癒しの時間始めました!

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日々思う事を素直に。

愛情飢餓。

2013年06月06日 | 日記
少し時間が出来たので本屋をフラフラして、何気に見たのは、

ぶり返す「怒り」「寂しさ」「悲しみ」は捨てられる。

そんな題名の本。

本の帯には「大人の愛情飢餓」と言う文字が。



5万人以上を見てきた心理カウンセラーさんの著書。

立ち読みすると思い当たる節がたくさん出てきて、

最悪にも、

ちょっと、涙目になってしまった。



慌てて本を置き、逃げるように店を出た。



ちょっとね?

ずっとだな。

気付いてた.........と言うか、

ずっと、心の奥にある物を。

だから、必死で押さえこんでまた見ないように奥に詰め込んだ。




子供の頃に得られなかった愛情を、

大人になってから形を変えて、求めてしまう。

それが愛情飢餓だとか。

愛情飢餓の親からは、やっぱり愛情飢餓の子供が出来上がる。

なぜなら、親が子供の頃に満たされなかった愛情の飢餓感を満たす為に、

子供にそれを求めてしまうから、子供は親に愛情を注ぐが自分はもらえない状態になる。

そして、また愛情飢餓になった子供が大人になる。



克服するには、そんな小さな頃の自分の想いを表に出して受け入れる事だとか。

「すごく寂しかった。」

「受け入れてもらえない事に腹が立った。」

そんな色んな想いを吐き出させる事が良いんだとか。

......そんな事くらいで?なんて思う自分。

そんなもので心が癒せる訳がない。

心の傷が、心の欠けの修復が簡単な訳がない。

そんなに簡単なら、みんな苦しまない。

心理学を知らない私はそう思う。




ずっと思ってた。

こんな感情はどこから来るのか?、どうして起こるのか?

どうすれば満たされるのか?。

多分それは、ないんだろうと。

その満たされない感情は、ずっと色んな形で出ていたんじゃないかと思う。

ライナスの毛布のように離せなかったウサギの人形だったり。

何かを抱きしめる事で、防御や安心や安定を手に入れようと無意識にしていたのかな?

と思う。

今は必要が無くなったのは、執着や依存が他に行ったのか?無くなったのか?

無くなりはしないのか?

執着や依存を恐れているからなのか。

失う事の恐怖があるから執着や依存自体を遠ざけるのか?




子供の自分は受け入れてはもらえず、親の気持ちを受け入れる一方だったと思う。

でも、そうして親から必要とされる事で気持ちの均等を保っていたのかもしれない。

もしかしたら、それを愛情だと思いこんでたかもしれない。

自立した今も、他に求めるより他に必要とされる事を願うのはその後遺症かも?

なんて苦笑してしまう。

そして求める事をあきらめる。

求めて受け入れられないと怖いから。

そして、

『必要とされなくなったら自分は価値が無いのでは?』


と行きがちだけれど、

ちょっと、『それはそれで、気持ちが楽になるかも?』なんて思う所もある。

だけど、実際はわからない。

必要とされたい思いと必要と言う言葉で利用されたくない思いで。




今なら母親の愛情飢餓感も理解出来る。

私も子供達に足りないで来た愛情を求めてはいなかったか?

そもそも、愛情ってなんだろ?

よく愛とは無条件に相手を受け入れてあげる事なんて言うけど。

本の中でも実際にこれは無理な事だと書いてあった。

日本には大小あれど、慢性的、日常的に親が子に愛情を求め、

子供の愛情飢餓は起こってるとも。



人の心は複雑で、

深層心理など本人さえも気付いてない事や、

心の歪みから身体に不調をきたしたり。

心理学的に導き出される答えに、

完全な回復なんてきっと難しい事。




ここ数日の間で、何人もの愛情飢餓を起こす子供を見た。

もちろん親は気付いていない。

指摘をされても認めない親も多い。




自分の小さな頃を見ているようで心が痛い。




切り捨ててしまうのは簡単だし、

一時的に親の思うままに動かせるかもしれない。

その時は突き放される恐怖心から、

子供も一時的には聞くかもしれない。

だけど、

突き放す言葉は心を傷つけるし、

そして何より『自分の事を思っての言葉じゃない』と、

子供に認識させて、信頼を失うだけに過ぎない。




未来を担う子供達に、

愛を与えてはもらえませんか?