ここのところ、私がご紹介をした「パラカップ」の話で、私のまわりはにぎやかです そんな中・・・
「意気込んで『ママ、走ろう!』と言っていたわが子ですが、その後は色々と心配していたようでした。けれど、この大会の趣旨を説明し、速さ、タイムなどを競うものではなく、チャリティーが目的なのだから、楽しく参加すればいいのよ、と話をしたら、とても安心したようで、張り切っております。そして、『マラソンに参加することで世界中の子供たちが助かるなら、世界のみんなが参加すればいいのに!』と言っておりました」
これは、あるお母様から頂戴したメールです
私は、このメールを読み、まだまだ幼い低学年のお子さんが話された最後の言葉『マラソンに参加することで世界中の子供たちが助かるなら、世界のみんなが参加すればいいのに』に、大変感動しました
この感性、すてきですねえ。真摯にお母様の説明に耳を傾けたこのお子さんは、きっと心からそのように思ったのでしょう
この親子の場合はマラソン大会ですが、それがチャリティーのミュージカルであっても、○○大会であっても、△△会であっても、アクションを起こした限りは、それなりの体験とそこから得る「何か」は貴重でしょう。
けれど、チャリティーのマラソン大会を開催する団体の「真の思い」は、すでにこの母子には十分に伝わり、10歳足らずの子どもにも、しっかりと思いが根付いたような気がします
同じ時期に、こんなメールも頂戴しました。
そこに書かれてあったことは・・・昨年の秋、まだまだ幼いわが子にせがまれて、このお母様はご自宅の近くの駅前で、赤い羽根の共同募金をなさいます
小さな手で募金箱にお金を入れるお子様。すると、赤い羽根が手渡される・・・そこ子はうれしそうに、その赤い羽根を付けてもらい、そしてママを見上げて言われたのだそうです。
「ママ、赤い羽根、買ってくれてありがとう」
お母様は、そのとき、ちょっと違うな、と違和感を感じつつも、上手く説明できないかもしれない、という思いを持ちながら、そのままにされたのだそうです。
しかし、今回の一連のチャリティーマラソンのことがあり、一つ前のブログに書かれた内容なども読みながら、このお母様は、たとえわが子が幼かったとは言え、何も訂正も説明もせず、そのままにしてしまったことがあらためて思い出され、後ろめたさのようなものを感じている・・・と。
私は、このお母様の思いにも、とても心動かされました
人は、さまざまな機会から、多くのことを感じ、学びます
Aさんにとって何の意味もない事柄が、Bさんにとってはとてもインパクトのあることであり、一生に幾度もないほどの意味を持つことかもしれません。
とにかく、親であればこそ、やはり感性にヒットする多くのアンテナを、五感のあちこちに持っている必要があるでしょう
昨年、渡辺淳一氏の書かれた「鈍感力」という本が話題になりましたが、この鈍感力とは、決して敏感の対極にあるものとしてではなく、「些細なことは気にせず、少々のことは気に病まず、たくましく生きる力を持つ」という意味で使っていらっしゃいます
私が親に必要だと考えるものは・・・
五感で感じる力
頭ではなく、心で感じる豊かな能力
です。そして・・・
感じ、考え、学び、自分のものとして咀嚼したら、次は何らかのアクションを起こすバイタリティー
この話には、じつは是非ぜひお伝えしたい「続き」があるのですが、今日はこのくらいにして・・・
「意気込んで『ママ、走ろう!』と言っていたわが子ですが、その後は色々と心配していたようでした。けれど、この大会の趣旨を説明し、速さ、タイムなどを競うものではなく、チャリティーが目的なのだから、楽しく参加すればいいのよ、と話をしたら、とても安心したようで、張り切っております。そして、『マラソンに参加することで世界中の子供たちが助かるなら、世界のみんなが参加すればいいのに!』と言っておりました」
これは、あるお母様から頂戴したメールです
私は、このメールを読み、まだまだ幼い低学年のお子さんが話された最後の言葉『マラソンに参加することで世界中の子供たちが助かるなら、世界のみんなが参加すればいいのに』に、大変感動しました
この感性、すてきですねえ。真摯にお母様の説明に耳を傾けたこのお子さんは、きっと心からそのように思ったのでしょう
この親子の場合はマラソン大会ですが、それがチャリティーのミュージカルであっても、○○大会であっても、△△会であっても、アクションを起こした限りは、それなりの体験とそこから得る「何か」は貴重でしょう。
けれど、チャリティーのマラソン大会を開催する団体の「真の思い」は、すでにこの母子には十分に伝わり、10歳足らずの子どもにも、しっかりと思いが根付いたような気がします
同じ時期に、こんなメールも頂戴しました。
そこに書かれてあったことは・・・昨年の秋、まだまだ幼いわが子にせがまれて、このお母様はご自宅の近くの駅前で、赤い羽根の共同募金をなさいます
小さな手で募金箱にお金を入れるお子様。すると、赤い羽根が手渡される・・・そこ子はうれしそうに、その赤い羽根を付けてもらい、そしてママを見上げて言われたのだそうです。
「ママ、赤い羽根、買ってくれてありがとう」
お母様は、そのとき、ちょっと違うな、と違和感を感じつつも、上手く説明できないかもしれない、という思いを持ちながら、そのままにされたのだそうです。
しかし、今回の一連のチャリティーマラソンのことがあり、一つ前のブログに書かれた内容なども読みながら、このお母様は、たとえわが子が幼かったとは言え、何も訂正も説明もせず、そのままにしてしまったことがあらためて思い出され、後ろめたさのようなものを感じている・・・と。
私は、このお母様の思いにも、とても心動かされました
人は、さまざまな機会から、多くのことを感じ、学びます
Aさんにとって何の意味もない事柄が、Bさんにとってはとてもインパクトのあることであり、一生に幾度もないほどの意味を持つことかもしれません。
とにかく、親であればこそ、やはり感性にヒットする多くのアンテナを、五感のあちこちに持っている必要があるでしょう
昨年、渡辺淳一氏の書かれた「鈍感力」という本が話題になりましたが、この鈍感力とは、決して敏感の対極にあるものとしてではなく、「些細なことは気にせず、少々のことは気に病まず、たくましく生きる力を持つ」という意味で使っていらっしゃいます
私が親に必要だと考えるものは・・・
五感で感じる力
頭ではなく、心で感じる豊かな能力
です。そして・・・
感じ、考え、学び、自分のものとして咀嚼したら、次は何らかのアクションを起こすバイタリティー
この話には、じつは是非ぜひお伝えしたい「続き」があるのですが、今日はこのくらいにして・・・