梅雨のこの時期になると、思い出すことがあります。もしかしたら、以前にも、ブログに書いたことがあるかもしれません
「パイユン、パイユン」
子供達は、大きな声でそう叫びながら、新しい車が入ってくるたびに近づいてきます
「パイユン」とは、インドネシア語(たぶん、マレー語でも同じだと思います)で「傘」のこと
熱帯性気候のインドネシアには、雨期があります。しかし、雨期といっても、日本の梅雨のように、一日中、そして何日間もしとしとと雨が降り続く、というものではなく、晴天だったかと思うと、一転にわかにかき曇り、洪水になるんではないか?と思うようなスコールがやってきます
私の主人が仕事の関係で、インドネシアの首都、ジャカルタに駐在していたのは、私の子供達が、まだまだ幼い頃でした 家族全員で赴任地に赴く予定が、主人の父の癌宣告という不測の事態で、主人のみが赴任しました。
私と二人の子供達は、年に3,4回、長い時は3週間、ジャカルタに行き、家族揃っての生活をしました
子供達はまだ小学校の「低学年と幼稚園児」ということもあり、家族でともに行動する事を何よりも喜ぶ年齢でしたから、現地でも頻繁に出かけました
都会のマンション住まいとは違い、ジャカルタでは家も広く、お手伝いさんもおりましたので、私はパソコンを持ち込んで仕事をしていても、家事をする必要はなく、子供達と一緒に遊ぶ時間も十分にあったのです
そんな楽しく、ハッピーなインドネシア生活の中で、唯一、彼らが曇り顔をする瞬間、それが、現地の貧しい子供達の姿を見る時でした
ジャカルタの中心部は、超高層ビルが立ち並ぶ大都会です。しかし、その1本裏の道となると、舗装されていない道も多く、裸足の人達が荷車を牽いている・・・そんなアンバランスな光景が、妙に似合う人の活気に満ちた町でした。
さきほどの「パイユン」のお話
シンガポールに次いで、アジアでは重要なビジネス拠点となるジャカルタには、多くの外国人駐在員が住んでいます。
ですから、現地の富裕層が行く大デパートとは別に、町中には、いくつかの外国人向けのスーパーがあり、週末ともなれば駐在員の買い物客で賑わいます
現地の富裕層、外国人は、移動に公共機関を使うことはなく、常に運転手付きの自家用車を使用します
ですから、そこについた時には店の玄関で下ろしてもらい、買い物を終えると、店の玄関にある「カーコール」で、自分の家の運転手の名前を呼んでもらって、また玄関から車に乗って帰るのですね
しかし、当時、ジャカルタで一番大きかった外国人向けスーパーの玄関は狭く、週末、多くの買い物客がやってくる時にはすべて玄関でさばききれず、時には入口から少し離れたところで車を降りなければならなくなります
公共機関を用いない、車にも運転手がいる、ということになると、私達は普段は傘を持ち歩く必要がありません。しかし、スコールの中、玄関までたどり着けず、途中で降りることを余儀なくされると、たちまち、私達は「ずぶ濡れ」になるわけです
そこで登場するのが、さっきの「パイユン坊や達」
お客が車から降りると、こぞって傘(その傘も決して立派なものではなく、ほとんどが骨が折れていたり、あっちこっち破れていたりするのです)を持って走ってきます そして、後部座席から降りた外国人のお客達に傘をさしかけるのです
お客が玄関に到着すると、彼らは「お駄賃」の硬貨をもらいます。当然、傘が二本あるわけはなく、彼らはずぶ濡れ・・・たぶん、当時で5円とか10円だった気がしますね・・・
子供達の「稼ぐ方法」にはいろいろあり、たとえば、朝夕の渋滞中の車の横にきて(とにかく、朝夕の渋滞は尋常ではありません)、タンバリンを叩いて歌を歌う、窓を拭く(拭いてもらったほうが、窓が汚れるということのほうが多い)・・・、新聞を売る、ミネラルウォーターを売る・・・常々、彼らの生きるたくましさには心を動かされました
しかし、そういう彼らの姿は、私の幼い子供達の目には、大きいな衝撃のようでした・・・
社会派?!の私は日頃から、機会を見つけては「世界中には、まさに今、食べるものが無くて、飢えて死んでいく子供がいる」「十分なお薬やお医者様がなくて、治療も受けられずに病気に苦しむ子供達がいる」「家が貧しく、学びたい!という気持ちがありながら、学校に通えない子供がたくさんいる」etc.etc.
