マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「子どもが伸びる褒め方&伸びるのを邪魔する褒め方」をざっと整理、敏感な子にこそ少し気を配りたいですね

2017年04月01日 | 子育て全般

「褒める」について原稿を仕上げ中なのですが、

とてもとても求められる文字数にはおさまりませんので、

こちらでもお伝えさせてください。

 

「褒める」については、以前こちらにもまとめました:

『オールアバウト』 子供の為にならない!5つのNGな褒め方とは?

よく読まれている記事ですが、今読んでみて、すみません、2か所タイポありです。

 

ここでは、もう一度ざっと「褒める」について整理しますね。

「褒め方」に少し気をつけるだけで、子供の様子も随分と違ってきます。

 

 

現代は「褒めジャンキー」な親に溢れているという指摘

以下は、こちらのWebMDの記事にある、

子育て本の著者で結婚&家族セラピストJenn Berman氏の指摘なのですが、

米国の子育ての現状がよく表されてます。


「私たちは『褒めジャンキー』な親になりつつあります。

数十年前の親がもっと厳しく、めったに褒めなかったのとは反対側の極端に走り、

今では褒め過ぎなんです」

 

日本は、「ジャンキー」とまでは、まだまだいかないですよね。

それでも、「たくさん褒めて子どもを伸ばそう!」という言葉は、

日本でもよく聞かれるものです。

 

少し前の世代にはみられなかったこうした「どんどん褒めよう!」風潮というのは、

「子供が健やかに育つには自己肯定感こそが重要」という認識の広まりを背景にしているといいます。

 

「できる」ことや「いい面」をみつけては、

「すごい!賢い!天才!」と褒める。

とにかく褒めて褒めて「自己肯定感を高めよう!」というわけです。

 

 

そうしてここ数年、

このWebMDの記事のような「褒め過ぎ」への注意喚起があちらこちらでみられるようになりました。

今では教育現場でも、数年前より、「褒め方」に気を付ける人々も増えてきたように思います。

 

 

 

私自身の空振りな「褒める体験」を経て思うこと

私自身も、空振りな「褒める」をかなり自ら体験したのち、

「あれ?なんだかなあ」ともやもやしていたところ、

こうした「褒める」の注意喚起情報に触れ、

随分とスッキリした気持ちになったのを思い出します。

 

 

とはいえ、「この子はすごい!こんなところが最高!天才!」と子どもを前に思うのって、

私は、その子にとって、いいことだよなあと思います。

そうやって隣でウキウキしている大人や親ばかな親がいるのっていいじゃないですか。

たとえ、その大人や親以外、誰もその子についてそう思っていなかったとしても、

というか、それならば、なおさらその子の可能性を信じていやりたいです。

 

ただ、それを本人にそのまま直球で出してしまっては、

よくない場合もあるということですね。

 

 

特に、「敏感な子」にとって、「褒め方」にちょっと気を配るのって、大切だなと思います。

強烈に感じますから、のぼせるのも強烈ですし、するとその後のダウンも強烈だったりします。

←これは私自身大人になってからも何度も痛い思いをし、ようやく以前よりは学んだことです。

 

また「褒める」の裏の大人の意図を感じ取れたり、

もっと期待に応えなくてはと過度な無理をしてしまうこともあるもの。

 

敏感だからこそ、「褒める」のプラス面マイナス面も如実に影響するんですよね。

 

 

では、褒める時どんなことを気をつけたいでしょう?


覚えておきたい「褒め方」のポイント

3歳ぐらいまではやたらめったら褒めるでもいい

言葉のニュアンスや大人の意図や気持ちもまだよく分りませんから。

何だかママパパ嬉しそうだなあと子供の気持ちも盛り上がり前へ進んでいきます。

乳幼児期によく褒められた子の方が、よく発達しているという研究報告もあり。

(『オールアバウト』の記事に研究の詳細あり)

 

 

・具体的に描写する

例えば

「すごいね」→「猫の髭まで描いて今にもニャーって鳴きそうな楽しい絵ね」

「えらいね」→「お友達が玩具とっても手を出さずに『返して』って言えて偉かったね」

 

「すごいね、えらいね」とだけ言われた時のような、

「褒めればいいと思ってない?」という気持ちもわきません。

「ちゃんと見てくれてるんだな」と、子どもの心に届きます。

 

 

 


・誠実に褒める

口先だけでなく、心から感じていることは、子供の心にも届きやすいもの。

昔、毎年「このクラス、私が担任してきた中で一番!」と言う先生がいました。

クラスの子たちも、しらけてましたね。美辞麗句のみでは、不信感にもつながります。

 

 

 

・その子にとって何の努力もなしにできることは褒めなくていい

その子が簡単にできてしまうことを褒めることで、

「自分のこと、これぐらいだと思ってるんだ」と思われることも。

自信をつけるどころか、自信を損なうこともあるかもしれません。

 

