鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

「パーフェクトだ」との言とともに嵐の如く走り去った黒澤さん

2010-04-11 | Weblog
 10日は東京・西五反田の桐ケ谷斉場で行われた前シスコシステムズ社長の黒澤保樹さんの葬儀に行った。黒澤さんとは仕事を通じて親しくお付き合いしていたが、ここ1、2年消息が途絶えていたので、どうしているのかな、と思っていた矢先に、共通の知人であるJさんから訃報を知らせるメールが先週届いたのだった。昭和27年生まれの58歳とまだ壮年で、血気盛んな年だったのにと惜しまれる。
 午前9時半からの葬儀に少し遅れていくと、「名刺をお持ちですか」と言われて受付を通され、そのまま会場の椅子席に通された。ざっと200くらいある席はまだ余裕があり、第一線のトップの葬式にも拘わらず、ややさびしい感は否めなかった。読経の声を聞くうちに友人代表として松岡正剛氏の弔辞が始まった。黒澤さんは松岡正剛氏を講師に招いて、幅広い層の知識人に声をかけ、日本の文化を勉強する連塾なる組織を立ち上げてきた。その講義の場で、ある日突然片方の耳が聞こえなくなり、病魔に冒されていることがあとになって判明した、と語っていた。
 黒澤さんとは20年くらい前に当時黒澤さんがヒューレット・パッカード社の取締役で展示会「HP WORLD」を開催している時にその展示会をお手伝いする形で知り合った。的確な指示で、それでいてコンピュータに関する知識も深く、できる人だ、との印象を持ったことを覚えている。その後、シスコシステムズ社の日本法人社長にスカウトされた後も付き合いは続き、随分とお世話になった。黒澤さんとは仕事を離れた後でも一緒に温泉旅行に行ったりして、楽しい時を過ごさせてもらった。
 温泉旅行には広告代理店や制作会社の若い社長と一緒に夜遅くまでカラオケでどんちゃん騒ぎをして、黒澤さんのバックグランドにはこうしたブレインのような集団が控えているのだ、ということがわかり、外資系企業でのしていくノウハウの一端を垣間見ることができた。そうした場面と通じて強く感じたのはそれこそ秒きざみでエネルギッシュに動き回る黒澤さんのパワーだった。弔辞を読んだ松岡正剛氏も嵐のように急いで逝ってしまった黒澤さんのことを嘆いていた。
 お焼香の場となって、黒澤さんにまだ幼い小学生くらいの男の子が2人を含め勉学中のお子さんが3人もいることを初めて知った。参列者の数がそれほど多くなかったせいか、最後に参列者全員が棺桶の中で眠る黒澤氏の横に生花をたむけるセレモニーが行われ、そっとデスマスクをうかがったが、ガンと闘った壮烈な最後を物語るような形相をしていて、正視に堪えなかった。奥さんはじめ家族全員が泣き伏す姿を直視し、思わず涙が流れてきてしまった。
 親族を代表して奥さんが挨拶していたが、ガンが発病したのは08年12月で、以来ガンと闘う毎日だった、という。それでも亡くなる2日前に、黒澤さんが病室のベッドで突然、「やった!パーフェクトだ」と叫んだ、という。11日に至るまで黒澤さんの訃報は伏せられて、新聞にも一切掲載されてない。おそらく実ははにかみ屋で、派手なことを嫌う黒澤さんの遺言なのだろう。「パーフェクトだ」との言とともに、いかにも黒澤さんらしい最期だった、と思った。
 ここに慎んでご冥福を祈りたい。合掌!
 
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