そういう話をよくしていました。 確かに、そういう話を全く聞かされていない子供より、きっと彼らは、そういう現実が「ある」という認識はあったとは思いますが、それでも、やはり日頃は豊かな世界の中で、何不自由なく暮らしている二人には、「遠い世界の話」という感覚しかなたったでしょう。
でも、「パパのところに行くと、本当にたくさんの、いろんな子供達がいるんだ・・・」「ぼくたちは、とっても幸せに暮らしているんだ・・・」それを、五感で感じ、同時に、さまざまな思いが、心の中に渦巻き、時には彼らを混乱させ、心沈ませていたようでした
先日、雨上がりで傘を干していると、コンビニで買ったビニール傘の骨が、1本折れていることを発見。私がその箇所を、何となくさわっているところに、息子が帰宅。
「骨が折れちゃったんだねえ 何か、急に今、ジャカルタを思い出したよ・・・」
すでに成人した息子です。10年以上昔のジャカルタでの「何」を思い出したのかな?・・・私は急に、たずねてみたい衝動に駆られました
ここからは余談ですが・・・
豊かな国に暮らしていると、頭ではわかっていても、同じ地球上に「飢えや病気」と戦っている人達、子供達がいる・・・それは遠い遠い世界の話、そう思ってしまうのが現実です
視覚から入ってくるものはインパクトが大きく、時としてショックが大きく、子供達に少なからずインパクトあるものとして残りますが、やはり、そういう瞬間がない限り、豊かさの実感、感謝の気持ちは生まれないものです。
先日、たまたまこの本を見つけました。是非、みなさんにもご紹介しましょう
「パイユン、パイユン」
子供達は、大きな声でそう叫びながら、新しい車が入ってくるたびに近づいてきます
「パイユン」とは、インドネシア語(たぶん、マレー語でも同じだと思います)で「傘」のこと
熱帯性気候のインドネシアには、雨期があります。しかし、雨期といっても、日本の梅雨のように、一日中、そして何日間もしとしとと雨が降り続く、というものではなく、晴天だったかと思うと、一転にわかにかき曇り、洪水になるんではないか?と思うようなスコールがやってきます
私の主人が仕事の関係で、インドネシアの首都、ジャカルタに駐在していたのは、私の子供達が、まだまだ幼い頃でした 家族全員で赴任地に赴く予定が、主人の父の癌宣告という不測の事態で、主人のみが赴任しました。
私と二人の子供達は、年に3,4回、長い時は3週間、ジャカルタに行き、家族揃っての生活をしました
子供達はまだ小学校の「低学年と幼稚園児」ということもあり、家族でともに行動する事を何よりも喜ぶ年齢でしたから、現地でも頻繁に出かけました
都会のマンション住まいとは違い、ジャカルタでは家も広く、お手伝いさんもおりましたので、私はパソコンを持ち込んで仕事をしていても、家事をする必要はなく、子供達と一緒に遊ぶ時間も十分にあったのです
そんな楽しく、ハッピーなインドネシア生活の中で、唯一、彼らが曇り顔をする瞬間、それが、現地の貧しい子供達の姿を見る時でした
ジャカルタの中心部は、超高層ビルが立ち並ぶ大都会です。しかし、その1本裏の道となると、舗装されていない道も多く、裸足の人達が荷車を牽いている・・・そんなアンバランスな光景が、妙に似合う人の活気に満ちた町でした。
さきほどの「パイユン」のお話
シンガポールに次いで、アジアでは重要なビジネス拠点となるジャカルタには、多くの外国人駐在員が住んでいます。
ですから、現地の富裕層が行く大デパートとは別に、町中には、いくつかの外国人向けのスーパーがあり、週末ともなれば駐在員の買い物客で賑わいます
現地の富裕層、外国人は、移動に公共機関を使うことはなく、常に運転手付きの自家用車を使用します