また「この人の褒めるってその程度のことなんだ」と、

その大人から他に褒められても単に社交辞令としか思えないなど、

その子にとってその大人の「褒める」という行為の価値が下がる場合もあるでしょう。

 

 


・子供自身既にモーティベーションが高いことは褒め過ぎない

「したくてしょうがないからする」が「褒められるためにする」へと、

せっかく「内的動機」に突き動かされていたのが、「外的動機」にとってかわられる可能性ありです。

 

 

例えば、虫が大好きで図鑑を毎日のように眺めている子が、

「こんな虫の名前や特徴まで知ってるなんてすごいわ!あなた虫の天才ね!」と褒められ続けたとします。

 

すると、「虫が大好きという気持ちに突き動かされていた(内的動機)」のが、

いつしか、「こんなレアな虫の名前まで覚えちゃったらもっと褒められるかな」という気持ちに隠れていくかもしれません。

 

本人が夢中になっている場合は、邪魔しないようにしてやりたいですね。





・結果や評価より過程の頑張りを褒める

結果や評価を褒めることの弊害って大きいなと、子どもたちに接してきてしみじみ思います。

 

・「100点なんて賢いわね!」と褒められ続けるなら、

確実にいい結果や評価を受けることしか踏み出せなくなり、

失敗を恐れ、チャレンジしなくなるかもしれません。

 

・「サイエンスフェア入賞なんてあなた才能あるわ!」ともてはやされるなら、

頑張ったって結果や評価に繋がらないことっていくらだってありますから、

思うような結果が得られなければ、すぐに「やる気」を失うかもしれません。

 

結果や評価より、確実に自分で変えることのできる「過程の努力」を褒めてやりたいです。

 

例えば、

「100点なんて賢い!」より、

「大好きなテレビ番組も見ないで勉強して頑張ったね」

 

「サイエンスフェア入賞なんて才能ある!」より、

「何冊も本を読んでリサーチしてたくさんのこと学んだね。おめでとう!」

 

またたとえ「よい結果や評価」を受けなくても、一緒に残念がった後は、

過程を観て頑張りを褒め(認め)てやりたいです。

そのあと、改善案など話し合いたいですね。

 

 

 

先日、サッカーのミーティングで、

20年近くサッカークラブを経営してきた担当の方がこんなことを言っていました。

「12歳ぐらいまでは、勝ち負けにフォーカスしない方が、その後伸びます。

スキルの上達に励み、できるようになることが楽しいという気持ちを大切にしてやってください」とのこと。

 

思わず大きくうなずいていました。 

 

こちらにも、小学生の内は成績表がないという方針の学校がありますが、そのベネフィット、理解できます。

結果や評価を気にしすぎるより、自らの力を磨き続けることにフォーカスするのを助けてやりたいですね。

 

 

 

・周りと比較してでなく自分と比較して褒める

「周りよりできる」がモーティベーションになるならば、

負けたり周りよりできない場面では、一気に「やる気」を失ってしまいます。

どこまでいったって、上には上が常にいます。

周りではなく、「1か月前よりずいぶんドリブル上達したね!」と、昨日の自分と比較するよう励ましたいですね。

 

 

 


ティーンぐらいにもなれば「褒める」も必要なし?

高校生ぐらいにもなると、我が家でも、

褒めようものなら、「馬鹿にしないでよ」といった様子ですね。

 

クラブのコーチや尊敬する先生からの真摯な「褒める」なら、嬉しいのでしょうが、

「褒める」には、なんとなく,「手なずけられる」というような感覚を持つのかもしれませんね。

 

 

「やったね!」と、一緒に喜ぶ

「〇〇の面倒見てくれてありがとう」と、感謝する。

「あなたのこういうところ、ママ尊敬するよ」と、尊重する。

の方が、しっくりきます。

 

より小さな子でも、

「褒める」より、一緒に喜ぶ、感謝する、尊重するの方が、

より自己肯定感を高められる場合もありそうですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

その子のいい面やきらりと輝く面を見出し、認め、褒めてやるのは、

確かに、その子の自己肯定感を高め、大きな力となります。

 

奈緒美さんの『虹色教室通信』にもありましたね。

矛盾から生まれる「かけがえのないもの」 2

「ワークショップの終わりなどに、

子ども同士で作品を披露しあい、

素晴らしい、素敵だな、工夫がされているなと思うところを言い合ってみる」と。

 

奈緒美さんのおっしゃるように、

認める側も、「見る目」が養われますし、

認められた子どもたちの、自信に満ちた表情が目に浮かぶようです。

 

 

 

 

褒め方に少し気を配り、

ここぞというところを認め、褒めてやりたいですね。

みなさん、楽しい週末を!


