鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

不屈の俳優、三国連太郎が見せた涙に人間性を感じた

2010-04-12 | Weblog
 11日午前、NHKBS2チャンネルを見ていたらアンコール劇場で「こころの遺伝子ーーあなたがいたから」の第1回ゲストとして俳優の三国連太郎を取り上げていた。今井正監督の映画「飢餓海峡」での犯人役はじめ難しい役を見事にこなす個性派俳優として気になる俳優であることと、20数本作られた映画「釣りバカ日誌」で共演した西田敏行が司会していることもあって、魅せられたように見入ってしまった。
 三国連太郎はこれまで180本もの映画に出演しているが、驚いたことに最初のきっかけが昭和25年、東京・東銀座で松竹のスカウトマンに声をかけられたことだった、という。女優ではよくそうした話を聞くが、男性でもそうしたことがあったのか、と思ったのと、そんなポッと出の新人を当時の映画監督の木下恵介が映画「善魔」の主役に抜擢してしまった、というのも意外だった。
 スカウトマンに声をかけられた時の三国連太郎は26歳の戦争帰りの食い詰め者で、明日からどう生きていこうか、と途方に暮れていた時で、映画のえの字も知らなくて、ただ飯が食えればいい、と思っていた、という。その日はたらふく食事にありつけ、翌日、湘南にあった木下恵介監督の家に連れていかれた、という。そこで、演技に関する話でも聞かれるのか、と思っていたら、世間話だけでご馳走をふるまわれた、という。すでに木下恵介監督は鬼籍に入っているし、三国連太郎も詳しくは語らないのでわからないが、三国連太郎のなにかが木下恵介監督の琴線にひっかかったのだろう。
 翌年に木下恵介監督が制作した映画「善魔」の主役の新聞記者役に三国連太郎が抜擢された。その後、その時の役名の三国連太郎を名乗ることになったのだから、生涯忘れられない映画となったのだろう。撮影中に階段で共演の女優とすれ違うシーンを50数回撮り直したが、その時に木下恵介監督が「自分の好きなように演じればいい」と言ってくれたことがずっと心に残っている、という。
 その後、俳優修業のために俳優座に入って勉強したうえで、数々の映画、舞台に出演してきたが、この時に木下恵介監督の一言が頭から離れない、という。自分を見出してくれた木下恵介監督のことを司会の西田敏行から聞かれて、思わず涙してしまったところに木下恵介監督への思いが垣間見えた。
 三国連太郎の誰にも頼らない不屈な生き方と演技を見てきて、こうした隠されたエピソードがあったとは信じられない思いである。若くして田中絹代と夫婦役を演じた際に老人とは見えないとして歯を10本抜いてしまったこととか、足尾銅山鉱毒事件を扱った映画で田中正造を演じた際に台本にはない足元の土を食べてしまったシーンとかで、役者魂を貫き通した人生のなかで、それほど木下恵介と親しく接してきたような形跡はうかがわれなかった。しかし、木下恵介監督亡き今となって、87歳となって冷静に自らの人生を振り返ってみて、師に仕えた思いが感謝の思いとして募ってきて、涙となったのだろう。
 不屈の俳優、三国連太郎が人間性を見せた一瞬であった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「パーフェクトだ」との言と... | トップ | 対面販売という商売の基本を... »

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事