鉄ある記

鉄道写真を中心に、京都の街角の情景なども写真で紹介していきたいと思います

大海原とEF58 ありし日の紀勢線

2009-07-18 | 思い出のひとこま

 紀勢・阪和線の話題に、皆さんがいろいろコメントをくださったので、もう少し保存している写真を紹介したいと思います。

 海とからめたEF58の写真は何枚かあるのですが、こんな逆光の写真はどうかなと、選んでみました。場所は紀勢線の岩代-南部で、南部方を向いて撮影した写真です。EF58が12系客車を引いてやって来ました。ただ、逆光です。そのまま撮影しても単なる黒っぽい写真になるので、あえて陽光が全面にきらめく太平洋を大きく背景に取り込んでみました。

 残念ながら記録が残っていないので、これがEF58の何号機であるのかわかりません。ですが、私にとっては大切なEF58の思い出です。
 さよなら列車とかイベント列車とかではなくて、毎日ふつうに走っていた風景であるのもお気に入りの理由です。

1985-10-7 国鉄紀勢線南部-岩代



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青ワム列車 3170レを撮る

2009-07-18 | EF66

 JR琵琶湖線の瀬田-南草津を行く紙返空専貨3170列車を撮ってきました。

 前の記事に書いたように、20年以上前のワムはほとんど茶色でした。しかし、現在のワムは大半が青色です。この日の編成はワム35両中、茶ワムは中ほどの1両だけでした。

 色はともかく、やはり何度見ても有蓋貨車が延々と連なって走る光景はよいものです。ふだん高速コンテナ貨物ばかり見ていることもあるのでしょうが、これぞ貨物列車という感じですね。臨貨8866レや8865レも時にバラエティーに富んだ編成となり、楽しい列車ですが、基本はチキなので機関車の後方がともすればさびしくなります。
 その点、この3170レはずらっと貨車が並ぶため、見ごたえは十分です。

 実は、この朝も撮影に出かけようかどうかと迷いました。午前4時過ぎに目覚まし時計が鳴って目は一応覚ましました。ですが、意識はもうろうとしてなかなかすっきりと起き上がれません。このところ、寝不足が続いていて、朝寝したいというのが本音でした。結局、20分も布団の中でぐずぐずしていたでしょうか。

 けれど、けさの牽引機はEF66-44号機であることがわかっています。貴重な66の0番台がこの列車を牽引するのもいつまでかわかりません。また、平日には仕事の関係で撮影はほぼ不可能です。そうすると、撮れるときに撮るという鉄則にのっとって行動するのがベストです。眠い目をこすりつつ、カメラザックにレンズとカメラを放り込み、三脚を抱えてよろよろと駅に向かいました。
 ただ、わざわざ起きて出かけたのですから、これまで撮影したことのない場所で撮影したいと思い、この区間に来ました。ここは晴れていると機関車の顔には陽が当たるけれど、ワムは陰になる場所です。きょうのような曇り空の時こその場所と目を付けていました。

 背景がうるさいのと、手前の草が邪魔ですが、3170レの新しい1コマを加えることができて、朝早くから出かけてよかったと思いました。

2009-7-18 JR東海道線瀬田-南草津 3170列車
Nikon D300,AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED,52mm,ISO 400
1/640秒,f3.5.-0.3段.WB:晴天

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思い出の紀勢ワム貨

2009-07-18 | 思い出のひとこま

 波が打ち寄せる海岸線。崖に張り付くように敷かれた線路を、EF15が行く。
 従う貨車は石灰用タンク車か。そして今は数少なくなったワム、そしておそらく後部には黄タキとヨ(緩急車)が付いている。ワムはすべて茶色だ。今、京阪間で見ることのできるワム貨は3171レと3170レの1往復だが、ほとんどが青い理のワムで、茶ワムはごくごくわずかだ。40両余りの編成でも、茶ワムは多くて2、3両だろう。
 編成のワムがすべて茶色の時代があった――この写真を見て、私自身改めて認識を新たにした。

 この日は秋の穏やかな日で、和歌山市のアパートから当時乗っていた真っ赤な日産オースターを駆って国道42号を下り、このポイントを目指した。仕事がたぶん一段落ついたのとEF15やEF58の終焉が近かったことが、撮影に出向いた理由だろう。

 このころの愛機はNikon FM2で、レンズも多分135ミリまでのズームくらいしか持っていなかったと思う。もちろん手持ち撮影だ。このころは、鉄道撮影からずいぶん離れていた時期で、ほんの時々、このように思い出しては撮っていた程度。今はそこそこカメラもレンズも持っているけれど、この当時は乏しい機材しかなかった。それでも何とか撮影できていたのだと思うと、改めて機材に頼るのではなく、足で稼ぎ、よく考えて1コマ1コマ丁寧に撮る気持ちが大切なのだと感じた。

1985-10-07 紀勢線岩代―南部で

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