一人の夜のつぶやき:変わらない自分、言葉を紡ぐということ、つながりのある幸せ

2017年04月01日 | 雑感

変わらない自分を生きる

今日は、

長男が競技会で朝から他州へチームメートと発ち、

昨夜から泊まりに来ていた友人の娘ちゃん息子君も夕方自宅へ戻り、

夫と下3人は長男の応援へと出発。

長女は、近所のお友達の家にお泊り。

 

なんと、一人の夜。

 

何年ぶりでしょう。

 

車に乗り込む子どもたちに手を振りながら、

子どもが巣立つ際、ぽっかりと心に穴のあくお母さんの姿を思い浮かべました。

 

しんとした居間。 

何気なく通り過ぎた子供と過ごす時の貴さが迫り、

愛おしい気持ちがこみ上げます。

 

昨夜から続いた「子ども7人」とのそれはそれは賑やかな時とは、

あまりにもコントラストな静けさ。

 

しばし呆然としたあと、

少しずつ、自分が誰なのかを思い出した気持ちでした。

 

わいわい人の中にあっても、

家族や子どもたちと過ごしていても、

1人であっても、

変わらない自分。

 

この変わらない自分を、生きていきたいです。

 

    

 

 

 

 

言葉をつむぐということ

相手を満足させることを目的としない。

自ら満たされた気持ちで、

心から大切だと思うことを書く、そして言う。

 

相手の満足度と、

自身が満たされるということには、

何の関わりもないと思い出したいです。

相手の満足度によって、

自らの満足度は減ったり増えたりするものではないと。

 

もし伝わり、相手が少しでも満たされるなら、

「ああ、ありがとうございます」と空を仰いで。

 

プロの仕事として、人目にさらせる形に整える。

でも、根本的なところでは、「この前提」を覚えていたいです。

 

究極的には、相手と私の問題ではなく、私の中心と私の問題なのだと。

 

 

 

 

 

幸せであることは、全く難しいことじゃない

しみじみ思うことです。

 

周りとのつながりを断ち切るならば、

いくらだって「絶対的な幸せ」に抱かれていられます。

 

私は、壁の蠅を一日中眺めていたって、

幸せな気持ちでいられる自分を知っています。

 

チャレンジングなのは、

つながりの中で行動を起こしつつ、

幸せであること。

 

それでも、そのチャレンジこそが、

その人が、よりその人へとなる道なのでしょうね。

 

 

 

夜の闇と静けさに1人、思い溢れる贅沢な夜。

さて、これから緑茶を飲んで、原稿を仕上げます。

みなさん、良い日を!


お菓子にゲームにアートにレゴにビデオ作りに昨日今日のツクリモノ、「つくる」が溢れる空間っていいですね

2017年04月01日 | 絵・作りモノ

昨日今日と、友人の娘ちゃん息子君がお泊りに来てました。

三女の誕生日、ということで、ケーキ作り。

材料の購入から飾り付けまで子供たち。

英語、スペイン語、日本語、そして中国語を習っているお友達が中国語で誕生日の歌。両親の母国語のインド南部の言葉では誕生日の歌はないのだそう。

姉の用意した「宝探し」ゲーム。

「〇〇(次男)のお気に入りの玩具入れ」→「毎朝着替える場所」など、

ヒントが書かれた紙をたどり家じゅうを探して回ります。

最期にプレゼント発見!

次女からのプレゼントは、ケーキを作りながら描いたパンダ。

ピニャータというメキシコ発祥の遊び。中にお菓子が詰まったピニャータを順番に棒でたたき、とうとう割れると群がる子供たち。

    

大興奮のまま夜はふけ、おやすみ!

翌朝は、女の子二人でパンケーキ。

そのあとは、アクリルペイント。

少年たちは、おりがみ。

レゴを作り、ストリー仕立てにして、ビデオに撮ってました。

「絶縁体砂糖粘土」も作り、とんぼ。(春休みのサイエンスアートプロジェクトに「電気を通す粘土」作りはどうでしょう、材料とつくり方

女の子たち、スライムとか小麦粉や米粒を入れた風船とかこんな普通より柔らか薄い風船だとか、

「感触を楽しむもの」が大好きなんですよね。

また?と呆れるくらい、しょっちゅう作ってました。

『虹色教室通信』で紹介されていた感覚型を思い出しますよ。

他の型もあてはまるかな?という面もみられますが。

 

夕方にはクッキーを作りお土産に。

 

私は出たり入ったりで、

時々、活動をのぞくという様子だったんですが、

雨ザーザーのため屋内にて、

つくってはきゃーきゃー走り回りと繰り返した2日感でした。

 

「今度は何つくろっか?」「あ、〇〇作ろ!」と顔を見合わせ、

アイデアを形にしようと夢中になる姿、

うまくいかなくて首を傾げ、「あ、こうしたらどうかな?」とうなずき、

出来上がったモノを前にした、あの誇らしげな表情。

 

「つくる」が溢れる空間っていいですね。

みなさん、今日も良い日を!