ですから、そこについた時には店の玄関で下ろしてもらい、買い物を終えると、店の玄関にある「カーコール」で、自分の家の運転手の名前を呼んでもらって、また玄関から車に乗って帰るのですね
しかし、当時、ジャカルタで一番大きかった外国人向けスーパーの玄関は狭く、週末、多くの買い物客がやってくる時にはすべて玄関でさばききれず、時には入口から少し離れたところで車を降りなければならなくなります
公共機関を用いない、車にも運転手がいる、ということになると、私達は普段は傘を持ち歩く必要がありません。しかし、スコールの中、玄関までたどり着けず、途中で降りることを余儀なくされると、たちまち、私達は「ずぶ濡れ」になるわけです
そこで登場するのが、さっきの「パイユン坊や達」
お客が車から降りると、こぞって傘(その傘も決して立派なものではなく、ほとんどが骨が折れていたり、あっちこっち破れていたりするのです)を持って走ってきます そして、後部座席から降りた外国人のお客達に傘をさしかけるのです
お客が玄関に到着すると、彼らは「お駄賃」の硬貨をもらいます。当然、傘が二本あるわけはなく、彼らはずぶ濡れ・・・たぶん、当時で5円とか10円だった気がしますね・・・
子供達の「稼ぐ方法」にはいろいろあり、たとえば、朝夕の渋滞中の車の横にきて(とにかく、朝夕の渋滞は尋常ではありません)、タンバリンを叩いて歌を歌う、窓を拭く(拭いてもらったほうが、窓が汚れるということのほうが多い)・・・、新聞を売る、ミネラルウォーターを売る・・・常々、彼らの生きるたくましさには心を動かされました
しかし、そういう彼らの姿は、私の幼い子供達の目には、大きいな衝撃のようでした・・・
社会派?!の私は日頃から、機会を見つけては「世界中には、まさに今、食べるものが無くて、飢えて死んでいく子供がいる」「十分なお薬やお医者様がなくて、治療も受けられずに病気に苦しむ子供達がいる」「家が貧しく、学びたい!という気持ちがありながら、学校に通えない子供がたくさんいる」etc.etc.
そういう話をよくしていました。 確かに、そういう話を全く聞かされていない子供より、きっと彼らは、そういう現実が「ある」という認識はあったとは思いますが、それでも、やはり日頃は豊かな世界の中で、何不自由なく暮らしている二人には、「遠い世界の話」という感覚しかなたったでしょう。
でも、「パパのところに行くと、本当にたくさんの、いろんな子供達がいるんだ・・・」「ぼくたちは、とっても幸せに暮らしているんだ・・・」それを、五感で感じ、同時に、さまざまな思いが、心の中に渦巻き、時には彼らを混乱させ、心沈ませていたようでした
先日、雨上がりで傘を干していると、コンビニで買ったビニール傘の骨が、1本折れていることを発見。私がその箇所を、何となくさわっているところに、息子が帰宅。
「骨が折れちゃったんだねえ 何か、急に今、ジャカルタを思い出したよ・・・」
すでに成人した息子です。10年以上昔のジャカルタでの「何」を思い出したのかな?・・・私は急に、たずねてみたい衝動に駆られました
ここからは余談ですが・・・
豊かな国に暮らしていると、頭ではわかっていても、同じ地球上に「飢えや病気」と戦っている人達、子供達がいる・・・それは遠い遠い世界の話、そう思ってしまうのが現実です
視覚から入ってくるものはインパクトが大きく、時としてショックが大きく、子供達に少なからずインパクトあるものとして残りますが、やはり、そういう瞬間がない限り、豊かさの実感、感謝の気持ちは生まれないものです。
先日、たまたまこの本を見つけました。是非、みなさんにもご紹介しましょう
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