「褒める」について原稿を仕上げ中なのですが、
とてもとても求められる文字数にはおさまりませんので、
こちらでもお伝えさせてください。
「褒める」については、以前こちらにもまとめました:
『オールアバウト』 子供の為にならない!5つのNGな褒め方とは?
よく読まれている記事ですが、今読んでみて、すみません、2か所タイポありです。
ここでは、もう一度ざっと「褒める」について整理しますね。
「褒め方」に少し気をつけるだけで、子供の様子も随分と違ってきます。
現代は「褒めジャンキー」な親に溢れているという指摘
以下は、こちらのWebMDの記事にある、
子育て本の著者で結婚&家族セラピストJenn Berman氏の指摘なのですが、
米国の子育ての現状がよく表されてます。
「私たちは『褒めジャンキー』な親になりつつあります。
数十年前の親がもっと厳しく、めったに褒めなかったのとは反対側の極端に走り、
今では褒め過ぎなんです」
日本は、「ジャンキー」とまでは、まだまだいかないですよね。
それでも、「たくさん褒めて子どもを伸ばそう!」という言葉は、
日本でもよく聞かれるものです。
少し前の世代にはみられなかったこうした「どんどん褒めよう!」風潮というのは、
「子供が健やかに育つには自己肯定感こそが重要」という認識の広まりを背景にしているといいます。
「できる」ことや「いい面」をみつけては、
「すごい!賢い!天才!」と褒める。
とにかく褒めて褒めて「自己肯定感を高めよう!」というわけです。
そうしてここ数年、
このWebMDの記事のような「褒め過ぎ」への注意喚起があちらこちらでみられるようになりました。
今では教育現場でも、数年前より、「褒め方」に気を付ける人々も増えてきたように思います。
私自身の空振りな「褒める体験」を経て思うこと
私自身も、空振りな「褒める」をかなり自ら体験したのち、
「あれ?なんだかなあ」ともやもやしていたところ、
こうした「褒める」の注意喚起情報に触れ、
随分とスッキリした気持ちになったのを思い出します。
とはいえ、「この子はすごい!こんなところが最高!天才!」と子どもを前に思うのって、
私は、その子にとって、いいことだよなあと思います。
そうやって隣でウキウキしている大人や親ばかな親がいるのっていいじゃないですか。
たとえ、その大人や親以外、誰もその子についてそう思っていなかったとしても、
というか、それならば、なおさらその子の可能性を信じていやりたいです。
ただ、それを本人にそのまま直球で出してしまっては、
よくない場合もあるということですね。
特に、「敏感な子」にとって、「褒め方」にちょっと気を配るのって、大切だなと思います。
強烈に感じますから、のぼせるのも強烈ですし、するとその後のダウンも強烈だったりします。
←これは私自身大人になってからも何度も痛い思いをし、ようやく以前よりは学んだことです。
また「褒める」の裏の大人の意図を感じ取れたり、
もっと期待に応えなくてはと過度な無理をしてしまうこともあるもの。
敏感だからこそ、「褒める」のプラス面マイナス面も如実に影響するんですよね。
では、褒める時どんなことを気をつけたいでしょう?
覚えておきたい「褒め方」のポイント
・3歳ぐらいまではやたらめったら褒めるでもいい
言葉のニュアンスや大人の意図や気持ちもまだよく分りませんから。
何だかママパパ嬉しそうだなあと子供の気持ちも盛り上がり前へ進んでいきます。
乳幼児期によく褒められた子の方が、よく発達しているという研究報告もあり。
・具体的に描写する
例えば、
「すごいね」→「猫の髭まで描いて今にもニャーって鳴きそうな楽しい絵ね」
「えらいね」→「お友達が玩具とっても手を出さずに『返して』って言えて偉かったね」
「すごいね、えらいね」とだけ言われた時のような、
「褒めればいいと思ってない?」という気持ちもわきません。
「ちゃんと見てくれてるんだな」と、子どもの心に届きます。
・誠実に褒める
口先だけでなく、心から感じていることは、子供の心にも届きやすいもの。
昔、毎年「このクラス、私が担任してきた中で一番!」と言う先生がいました。
クラスの子たちも、しらけてましたね。美辞麗句のみでは、不信感にもつながります。
・その子にとって何の努力もなしにできることは褒めなくていい
その子が簡単にできてしまうことを褒めることで、
「自分のこと、これぐらいだと思ってるんだ」と思われることも。
自信をつけるどころか、自信を損なうこともあるかもしれません。
