チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

外国免許切り替え

2018年01月13日 03時28分10秒 | 日々のこと

曇、0度、70%

 私が日本に本帰国をする最後の法的な手続きが一つだけ残っていました。免許証を日本のものに替えることです。私は日本で免許を取りました。ところが香港に行ってすぐに紛失しました。この30年、紛失届も免許の更新もしないままでした。新たに香港で試験を受けて免許を取りました。帰国してこの一年ほどは、香港から出ている「国際免許」で運転していました。 「国際免許」の期限は今月の24日です。年が明けると慌てて準備を始めます。

 日本の免許がないので新規に免許の申請をします。 この外国免許切り替えは福岡市内の試験場では受け付けてくれません。筑豊の飯塚の試験場まで出向きます。住民票や香港の免許書の翻訳した書類も必要です。日本は単一言語の国ですから仕方ありません。JAFが翻訳をやってくれています。あらかじめ、筑豊の試験場に電話を入れました。必要書類の確認、福岡からの行き方、日本の免許証の紛失の件も話しました。電話応対の方は、最後に私の名前と電話番号をお聞きになりました。

 義母の手術も無事に終わりました。免許の切り替えは1度試験場を訪れるだけではすみません。筆記、実技の試験もあります。万が一試験で落ちることも想定して、義母の手術明けの昨日、雪の舞う中を筑豊試験場に向かいました。雪道の運転は怖い上に主人に市外地の運転は止められています。高速バスで向かいました。飯塚に入る前から雪が積もっています。

 受付番号1番、必要な書類を全部提出しました。 30年間のパスポートも持って行きました。窓口が開くと、受付の男性が「30年前の住所、本籍、姓名は同じですか?」と聞かれます。まさに電話応対してくださった方でした。待ち時間が長くなりますと言われ、後ろを見ると33人の方が並んでいました。東南アジア系の男性3人、中国人が残りの30名、うち女性が3名、日本人独りです。もちろん日本人一人は私です。

 1時、受付開始。2時前には私以外の人たちはそれぞれ筆記試験や実技の試験会場に向かいました。私だけ名前も呼ばれずに待ちました。さすがに2時過ぎたので、受付の方にどのくらい待つのか聞くと、3時前には名前が呼ばれるとのことでした。お役所仕事だと内心腹立たしく思いました。

 時間通り3時前、名前が呼ばれて奥の部屋に通されました。係りの方の横には分厚い書類が置かれています。「30年前の免許の登録記録を調べたら、下川さんの免許記録が出てきました。」とおっしゃいます。本籍、住所、生年月日も一致したそうです。「試験は全て免除します。今から免許証の発行準備に入ります。今日お持ち帰りできますよ。」とおっしゃいます。待たされた不満などぶっ飛んでしまいました。

 写真撮影、視力検査だけで免許証を手渡されました。 緑マーク、初心者の免許証です。説明によれば、新規に登録するから緑マークだそうで、裏面には、 青葉マークを張る必要がないと記されています。

 この免許証を手に小躍りで1時間1本の福岡へ帰るバス停に向かいました。

 このところ警察や消防の方に助けられています。試験場の担当の方は簡易な警察の制服を着ていました。あと2回、この飯塚試験場に足を運ぶつもりでいました。ありがたいなあと免許証を何度も眺めます。おそらく初めて取った免許証よりも香港で取った免許証よりも、この免許証は思い出深いものになると思います。

  香港発行の国際ライセンスも香港の免許証もパスポートも今日から携帯する必要がなくなりました。これもまた私の運転の大事な思い出です。香港であと9年運転できます。日本発行の「国際免許」で運転する国はどこになるのかと夢が膨らみます。


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