1977年の春、私は横浜の鶴見線も訪れました。京都近辺の東海道線(現JR西日本京都線)から姿を消した懐かしい73系電車に乗り、17メートル電車のクモハ12形に会うためです。73系は京都-西明石間の緩行電車として走っていて、我が家では「省線電車」の呼び名で通っていました。つまり鉄道省の省線ですね。
現在でも国電(国鉄電車)という年配の方がおられますが、私の幼いころも祖母らが省線と言っていたのです。
鶴見から73系に乗って海芝浦に行った後、川崎市の武蔵白石へ向かいました。そこには戦前生まれの17メートル電車、クモハ12形が単行で走っていたからです。
クモハ12形は1929年から1931年にかけて製造された鉄道省の17メートル級3ドア電車、31系が種車とし、その後、車両形式の称号が改正されて11形や12形が誕生しました。この鶴見線大川支線で走っていたクモハ12形はそもそもモハ31形で、その後クモハ11形200番台になり、さらに両運転台化されてクモハ12形になりました。
私が訪問したときは、武蔵白石と大川間約1キロの1駅だけの大川支線を1両で行ったり来たりしていました。
現在は20メートル級電車入線のため、大川支線の電車は安善-大川間を走り、武蔵白石は通過するそうですね。
左上の写真が、本来の運転台です。武蔵白石方で非貫通です。
右の写真は、後で改造増設された大川方の運転台。こちらは貫通ドアが付いています。大きな「武蔵白石⇔大川」のカンに、側面のすごい数のリベット。この、いかつい姿に魅せられて、なかなか離れることができませんでした。
1977年春 鶴見線大川支線 武蔵白石-大川 クモハ12(車両番号不明)
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