鉄ある記

鉄道写真を中心に、京都の街角の情景なども写真で紹介していきたいと思います

時代祭行列に参加して 徳川城使上洛列

2010-10-22 | 京都街角の情景

 きょう10月22日は、京都では昼に平安神宮の祭礼である時代祭が行われ、夜は鞍馬の火祭があります。私は時代祭・江戸時代の「徳川城使上洛列」に参加してきました。京都市民は皆、平安神宮の氏子であるとされています。私たちは今回、平安講社第6講社として上洛列に参加しました。京都市下京区の七条学区、西大路学区の市民で、この両学区に当番が回ってきたのは27年ぶりの出来事です。

 時代祭の行列の順番は明治維新から延暦時代までさかのぼり、徳川城使上洛列は全体の3番目。総勢250人という最大の規模を誇ります。馬に乗る城使、目付頭、跡乗番頭の3人を中心に小姓や近習、馬廻などの徒士が固めます。私は裃を着て一文字傘を被って供奉する、いわばその他大勢の一員でしたが、父は近習として羽織袴に二本差しの姿で参加しました。しかし、その他大勢といえど、27年に一度の当番です。都大路を京都御所から平安神宮まで裃に袴を着けて歩く経験はそうそうできるものではありません。そこで、会社にずいぶん前から休暇届けを出してこの日に備えていました。

 この徳川城使上洛列が面白いのは、平安神宮に行く前に学区内を巡行するのです。これもただ歩くだけではなく、馬に乗る三役を衣装を整えて迎えに行くのです。まず、目付頭の方のお宅に行き、次に跡乗番頭、最後に一番偉い城使と巡るのですが、三役はそれぞれの自宅前に幕をめぐらし、床几に腰かけて迎えを待ちます。迎えが着くと、代表の口上に「ご苦労」と声をかけて騎乗し、列を進めて行きます。ふだん自分たちが暮らす町内を武士の姿をして歩くのは気恥かしいような楽しいような、独特の気分です。七条、西大路の両小学校の児童、学区内にある幼稚園の園児たちもみんな見学しています。

 御所から丸太町、烏丸通、御池通、河原町通、三条通そして神宮道というコースで歩く本番も、多くの市民や観光客の視線を浴びてのものですが、地元の順行のほうが楽しかったですね。でも、そのために午前6時に集合して着付けし、解散したのは午後4時半。足袋にぞうりでずっと歩いたので、足が張っています。あー、疲れた。

 写真は町内を行く行列。手前右側の裃に一文字傘が私のいたグループです。(写真は家人が撮ったので、こんなものしかありません)

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れさまです。 (yuki)
2010-10-22 20:04:31
最寄り駅、西大路のyukiです。
いつも楽しみに見ています。
1度下津林の踏切で会った事があります。
写真を見てびっくりしました。。
マムシさんがこんな近所に住んでいたとはびっくりです。
京都駅に撮影に行く時にこの前を通って行っています。
これからも毎日プログを見ていますのでがんばってください。
これからよろしく御願いします。
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yukiさん (まむし)
2010-10-22 20:50:57
こんばんは。いつも見ていただき、ありがとうございます。
ご近所さんなのですね。私も西大路駅ユーザーですから。
最近、ちょっと仕事が忙しくて更新が滞りがちですが、よろしくお願いいたします。
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お疲れ様です。 (清水五条)
2010-10-22 22:21:17
今日の時代祭の行列に参加されていたのですね?今頃は疲れとアルコールでお休みだと思いますが、道中御苦労さまでした。
時代祭は市民の祭りですが、父、祖父は参加したようですが、私は参加した事がありません。そちらの地区は27年ぶりだそうですが、等方の地区はもっと短な間隔で回ってくるようです。また織田信長、羽柴秀吉の安土桃山時代です。
今週末色々とあるようですが、疲れをいやしてゆっくりしてください。私は出掛ける予定ですが?
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お疲れさまでした。 (急行きたぐに)
2010-10-23 00:00:04
てっきり 時代祭を撮影されるのかと思ってたら 時代祭に参加されていたのですね。 明日は、ゆっくりして疲れをとってください(^^)
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清水五条さん (まむし)
2010-10-23 20:45:34
こんばんは。
そちらはどのくらいの間隔で回ってくるのでしょうか。私のところは27年ぶりなので、次回に私は生きているかどうか…ですね(笑)

安土桃山時代は、今回、豊公参朝列が平安講社第十社、織田公上洛列が第五社でした。講社内の学区数などが関係するのでしょうかね。
一度、参加してみてください。話の種になりますもの。

私は本日、休養日で1日、家人と過ごしていました。
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急行きたぐにさん (まむし)
2010-10-23 20:48:54
こんばんは。
そうなんですよ、撮影ではなくて参加していました。で、本日は吹田工場にも行かず、「あすか」にも行かずです。

学生時代に祇園祭の山鉾巡行で岩戸山を曳きましたので、これで京都三大祭りの二つに参加したことになります。でも、葵祭りは無理そうですね。つてがありませんから。
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いちょかみパートⅡ (弧鉄)
2010-10-24 20:16:22
今晩は。時代祭、京都三大祭の一つ。時代装束のパレード。正直言ってこの程度しか知りませんでした。「まむしさんがこの祭りに参加した。」で、少し調べてみましたらそんな簡単な祭りでないことが分かりました。核家族化が進み地域の結び付きも薄くなり町会や子供会すらない。あっても参加しないことが珍しくない昨今でこんな大きな祭りを市民が守り続けている。「当番が回って来ました。」との言葉に参加するのが普通であり当たり前のことのように感じました。装束も日本の伝統文化は京にありの心意気のもとに装束は厳格に本物を再現しているとありその努力と熱意は並大抵では無いと思います。ところで、参加は当番制で27年振りだそうですが前回は20代の頃になるかと思いますが参加れたのかな?「徳川城使上洛列」は大名行列の再現で見せ場は毛槍や挟み箱の投げ渡しとのことですが配役はどの様に決められるのかな?。等々また悪い癖が出てきました。いっちょかみパートⅡです。そして、学内巡行を見学したくなりました。
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弧鉄さん (まむし)
2010-10-24 23:28:05
こんばんは。
はい、当番なので出るのは当たり前ですね。
27年前は京都にいませんでしたから、出ていません。多分、次の機会もないでしょう。あの世から見ています(笑)
配役はそりゃ、町内の偉い人から決まっていくのです。私なんかぺーぺーなので、その他大勢でした。
毛槍や挟み箱の投げ渡しは学区の者ではできないので、平安奴会という専門の人たちがいます。専門に取り組む人たちと市民、そして学生アルバイトらが混然一体になっています。
京都という大都市であるにもかかわらず、こうして市民がみんなで当然のごとく祭りに参加しているというのも、この街の特徴でしょう。
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