京阪の七条-三条が地上を走っていた時代の写真をアップしたところ、多くの方々から「懐かしい!」とのコメントを頂戴しました。
そうなると、「ご好評につき」と次から次へと調子に乗って下手な写真をアップするのが、このブログの常であります(^^;)
今回は言わずと知れた京阪特急初代の3000系です。この写真は疏水側から撮影したものです。冬の西日を受けてお顔が輝いています。疏水側は影になっていますが、このように鴨川と疏水を分ける堤防そのものが京阪の線路だったのです。疏水は琵琶湖から引かれた水が満々と、そして結構早い速度で流れていました。この写真からも、少しはそれがうかがえるのはないでしょうか。前回の鴨川べりを行く1757号の記事に、フッタンさんが「今の川端通りを京阪が走っていたなんて・・・」とコメントくださいましたが、まさにこの写真の線路と疏水が川端通になっているのですよね
こちらの写真は、鴨川の右岸(西側)から流し撮りをしました。颯爽としていますね、3000系。
1757号の記事にC62重連さんもコメントを寄せてくださっています。そこに書いてくださったように、私も京阪特急は「京橋を出ますと次は七条」のイメージが今なお強いです。ちなみに阪急京都線の特急は「十三の次は大宮」(余談ですが河原町行き特急の最後部ドアは大宮ではホームが足らずに開かなかった)でした。それが京阪も阪急も停車駅を増やして、私なんかの感覚からいうと、これはもう急行ではないのか、というものです。やはり特急は特別急行なのですから、その名の通り特別な存在であるべきです。いつのまにやら特急より下級のはずの快速の名前のついた快速急行なるものを走らせる私鉄も出てきて、これがまた特急との違いが判然としません。勝手な感想を言うと「特急も安物になったなあ」と思ってしまいます。
最近、ようやく阪急には「京とれいん」、京阪にも「ノンストップ特急」が登場しました。さっきも書きましたが、やせても枯れても特急は特別な存在であり続けてもらいたいですね。
1977年1月14日撮影 アサヒペンタックスSPF
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懐かしいですね。って言ってもワタシにとっては写真で見ただけですが・・・
川沿いを走る姿がいい味わいです。
京阪も阪急もJRの新快速にスピードで負けた結果、沿線に停車させて客を拾う方針に変化して久しいですね。
現在も京阪特急で1本残る3000系ですが
当時の流行「国鉄東海型顔」を纏って登場した
車両ですね・・・
関西では京阪、山陽などが国鉄に倣い作られた車両ですが、パノラミックウインドが斬新で人気を博しましたね(^^)
今でも8000系、新3000系にも負けないアコモは更新されているとは言え、低コストだけに拘った現在の車両とは一線を画していると思います。
私も京阪特急というと京橋←→七条ノンストップのイメージが強いです。
近鉄でもノンストップ特急と言うと特急の中でも格が上で、小さい時は地元の近鉄宇治山田駅で興奮して見ていたのを思い出します。
京阪の代表的光景でしたから、地下化されたときは残念でした。
中之島新線もあんな地下深くでなく、地上の川縁を走らせたら楽しかっただろうな、と思います。
阪急は淡路付近の千里線との交差、京阪は橋本付近の急曲線が速度が上がらない大きな要因ですね。なので、こまめに客を拾っていく手はあるのですが、やはり京都という観光地と商都を早く結ぶという機能は京都市内のそれぞれの駅の立地が異なるので残しておくべきではないのか、と以前から思っていました。
今でも京都-大阪の料金にJRと私鉄では開きがありますが、国鉄時代はそれがもっと大きかったですよね。
料金の影響もあるでしょうが、京阪で行って阪急で帰るということもやろうと思えば可能で、楽しみの一つでもありました。
歌と同じで、写真も記憶の引き出しを開けてくれますね。
そうそう、パノラミックウインドウは特徴的でしたね。鋼製車の重厚さが感じられるデザインでした。
おっしゃるようにコストだけを見て作った車両とはひと味もふた味も違う車ですよね。
名阪ノンストップ特急!これはやはり別格ですよね。名前を聞くだけでおおっと感動しますね。
近鉄で言えば京都人にとっては賢島特急が別格でしたね。奈良行きとか橿原神宮とかではなく、賢島特急というと長距離を走るリゾート特急の趣を子供心にも感じました。