記憶の彼方へ

カラーとモノクロの写真と一緒に 日頃のなにげないエピソードやホッとするコトバを♪

初のNY珍道中 Part 1

2016年04月09日 23時04分43秒 | Weblog

ニューヨークで個展をする夢に近づくために、生まれて初めてアメリカ本土初上陸~~
実は今回3泊5日の弾丸旅行は、昨年末から始めた英語の力試しも兼ねていた

ワクワクドキドキだったけど、行きの飛行機がまさかの2時間遅れ経由場所のロスアンゼルスで出発が大幅に遅れた為だ。機内に乗り込んだ後、延々と待たされたという訳
予めJFK空港には迎えのリムジンを6:30に予約し、ペニンシュラホテル8:20発の市内観光ツアーも予約済みだったので、JFK空港に着くなり、スーツケースを受け取るよりも先に、リムジン会社とツアー会社に連絡した

リムジン会社は飛行機の遅延状況を常にネットで把握しているので、焦っている私とは打って変わって、スーツケースを受け取ってからの指示を冷静にしてくれた相手が見えない電話で英語を使うミッションにもなんとか無事に遂行することが出来たいや、ほんとはかなり焦りました

一方ツアー会社とは、今から向かっても集合場所には間に合わない為、観光ルートの途中のメトロポリタン美術館で待ち合わせることになったこちらは日本人ドライバーなので、ふつうに日本語が通じました

スーツケースを受け取り空港の外に出てリムジン担当者に電話を入れた。「白いスーツケースか?」と聞かれ、相手には私が見える様子iPhon片手に言われるがままに横断歩道を渡りまっすぐに歩き続けると、笑顔で手を振る外国人が現れたなんとか無事にリムジンに乗り込んだ
取り敢えず、第一関門突破

リムジン予約時にはツアー集合場所のペニンシュラホテルに行き先をお願いしていたので、行き先をメトロポリタン美術館に変更してもらった。無事に行き先変更出来たことをツアー会社に連絡したら、もう少し早く合流出来そうだと言うので、再度アポロシアターに行き先を変えてもらった。一瞬、怪訝な表情を見せたものの、快く行き先を変えてもらえた

空港から程なくして、民家の間を走る
車窓からの景色が思いの外楽しかった。アメリカの昔ながらの住宅にあこがれがあったからだ。どの家も、玄関先まで4.5段ほどの階段を上る造り。高床式になっているのかな?
あとで判ったが、これは階段下にもう1つ扉があり、奴隷制度の名残りで半地下の部屋は奴隷の住まいとなっていたようだ。

「人間とそうじゃないもののための扉の2つがあったんですね。」と言うツアーガイド兼ドライバーさんの一言が印象的だった

到着したアポロシアターには、ものすごい人の列が出来ていた。慣れない場所の人混みは怖いので、警備しているお巡りさんのすぐ隣で待つことにした端から見たら、警察官に道を尋ねる訳でもなく隣りにぴたり立ち続ける変な観光客に映ったはず
ツアー会社のガイドさんに連絡すると、通りの真向かいあたりに駐車しているようなので、重いスーツケースを引きながら横断歩道を渡り、無事に合流
第二関門突破

この時点で既に体力消耗
ま、市内観光といっても大型バスで行くわけではなく、4.5人乗りのセダンで、お客は私ともう一人だけのアットホームなものだった。質問もドライバーさんの後部座席から気軽に出来てしまうほど!

ニューヨーク初日は、かくのごとくドタバタでスタートしたのである


出発は羽田を夜中に出ました!

ロスアンゼルス空港内にこんな和紙の展示がありました。ステキ

一番手前がクライスラービルです。

予定ではニューヨークに5:44着だったんです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする