<ミツマタ(三椏・三又) ジンチョウゲ(沈丁花)科 2007.3.10撮影>
「三椏のはなやぎ咲けるうらゝかな」
芝 不器男
芝 不器男(しば ふきお) 1903-1930
俳人 本名:太宰不器男(結婚後)
愛媛県北宇和郡明治村(現松野町)生れ
不器男の名は、論語の「子曰、君子不器」から命名された。
1923年(T12)東京帝国大学農学部入学
この年、地元愛媛にて長谷川零余子主宰の「枯野」
句会に出席し句作を始める。
1925年(T14)東北帝国大学工学部へ入学
この年、吉岡禅寺洞主宰の「天の川」に投句を始め、
頭角を現す。
1926年(T15)「ホトトギス」へも投句を始め、高浜虚子により
称揚される。
1929年(S4)病を得、翌年2月逝去。享年26歳。
「三椏のはなやぎ咲けるうらゝかな」
芝 不器男
芝 不器男(しば ふきお) 1903-1930
俳人 本名:太宰不器男(結婚後)
愛媛県北宇和郡明治村(現松野町)生れ
不器男の名は、論語の「子曰、君子不器」から命名された。
1923年(T12)東京帝国大学農学部入学
この年、地元愛媛にて長谷川零余子主宰の「枯野」
句会に出席し句作を始める。
1925年(T14)東北帝国大学工学部へ入学
この年、吉岡禅寺洞主宰の「天の川」に投句を始め、
頭角を現す。
1926年(T15)「ホトトギス」へも投句を始め、高浜虚子により
称揚される。
1929年(S4)病を得、翌年2月逝去。享年26歳。