また「この人の褒めるってその程度のことなんだ」と、
その大人から他に褒められても単に社交辞令としか思えないなど、
その子にとってその大人の「褒める」という行為の価値が下がる場合もあるでしょう。
・子供自身既にモーティベーションが高いことは褒め過ぎない
「したくてしょうがないからする」が「褒められるためにする」へと、
せっかく「内的動機」に突き動かされていたのが、「外的動機」にとってかわられる可能性ありです。
例えば、虫が大好きで図鑑を毎日のように眺めている子が、
「こんな虫の名前や特徴まで知ってるなんてすごいわ!あなた虫の天才ね!」と褒められ続けたとします。
すると、「虫が大好きという気持ちに突き動かされていた(内的動機)」のが、
いつしか、「こんなレアな虫の名前まで覚えちゃったらもっと褒められるかな」という気持ちに隠れていくかもしれません。
本人が夢中になっている場合は、邪魔しないようにしてやりたいですね。
・結果や評価より過程の頑張りを褒める
結果や評価を褒めることの弊害って大きいなと、子どもたちに接してきてしみじみ思います。
・「100点なんて賢いわね!」と褒められ続けるなら、
確実にいい結果や評価を受けることしか踏み出せなくなり、
失敗を恐れ、チャレンジしなくなるかもしれません。
・「サイエンスフェア入賞なんてあなた才能あるわ!」ともてはやされるなら、
頑張ったって結果や評価に繋がらないことっていくらだってありますから、
思うような結果が得られなければ、すぐに「やる気」を失うかもしれません。
結果や評価より、確実に自分で変えることのできる「過程の努力」を褒めてやりたいです。
例えば、
「100点なんて賢い!」より、
「大好きなテレビ番組も見ないで勉強して頑張ったね」
「サイエンスフェア入賞なんて才能ある!」より、
「何冊も本を読んでリサーチしてたくさんのこと学んだね。おめでとう!」
またたとえ「よい結果や評価」を受けなくても、一緒に残念がった後は、
過程を観て頑張りを褒め(認め)てやりたいです。
そのあと、改善案など話し合いたいですね。
先日、サッカーのミーティングで、
20年近くサッカークラブを経営してきた担当の方がこんなことを言っていました。
「12歳ぐらいまでは、勝ち負けにフォーカスしない方が、その後伸びます。
スキルの上達に励み、できるようになることが楽しいという気持ちを大切にしてやってください」とのこと。
思わず大きくうなずいていました。
こちらにも、小学生の内は成績表がないという方針の学校がありますが、そのベネフィット、理解できます。
結果や評価を気にしすぎるより、自らの力を磨き続けることにフォーカスするのを助けてやりたいですね。
・周りと比較してでなく自分と比較して褒める
「周りよりできる」がモーティベーションになるならば、
負けたり周りよりできない場面では、一気に「やる気」を失ってしまいます。
どこまでいったって、上には上が常にいます。
周りではなく、「1か月前よりずいぶんドリブル上達したね!」と、昨日の自分と比較するよう励ましたいですね。
ティーンぐらいにもなれば「褒める」も必要なし?
高校生ぐらいにもなると、我が家でも、
褒めようものなら、「馬鹿にしないでよ」といった様子ですね。
クラブのコーチや尊敬する先生からの真摯な「褒める」なら、嬉しいのでしょうが、
「褒める」には、なんとなく,「手なずけられる」というような感覚を持つのかもしれませんね。
「やったね!」と、一緒に喜ぶ
「〇〇の面倒見てくれてありがとう」と、感謝する。
「あなたのこういうところ、ママ尊敬するよ」と、尊重する。
の方が、しっくりきます。
より小さな子でも、
「褒める」より、一緒に喜ぶ、感謝する、尊重するの方が、
より自己肯定感を高められる場合もありそうですよね。
その子のいい面やきらりと輝く面を見出し、認め、褒めてやるのは、
確かに、その子の自己肯定感を高め、大きな力となります。
奈緒美さんの『虹色教室通信』にもありましたね。
「ワークショップの終わりなどに、
子ども同士で作品を披露しあい、
素晴らしい、素敵だな、工夫がされているなと思うところを言い合ってみる」と。
奈緒美さんのおっしゃるように、
認める側も、「見る目」が養われますし、
認められた子どもたちの、自信に満ちた表情が目に浮かぶようです。
褒め方に少し気を配り、
ここぞというところを認め、褒めてやりたいですね。
みなさん、楽しい週末を!