マニの読書日記

とりあえず1000冊まで更新。

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『北里柴三郎』ー雷(ドンネル)と呼ばれた男 ー 山崎光夫 (中央文庫)

2015-12-05 | 科学の冒険
【844】
北里柴三郎は、1853年、嘉永五年生まれ。日本が世界を目指してエネルギーにあふれていた明治時代。破傷風菌を発見し、その治療方法も確立し、第一回のノーベル賞を受賞してもおかしくなかった。それがノーベル賞を受賞したのは、その北里柴三郎の方法をジフテリアの研究に応用した同じ研究所のベーリングだった。
いまなら同時受賞になってもおかしくない。それがなぜ受賞しなかったのか?山崎光夫は、破傷風は、空気を嫌い、体内の奥で発症する。そのため破傷風に感染する機会は少なく、人から人に感染しない。それに引き換え、ジフテリアは、大流行する恐れがあり、その治療方法は急務だった。また、ノーベル財団の体制も整っていなかったこともあるようだ。結果的に北里柴三郎は、分の悪い病気を選んだのだ。
超エリートの永井荷風の父親、、犬養毅、森鴎外、福沢諭吉などがその人生に絡む。熱い時代に元気をもらう。
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戦うか、それとも。

2015-07-11 | 色々
かゆみで目が覚める。

二か所を刺されている。

蚊の音。

まだ俺の血を吸うつもりなのか。

明かりをつけて蚊と戦うか?

心頭滅却すれば火もまた涼し。

そのまま眠ることにする。

ぷ~ん、ちくっ、、、、かゆ!
ちくしょう!


蚊にとっては大きなエサ場でしかない俺。
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パラオの小説

2015-04-11 | 小さな物語

にぎわい座でのフラメンコのリハーサルで根岸のスタジオへ。はじまる前に海が見たくて散歩。でも製油所があって海へは行けなかったけれど、このあたりにサイパン経由パラオ行きの直行便が出ていた飛行場があったという案内板を見つけた。サイパンまで10時間。そこからパラオまで7時間。運賃は、東京大阪間の7倍。客席18の川西航空機97式。船のような顔をした飛行艇。
パラオで真っ先に思い出したのが『山月記』の中島敦。パラオに現地用の教科書編纂のために赴任していた。パラオは、第一次世界大戦後、ドイツの植民地から日本の統治下におかれていた。中島敦は、この根岸からパラオにむかったのかもしれない。
そこから小説的なイメージが膨らんでいく。飛行機の離着水時には根岸の家々の屋根をかすめて轟音を響かせたという。飛行艇の乗員や関係者が大勢下宿していて、子供たちに南方の珍しい果物を運んだ。

で、小説を書きはじめてみました。



ちっちっ、、、。
ちゃぶ台の皿が小さな音をたてはじめた。
雄介は、「きた!」と声を出して立ちあがり、縁側にむかって走っていって、そのまま下駄をはいて外に出た。
雄介は、蝉の声があちらこちらから聞こえる夏空を見あげた。
家の屋根からエンジン音がこぼれてくる。その音はしだいに大きくなり、爆音とともに屋根瓦をかすめるよう
に川西航空機97式があらわれた。それは、まるで船が空を飛んでいるように見える。
「お母さん!お父さんが帰ってきたよ」
炊事場にいる母親に声をかけると、雄介はそのまま海岸のほうにかけていった。

写真は川西航空機97式
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ウグイス

2015-04-10 | 音を読む
朝、ことしはじめてのウグイスの鳴き声がきこえた。まだ幼くてヘタだけど爽やか。すぐに上手になることだろう。
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抽象絵画のみかた

2015-02-12 | 見るを楽しむ

【843】 『クレー【大はしゃぎ】』ヴォルフガング・ケルステン (三元社)

パウル・クレーは、ぼくがはじめてみた本物の西洋絵画。池袋のセゾン美術館だった。ただ圧倒された曖昧な記憶しかない。そのころ好きな画家はダリとかキリコで、子供でも絵から面白い物語を感じることができるものだ。それが抽象画だと、そうはいかない。その絵を感じることができる新たな神経回路をゆっくりと意識的につくっていくようなところがある。毎日眺めるようにして、ある日突然、なるほど!と感じるようなものなのかもしれない。
たとえば本の表紙にあるクレーの【大はしゃぎ】これは綱渡りをモチーフにしている。同じような線でも、それが綱渡りの綱であり、揺らぎ緊張感を含んだものだとみると、また絵の印象が変わる。クレーは、闘牛のもつ大胆さと危険性に変わるものとして綱渡りを発見したという。なるほど。綱渡りが行われるサーカスという場所も興味深い。
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カマキリの恩返し

