害保険さんになってる大東京火災海上保険さんは、武州・大宮にも、かつて産業道路と中央通りが交わる東町交差点の北東側にあったけど、鐘のマークと「大東京火災」の広告塔が印象にあり、目印的な建物だったのを覚えてます。

現在でも建物は現存してるものの、なにぶん当方にとって思い出ぶかい建物ゆえに、大東京火災さんのネタをみて、ふと思い出した次第であります。

以上をもちまして、失礼します。
東町交差点 (咲いた万歩)
2018-05-13 18:53:48
こんばんは。
東町交差点にあった大東京火災の広告塔は私もよく覚えています。
上野田方面から帰社する時、大東京火災の看板を目印に右折したのです。
Unknown (toshi1390)
2018-10-24 13:12:16
確かにこの場所に丸井はありました。ちょっと話がずれてしまいますが、イトーヨーカ堂の前の通り(旧清水屋横丁)と中山道との交差点の右側、現在ローソンになっていますが、その昔ここにダイエーがありました。
ダイエーがあった場所 (咲いた万歩)
2018-10-24 17:18:45
こんにちは。
ダイエーがあった場所は知りませんでした。
ご教示ありがとうございます。

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