まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

手でつながる 『じっと手を見る』 『掏摸』 『九年前の祈り』

2018-11-07 08:30:12 | 

 偶然にも3冊とも「手」が重要な役割をしていることで繋がっているな、と。

『じっと手を見る』窪 美澄著  「ふがいない僕は空を見た」に続く2作目
タイトル通り文字通り「手」が生を死を表している。

『掏摸』中村文則著  「教団X」途中挫折で、今度はどうかしらと読み始めた。
タイトルが示すように掏摸を生業としている主人公は、自分の手そのものが生きる糧を稼ぎ出す。

『九年目の祈り』 小野正嗣著 
日曜美術館司会ですっかりファンになって。好きってだけじゃなくて小説も読まねばと。
手のひらを合わせたり手を組み合わせることは祈りの姿勢。


富士山を望む町で介護士として働く、かつて恋人同士だった日奈と海斗。
老人の世話をし、ショッピングモールに出掛けることだけが息抜きの日奈の家に、東京に住む宮澤が庭の草刈りに通ってくるようになる。生まれ育った町以外に思いを馳せるようになる日奈。
一方、海斗は、日奈への思いを断ち切れないまま、同僚の畑中との仲を深め、家族を支えるために町に縛りつけられていくが…。読むほどに打ちのめされる!忘れられない恋愛小説。

いやいや単なる恋愛小説ではない。
生きていると、もっとやるせないどうにもならないことに直面する。

「介護士になれば一生食べられる」
「…触られたって減るもんじゃないし。こんなふうに、おかたい会議開いて、対策は、なんて言うけど、エロじじいの手癖が直ったことなんてないんですよ。」と言い放つシングルマザーの畑中さん。
男が近づきすぎるとすぐに逃げたくなって、ほんとうに姿をくらます。
小説には4人の男女が登場するが彼女にいちばん共感するし好きだわ。

手のひらを広げている死んでいた海斗の父親。
夜勤では、入居の老人たちの手の暖かさを確認して生きていることを実感する。

主人公の日奈は、恋人と別れて富士山の見える祖父と暮らした家に帰って来る。そして思う。

私だけじゃなくて、誰でも、自分のことをよるべないと思う夜があるんじゃない。(中略)
誰かといっしょにいたって、よるべない夜がまた来るんじゃないか。それでも。

日奈さん、その通りです。私もよるべないと思う夜がいつも来ます。「よるべない」ねえ。
自分が布団の中で抱く感情はその言葉で表現できるのかとしみじみしたわ。

彼の手のひらの重さと温かさを感じた。その手がいつか冷たくかたくなることも知っている。
「永遠じゃないから愛おしい」と素直に思えてよかった。

こんな結末で読後感は爽やか。

 

掏摸

東京を仕事場にする天才スリ師。
ある日、彼は「最悪」の男と再会する。男の名は木崎——かつて一度だけ、仕事をともにした闇社会に生きる男。
「これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前が死ぬ。逃げれば、あの子供が死ぬ……」
運命とはなにか。他人の人生を支配するとはどういうことなのか。
そして、社会から外れた人々の想い、その切なる祈りとは——。

全編暗くて救いようがない物語だけれど、その底にわずかな温かみを感じて惹きこまれてしまった。
結末ははっきり描写していないので謎だけれど、主人公に光が射すとようにと願ったわ。

 


三十五になるさなえは、幼い息子の希敏をつれてこの海辺の小さな集落に戻ってきた。
希敏の父、カナダ人のフレデリックは希敏が一歳になる頃、美しい顔立ちだけを息子に残し、
母子の前から姿を消してしまったのだ。何かのスイッチが入ると引きちぎられたミミズのようにのたうちまわり
大騒ぎする息子を持て余しながら、さなえが懐かしく思い出したのは、九年前の「みっちゃん姉」の言葉だった──。

九年の時を経て重なり合う二人の女性の思い。痛みと優しさに満ちた〈母と子〉の物語。

九年前、さなえと地方の町のおばちゃんたちが団体でカナダ旅行に行く。
混雑した地下鉄の中ではぐれないようにと彼女たちはしっかりと手をつなぐ。
が駅を降りた時には二人とはぐれてしまって。責任者の青年たちが探しに行っている間に
みっちゃん姉が見知らぬ教会に入って地元の人を真似て祈りをささげている。とても印象的な場面。
その九年前の出来事と今が交錯し合って物語は進んでいく。

複雑な文章だけれど私でも理解できるので難解ではない。
でもでも小野さん、ごめん、この1冊で勘弁して。

コメント
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