2014-11-01 | 色々
カマキリが二日ぐらい前から家の中にいるのは知っていた。
たまに見かけた。
昨日の夜、そろそろ逃がしてやらないと、食べる物がないあなと、思っていた。
今朝おきるときに、おもわず手のひらでつぶしそうになった。
緊急につまえて外へ逃がした。


カマキリの恩返し。

ヤクザにからまれていると、どこからか青年があらわれて助けてくれる。最後に、今朝逃がしていただいたカマキリです、という。

バーのカウンターで、隣の美女と仲良くなり、その美女が、今夜は帰りたくない、という。小さな声で、今朝逃がしていただいたカマキリです、とささやく。

突然、遠くの親戚が亡くなり、遺産が入りました、という連絡を受ける。その連絡を告げた老人が、今朝のカマキリです、という。

フラメンコのステージで、素晴らしい踊りをする女性がいた。話を聞くと今朝のカマキリだった。

とうことが、ないかなぁ。
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日本フラメンコ協会と現代舞踊協会のコラボ企画

2014-05-30 | 身体の快感
現代舞踊協会と日本フラメンコ協会のコラボ企画「バラと桜の祝祭」のフラメンコ公演忘備録がアップされました。日本のフラメンコの歴史と日本の現代舞踊の4日間。
http://www.paseo-flamenco.com/daily/2014/05/post_10.php#004245
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ロシオ・モリーナという衝撃

2014-04-20 | 色々
子供のころの思い出にでてくる場面に登場する自分は、いつも変わらない。それは過ぎ去って確定された出来事だからではなくて、思い出すたびの記憶が再構築されているからである。ロシオ・モリーナの踊りは、つねに更新され続けている思い出のようなものなのかもしれない。
 男と女、少女時代などなど、思い出という記憶の断片を集めて、コラージュのようにまとめあげて作品に昇華していく。それぞれの記憶によって踊りは変化し、身体の動きが丁寧にそれを再現する。ロシオ・モリーナは、一つの作品で、同時に複数の身体を踊る。それは身体の在り方をつねに更新し、書き換えるからこそ可能なのだろう。
 ロシオ・モリーナの身体は、つねにリラックスしている。これは、新しい突発的な何かにもすばやく反応するためだ。武術の基本的な身体の在り方と同じだ。リラックスするということは、まだ現れない未来を踊るための身体を手に入れるということだろう。
 踊りに切れ目を入れる。その切れ目は、新しい皮膚を生み、踊りに新しい意味を発生させる。世阿弥は、「非風をまぜること」という。非風とは、動きにおける「はずれ」や「はずし」のことである。これは、踊りが過去に依拠しながら、未来に注目するための、現在におけるテクニックだとおもう。これは、フラメンコを完璧に踊ることができるロシオ・モリーナだからこそできるテクニックだろう。
 小さな器に、高い位置から砂を注ぐように落としていく。これは舞台に、象徴的に繰り返し登場する。これはラストで、舞台空間全体を一瞬で変換する伏線になっている。ロシオ・モリーナは、身体の在り方だけでなく、舞台空間の在り方も再構築してしまう。
 ハンカチがゆらぐ。アバニコが閉じられたまま振り子のようにゆれる、ギターの弦がゆらぐ。カンテの声がゆらぐ。注がれる砂がゆれる。帽子がゆらぎながら落ちる。複数の身体を同時に踊るロシオ・モリーナのような複雑な踊りにおいては、ゆらぎこそクリエイティブな力になりえる。生命は、複雑系におけるゆらぎによって創発された。わたしたちは、新しい踊りの誕生に立ち会っているのだ。
 ステージに二人の男性が立つ。ティア・アニカ・ピリニャーカのマルチィネーテが聴こえてくる。古いカンテを再解釈して、いまの身体が踊る。ロシオ・モリーナの踊りが、新しくて独創的なだけでなく、古いカンテの構造を吸収して生まれてたのだということがわかる。ハシント・アルマデンの歌声が聴こえてきてきたときには、不覚にも泣きそうになった。
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世界で唯一のフラメンコの月刊誌「パセオフラメンコ」。

2014-04-18 | 色々
世界で唯一のフラメンコの月刊誌「パセオフラメンコ」。そのフラメンコ公演忘備録に、森山みえさんや坂本恵美さんらが出演した「ダンス・プラン2014年」、荻野リサさんのソロライブ、徳永兄弟、鈴木淳弘さんさんらのギター競演のプリメラ企画エルフラメンコについて取材したものが載りました。読んでください。そういえば今月号の表紙はバイレの東仲さん。ずいぶんと昔にナナでご一緒したことがあるけれど、なにもお話できなかったことが残念。踊りを観たいなぁ。

