鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

質実剛健ないかにもドイツオペラらしい「影のない女」

2010-05-24 | Weblog
 23日は東京・初台の新国立劇場で、オペラ「影のない女」を観賞した。リヒャルト・シュトラウス作のドイツオペラで、天上界に棲む霊界の王カイコバートの娘は皇帝に見染められ、皇后となるが、影がなく、子供を宿すことができず、このままだと掟により皇帝は3日後には石となってしまう。そこで、下界に降りて染物屋バラクの妻の影を借りよう、と誘惑する天上界と下界を行ったり、来たりするファンタジーなオペラで、いかにも質実剛健なドイツオペラらしく華やかな感じがなかったのが惜しまれた。
 21世紀の愛の賛歌と銘打たれた「影のない女」は天上界で狩りに戯れる場面から始まる。草原に横たわる皇后は乳母からこのまま影がなく子供を宿すことができないと、皇帝は3日のうちに石と化してしまう、と告げられて、下界の人間から影を借りることとして乳母とともに下界へ旅立つ。で、早速結婚生活に不満を持ち、子供を産もうとしない染物屋バラクの妻に目をつけ、影を譲ってくれれば贅沢三昧だし、夫以外の男とも自由に遊ぶことができる、と誘惑する。
 そこですっかりその気になったバラクの妻は若い男によろめきそうになるが、とことん夫を裏切る気持ちになれなくて、夫に殺してくれ、と頼みこむ。その願いがかなったのか、第3幕では天上界にのぼったバラク夫妻は夫まで白いスカートを履いて現れ、お互いの愛を求め合い、天上界を彷徨い歩く。
 その姿を見た皇后は影を求めてバラクの妻に迫ったのは間違いだ、と気付いて、皇帝への愛に思いを新たにする。すると、呪縛は解けて、バラク夫妻、皇帝・皇后ともに真実の愛に目覚める。ラストは影の象徴である幼い男の子と女の子がジャンケンをしながら戯れるシーンで幕となる。
 天上界は石を積んだ壁を並べることで、そして下界はベニヤで組み立てた家を並べることで表現し、ベニヤの家はひっくり返すことで、屋内と外を表す場面展開で、あとは照明で、うまく演出していた。
 最初、影のないことが何を意味するのか、わかりにくかったが、最後になって2組の夫婦の傍らで戯れる子供を見ていて、人間そのものを象徴していることがわかった。
 この「影のない女」には外人オペラ歌手が5人も出演しているが、5人とも会場全体に声が響き渡るようなオペラ歌手ではなく、中堅どころの歌手のようで、1回も満場の拍手を浴びるような場面がなかった。入場の際に手にとったパンフレットのなかに、印刷されたメッセージのなかに「拍手は幕が下りてからにして下さい」と記してあったせいもあるが、感動して思わず拍手するような場面がなかったことも事実である。
 それと、いつも見られるような群衆で合唱するような場面もなく、出演者も全部で20人くらいだし、主演のバラクの妻を演じたエミリー・マギーもずっと黒ずくめのドレスで通したし、オペラの豪華な感じがなかった。ドイツオペラというものはこんなものか、とも思った。
 オペラを見ていつも思うのは日本でいえば歌舞伎のようなものだ、ということだが、今回の「影のない女」は歌舞伎でいえば少なくとも十八番ではなく、中どころの出し物なのだろうか、とも思った。
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