鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

砂上の楼閣に乗っかった佐藤紅緑一族の「血脈」

2010-01-14 | Weblog
 佐藤愛子著の「血脈」全3巻を読了した。以前から歯に衣着せぬ率直な物言いをする佐藤愛子の著書には愛着をもっており、いつか読もうと思っていて、年末に高津図書館で借りてきて、年末年始にかけて読み終わった。佐藤愛子の父、佐藤紅緑とその子で兄にあたるサトウハチローを軸に佐藤一族の栄枯盛衰を描いた実話小説で、破天荒というかハチャメチャな生きざまに圧倒される。最後に佐藤家の血は絶えてしまうが、筆者はそれを敢然と宿命と受け取るところはさすがと思わせる。
 「血脈」は佐藤紅緑が住む東京・茗荷谷の家の近くの坂を後のサトウハチローが風に煽られながら下っていくところに横田シナなる女優志望の女が男に伴われ、坂を上ってきて、ハチローに父の在宅を尋ねるシーンから始まる。これが佐藤一族を呪われた一族とするドラマの始まりだった、と筆者は予言する。というのも佐藤紅緑はハルなる妻がいるにも関わらず、横田シナを一目で気に入り、よそに囲ってなんとか女優として売り出そう、と自ら一座を率いて奔走し、家庭を返り見なくなってしまったからだ。
 妻妾同署をなんとも思わない佐藤紅緑の生き方が長男のハチローはじめ節、弥、久の4人の男の子に影響しないはずがない。紅緑はそれ以外にも料亭のおかみの真田いねとの間に子をなしているほか、横田シナとの間に早苗、愛子(筆者)の2人の娘をなし、大正、昭和の戦争をはさむ時代の波のなか、こうした子供たちは紅緑の自堕落な生活ぶりを引き継ぎ、ハチロー以外は碌な職にも就かず、次から次へと女を変え、さらには酒、博打に溺れる生活に明け暮れ、遂には野垂れ死にに至ったり、自殺、もしくは事故死してしまう。男兄弟でたった一人生き残ったサトウハチローも作詞家として名を成すが私生活は父と同じような妻妾同居のような生活で、ここでも男兄弟は悲惨な結末を迎えてしまう。
 紅緑と横田シナとの間に生まれた早苗、愛子の2人姉妹もお互いに伴侶に恵まれず、早苗は夫との間がギクシャクして仮面夫婦よのようになり、愛子も2回の結婚とも借金まみれの生活に突き落され、破れかぶれの作家生活に追い込まれる。
 「血脈」は別冊文芸春秋に13年間にわたって連載されたもので、多少の筆者の脚色はあるものの実話に基づいたもので、これでもか、これでもかといった紅緑、ハチローをメインとする無茶苦茶な生活ぶりが披露される。2人だけでなく、3代にわたって、破天荒な行状が書き連ねられるのだから、読んでいて驚くことばかりで、こんな一族が実際にいたんだ、と驚嘆させられる。実際に身の周りにこんな人がいたら、即座に御免蒙りたい、といった気持ちにさせられることだろう。
 一族だ、と思うから最後には面倒を見なくてはならない、という気持ちになるのだろうが、筆者はその一部始終を見守ってきたのだから、筆致にも暖かいものがあふれている。
 読み終わって、血というものは争えないものなのだ、というのが実感である。佐藤家には平和で落ち着いた団欒というものがなかったし、地道な生活をい送る、という観念がなかったのではないだろうか、と思えてくる。小説や詩などの文学を志す以上はそうした地道な生活とはかけ離れたところから、生まれてくるのだ、という幻想があったのではないだろうか。砂上の楼閣かもしれない世の中での評価がふわっとしたものだけに実生活に結び付かなかったのではなかろうか。それが血となって噴出していったのだろう、とも思った。
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