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自殺で死なないために

2014-04-08 | 社会を学ぶ
■842『自殺』末井昭 朝日出版社

 題名がストレートなので、どうかな?と読みはじめたら、おもしろくて一気に読みました。末井昭は、赤瀬川原平や森山大道、荒木 経惟らが連載していた雑誌「写真時代」の編集長。お母さんが近所の年下の男性とダイナマイト心中をしていたことは知っていました。そのことから「自殺」についての本を依頼されたようだ。それにしても末井昭の体験はすごい。本人は自殺するつもりは、これまでも、これからもないと断言するけれど、普通の人なら何回も自殺してしまいそうな体験を、飄々と語る。もうそれだけで、自殺を考えるような多くの人は、末井昭ほどのすごい体験をしていないから、自分が死ぬ理由が小さくて馬鹿らしくなるのではないか?

 秋田県の自殺が多い理由。現在でもはっきりしないようだけど、末井昭は、たとえばNHKの受信料の支払いが、東京は60パーセントにたいして、経済的には恵まれていない秋田県はトップの94パーセントであるとか、パーマ屋が全国一だとか、見栄っ張りが原因の一つではないか、と考える。わかる気がする。収入が減っても、生活水準を変えられないとか。

 末井昭は、「イエスの箱舟事件」の千石との出会いから聖書に興味をもつ。ある意味独特の聖書の理解が、数十人の女性を引きつけた力など考えていくうちに聖書にはまっていく。

 最後は、緩慢な自殺と題して『AV女優』の永沢光雄について書く。大手術の前にもみんなと飲み歩く永沢光雄。死を相対化してしまったような生き方。死を否定するのではなく、自然に受け入れていくスタイル。様々な生き方が、死にたいしての理解を深めていく。それがつまらないことで死なないための、一つの方法なのかもしれない。

 おすすめの一冊。
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FLAMENCO曽根崎心中のためのノート

2014-04-04 | 身体の快感
 人形浄瑠璃の文楽にでてくる女には、足がない。それはまるで幽霊のように実体のない存在のようだ。近松門左衛門は、心中事件のうわさを聞き現場に行く。そこには、こもからはみ出した男女の4本の足が見えた。それに衝撃をうけた近松門左衛門は、一気に「曽根崎心中」を書きあげる。
 縁側に腰掛けた遊女のお初が、一緒に死ぬことを徳兵衛に、足で確かめる。徳兵衛は、その足に触れながら涙で答える美しいシーンがある。現代の「フラメンコ曽根崎心中」において、お初を演じる鍵田真由美は、その足の衝撃を通してフラメンコで演じる。そうなのだ。この「フラメンコ曽根崎心中」は、お初の幻想的な足の存在を、フラメンコを通して表現するものになっている。心中した男女の足に、リアルな何かを感じた近松門左衛門の、その何かをフラメンコのサパテアードが見えるものにする。あの世とこの世をつなぐような踊り。死を決意する女の心意気。鍵田真由美は、もっとも難しいシーンを踊りきる。
 スペインは、闘牛という、死を芸術の域にまで達した文化をもっている。フラメンコもその伝統を受け継いでいる。近松門左衛門の衝撃をフラメンコを通して表現することは、スペインと日本の死の在り方をあらためて考えることでもあるだろう。
 二人が死を選ぶということは、お金をだまされたからではない。徳兵衛が面子をつぶされたことにある。これは江戸時代には、画期的に新しいことだった。徳兵衛を演じる佐藤浩希は、顔を近づけられてののしられ、最大限の屈辱を受けたときに死の決意をする。死ぬことで面目を回復することを考えるのである。
 世間に否定されたことを肯定的なイメージに変えるために、二人は死を選択する。死を通して選ぶ未来。二人にとって最大限に肯定的な世界。その肯定的な自由な世界にとって身体は不必要となる。
 二人が死ぬことを知っているわれわれにとって、目の前に繰り広げられる世界は、二人の過去である。ということは、未来にいる二人からすれば、私たちは過去に取り残された存在に過ぎない。原作の曽根崎心中には、徳兵衛が、死ぬことで、死んだ両親に逢えることを楽しみにしているのにひきかえ、お初の両親はこの世にいて、今度いつ逢えるかわからないと泣くシーンがある。死を目の前にして、生と死の世界が反転しているのだ。
 最後のシーンには、宇宙樹のようなものが現れる。この宇宙樹の下での死ぬことで、二人の死が聖なるものとして蘇ることを意味しているのかもしれない。
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フラメンコ曽根崎心中

