最近とにかく実感しているのは、
力を抜くことの大きさ。
自分の身体に感覚を澄ませ、
力が入っている部分に気づき、
緩めていくことの効果。
リラックスして!と頭で思っても変化なしだけれど、
一つ一つの部分を緩めていくと、結果リラックスする。
リラックスして物事に向き合うとき、その時点の最善が発揮できる。
最近とにかく実感しているのは、
力を抜くことの大きさ。
自分の身体に感覚を澄ませ、
力が入っている部分に気づき、
緩めていくことの効果。
リラックスして!と頭で思っても変化なしだけれど、
一つ一つの部分を緩めていくと、結果リラックスする。
リラックスして物事に向き合うとき、その時点の最善が発揮できる。
ある教授と車に乗っていたとき、
テレビやメディアに出ることもあり、研究室でもかなりの地位についていたその方、
ハンドルに沿って指をゆっくり回しながら言った。
どんなに認められてもですね、どんなに好きな人と一緒になり、可愛い子供達に囲まれていてもですね、
寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい、
こうしてぐるぐると回ってるんです。終わりなきループを。
私の奥底にはそんな旋律が常に流れています。
それがまた、私を研究へと駆り立ててもくれるんです。
昨日、そんな二十年近くも前の情景をふと思い出した。
寂しいと言う気持ちは私には今はあまり実感がないけれど、
それでもそんな奥底にぽっかりとある空間は、私なりに少し分かる気がする。
その空間から流れるリズムが、止め処なく進む力を与えてくれるというのも。
「モノや言葉は忘れられるけれど、与えた感情は忘れられることがない。」
昨夜、そう小学校の体育館の壁に貼ってあった。
確かに、そうかもしれないな。
人を思い出すとき浮かぶのは、モノや言葉でなく、もやもやっとした印象や気持ち。
我が家では、パン一日一斤の消費量。
毎晩、長男長女次女と交代でパン焼き機に材料を仕込む。
レシピに忠実に量り入れる娘達と、
目分量でドバドバっとする長男と。
なぜかいつも長男のパンが一番ふかふかで美味しくなる。
長男に言わせると、これぐらいが美味しいだろう、っていう直感に頼るんだよと。
その直感、失敗続きの「ドーナツ作り」には、未だかつて発揮されてないけれど。