出産の体験を綴りました!
初産後、あちらこちら痛くて、まともに座ることもできない中、
目の前の生まれたばかりの命に、
右も左も分らないまま24時間体勢で向き合っていて。
身体もヨレヨレだったんですが、
出産による心の傷を癒すのに、
随分時間がかかったなあと思います。
太古から女性が続けてきた営み、出産。
まあ、きついのだろうけれど、
私にだってできるわよね、そんな気持ちでした。
ところが、ああ、あの、想像を遥かにこえた「身体的痛み」。
この『It Mama』さんの記事では、
「は? 話飛びすぎ・・・」でもちろん書けないんですが、
当時実際最も頭の中をめぐっていたのが、
歴史を振り返る中で、たびたび目にすることのあった、
「拷問」という出来事でした。
仲間を売ったり、属する組織の内部事情を吐かせたり、
思想的宗教的信条を変えさせるために、
「身体に痛み」を与えるということが、
人類史上、過去何千年もの間、されてきましたよね。
そして今も、地域によっては進行形だったり、
また身近な刑務所なんかでも問題になることがあります。
それで、
そんな状況になったら、私は、本当にあっけなく、
仲間を売り、内部事情を話しまくり、信条をころりと変えてしまうのだろうなと、
出産を通して、ありありと想像できてしまったんです。
「この痛みがなくなるなら、なんでもします~~~!」
謙虚になりました・・・。
頭と身体が、離れすぎてます。
そして、拷問を持ちこたえ闘ってきた人々の、
存在の底から突き上げる信条といったものに、
少し触れたような気がしたんです。
この世には、そういうものが存在するんだなあ、と。
私は今でも、自らの決心の度合いを、
身体に照らし合わせ、確かめることがあります。
「じゃあ、どれほどの痛みに耐えられるぐらいの決心?」などなど。
地に足がつき、腹が据わります。
・もうひとつ、
記事の最後の「感じたこと3つ」について。
実はもうひとつあったんですが、やっぱりこうした場では、
はっきりとした「医学的な根拠」がないことは掲載できないんですよね。
最近、ネット界で大きな問題ともなってますし。
以下はあくまでも、私個人の体験からの感覚です。
5人の出産を経、陣痛促進剤による人工的な陣痛は、
そのペースも痛みの度合いも、
妊婦の身体にはより無理があるのじゃないかなということ。
初出産では、
「破水から24時間以内に出さなければならない(細菌感染を防ぐため)」という
時間的制約のなかで、
強い陣痛をつけるため、どんどん促進剤が増されていきました。
それでも、下4人は破水からの始まりではなく、
ゆったりと自然の陣痛を待てる状況で、
自然に起こる陣痛のペースと痛みの度合いでお産が進むなら、
より母体に無理がないんだなあと痛感したんです。
と、とにもかくにも、
記事の最後にあるように、
「どんな出産であっても、かけがえのない命の誕生に変わりなし」
その最も大切なことを思い出していきたいですね。
興味のある方是非どうぞ!
初出産は「血の海」!陣痛に耐えないと母失格?【地球の最北で子育て#03】
「ママ失格」というのが前にもありましたが、
「ママ失格」と責めないで…過度な自分批判はうつの原因に!?
今回も「母失格」ですよ。
旅先の、ホテルより。
今日は、ボルチモアのサイエンスセンターで過ごします!
みなさん、楽しい年末を!
本当は年内に書きたいコメントがたくさんあって、何度か途中まで書きかけたのですが、うまく(コメントにうまいも何もないですが)言葉がまとまらなくて断念しました。
この記事の「自らの決心の度合いを、身体に照らし合わせ、確かめることがあります。」
という言葉や、
出産時に「拷問」について思いをめぐらせていたという話……自分の思考の癖や体験に近いのに驚きました。それについて説明しようとすると、あまりに長い話になるので、今年中は共感を抱いたことだけお伝えします。
書きたいコメントがたくさん、と思ってくださり、嬉しいです!
出産時に感じていた「拷問」についてや、それ以来「身体に照らし合わせる」といった感覚を、ありのままに吐露したのは初めてなんですが、奈緒美さんに、「自分の思考の癖や体験に近い」と言っていただき、本当に驚きました。
言葉にしてみるものですね。
日々、内にうずまくものを言葉でうまく表せない葛藤を抱えていて、そうしてようやく表してみたものの、全く伝わらなかったり、あまりに言葉足らずだったり、それで、いっそのこともう話すことさえやめてしまおうと思ったこともあります。
今でも言葉はとうてい追いつきません。それでも、少しずつでも言葉にしていこう、伝える力を磨いていこう、今はそう思っています。
今年は、もう少し踏み込んだ言葉もつむいでいきたいなあと、「守り」から足を踏み出す決意もしているところです。
共感したと伝えてくださり、励みになります!