2014-04-02 | 見るを楽しむ
 明後日は、いよいよ「フラメンコ曽根崎心中」へ。そういえばフラメンコをはじめるきっかけが、阿木 燿子さんがフラメンコにはまっているという情報から、フラメンコに興味をもった。その直観は、結果的に正しかったわけだけど、今回もなにかの縁を感じます。パセオの取材で行くということも含めて。新しい「フラメンコ曽根崎心中」のメンバーをざっとみると、阿木 燿子さん夫妻の縁で結ばれた人たちが、自然に集まってきて、自然に出来上がっていったような印象を受けます。というか、それらの縁がなければ、個人がいくらがんばっても出来上がらないような舞台。楽しみ♪
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世界で唯一のフラメンコの月刊誌

2014-02-18 | 色々
 フラメンコの月刊誌は、世界で唯一日本にしかないのをご存知だろうか?
 さて、その最新号。小山社長が、編集長を小倉さんにバトンタッチする最後の号。小山社長が将棋をやられていた経験則から、このまま自分が編集を続けるという、安全そうなルートを選ぶのは危険だと感じたことからの交代じゃないだろうけど、さすが江戸っ子、やることがはやい。伝統のゆったりした時間の流れる京都出身からすると、まるで道端で挨拶で頭を下げているうちに、気がつくともう遠くに歩いていってしまっているようなはやさ。

 ということで今月号に、フラメンコ公演忘備録の番外編で「ダンス・サミット・ジャパン2013」と「カニサレス・フラメンコ・カルテット来日公演」について書いたので、ぜひ読んでね♪
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なぜインチキなダイエット法がなくならないのか?

2013-12-15 | 哲学をする
「喉(のど)のお医者さん」で知られる米山文明は、日本語の音は、かならず母音か子音+母音で構成されているから、どの音を発するときでも声帯を使わなければならないから、他の外国語に比べて声帯を痛めやすいという。だから逆に言えば外国語は曖昧に聞えたりするのか。(本居宣長も言っている)

水上勉『五番町夕霧楼』を読みはじめる。夕霧楼の主人は戦争で京都が焼けることを心配して生まれた京都府北部の弥栄にもどる。ここは今年亡くなった長寿世界一の男性が住んでいたあたりだろう。登場人物の片桐夕子。どこかで同じ名前を聞いたことがあるとおもったら日活ロマンポルノの女優だ。この小説からとった?

立川武蔵『空の思想史』色即是空,空即是色の「空」どのように理解するのか難しいけれど、なぜかベトナムの僧侶が抗議で焼身自殺をする映像を思い浮かべる。あたかも燃える身体が存在しないかのような「悟り」を感じるからだろうか?

井沢元彦。『逆説の日本史』など少しずつ読んでいる。基本的な歴史の問題やポイントをおさえるのに最適。

藤井康栄『松本清張の残像』清張のもとで30年間すごした編集者。40歳を過ぎてからデビューしたにもかかわらず、膨大な著書を残した清張。そが可能になったのは一つには優秀な編集者の存在があった。

政治学者の片山杜秀の「音」を巡る本。「音」を取り巻く気分や時代の空気、歴史などを織り込みながら自由自在に語る。元気が出る本。こんなふうにフラメンコについて書いてもいいかな?ケニア。

85歳の長老。歩くのも大変そうで腰が曲がっているのに、音楽がはじまると激しい踊り。さすが踊りだけで暮らしている村の長老。

NHKでエグザイルの子供のためのダンス教室。世界のダンスの映像もありおもしろい。ダンスの小、中学の必修化にあわせて力を入れているのかな?ダンスを踊る子供達の表情もいいね。

『ダイエットの歴史』海野弘 インチキなダイエット法がなくならないのは、ダイエットが科学的なレベルだけではなく、人間の心、精神性にかかわっているからだろう、という。男性なら筋肉にたいするコンプレックスかな?



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ダイエットの歴史からはじまるモダンダンス

2013-12-07 | 身体の快感
◆841 『モダンダンスの歴史』海モダンダンスの始源はイサドラ・ダンカン。海野弘は、そのイサドラ・ダンカンが登場する土壌は、1830年代に登場するダイエットにあると考える。それまで気球のような<浮揚する身体>のイメージで踊られるバレエではなく、自転車に乗るように<バランスをとる身体>が理想になっていく。グライダーに乗るときにもとめられる身体のバランス感覚。ライト兄弟とイサドラ・ダンカンは同時代人であり、イサドラ・ダンカンは、飛行機のように飛ぶ身体をつくりあげようとしたのだと海野弘はいう。また、南北戦争による不況で女性のバレエダンサーが舞台に上がるようになる。これが女性が舞台に登場するきっかけとなった。もうひとつダンカンに影響を与えたのは、ドイツにはじまる近代体操。そこでは身体だけではなく、内面、精神性も重要視される。その身体表現は、アメリカにおいてダンカンを登場させる土壌でもあった。野弘 新書館

 
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