鈍想愚感

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国民は佐々木元東大総長の「安倍首相よ、驕るなかれ」論文をかみしめるべきである

2014-12-12 | Weblog

 10日発売の文芸春秋新年号に元東大総長の佐々木毅氏が「安倍総理よ、驕るなかれ」と題した論文を寄せている。さすがに表紙には表示されていなかったものの、投票4日前のタイミングで時の首相に強烈なアッパーカッを見舞ったその勇気には感心させられる。今回の総選挙には識者のだれしもがなぜいま解散か、と疑問符を投げかけている。なのに新聞各紙の調査では自民党が300議席を獲得するのではないか、との予想が飛び交っていて、安倍首相追い落としにはつながっていない。あと数日で、この大勢を覆すかもしれない佐々木元東大総長の渾身の一撃である。

 佐々木論文はまず11月18日の安倍首相の会見に疑問を呈し、そもそも首相に解散権があるのがおかしいと指摘する。他の先進国には元首にそんな権限を与えていなくて、あくまでも野党の首相不信任提案があったのをはねつける時にだけ、元首の解散権を認めている、という。日本は首相に解散権を認めているから、常に日本の政治家は選挙を意識しなければならず、落ち着いて政策に取り組むことができない、と指摘する。安倍首相は前回の選挙で衆院の圧倒的多数を獲得し、続く参院選でも衆参のねじれを解消し、政治家が本来行うべき仕事ができる環境に置かれ、発足1年半の間に多くの課題を解決してきたのにそうした状況をあえて崩しかねない解散に打って出ることは理解できない、ともいう。

 佐々木論文は仮に安倍首相が今後4年間のリーダーシップを執ることになっても、一体何をしようとしているのか、肝心なことを放置しているのではないか、と危惧する。膨大な財政赤字、日銀の異次元緩和、そして急速な高齢化にどう立ち向かおうとしているのか全く見えていない。安倍首相に限らず日本の政治家は精神的スタミナを失って、見たくない現実から目を背けていないか、と景勝している。

 かく格調高く、安倍首相を戒めている。全くその通りである。安倍首相には然るべき識者の声は全くいていないようである。周りにお友達ばかり従えていて、耳障りのいい話しか聞かない環境に鎮座していては届くわけはないことだろう。育ちのいいボンボンでは部下の言ってくる言葉の裏なり、横にでも違った面があることなど考えもしないことだろう。

 丁度11日に川崎市民アカデミーの講座で国連環境計画・金融イニシアティブ特別顧問の末吉竹次郎氏の講義があり、地球温暖化に対する金融界の取り組みが話されたが、そのなかでいまペルーのリマで開催されているCOP20の動きなどに対し、日本の取り組みが遅れており、安倍首相がこの問題に対してほとんど関心がないと揶揄をこめて言及があった。ここでも肝心の課題に踏み込まない安倍首相が明らかとされた。その末吉氏は安倍首相のことを「エー・ビーイーという人」と揶揄を込めて表現していたし、文芸春秋新年号に寄稿した野田佳彦前首相はABEのことを「アセット・バブル・エコニミー(資産バブル経済)だ」と切り捨てていた。いずれもあえて安倍とは発音したくないようなニュアンスである。

 かつて与謝野晶子は日露戦争に従軍した弟に対し、「君死にたもうことなかれ」と雑誌、明星に発表し、話題となったが、今回の佐々木論文はこれにも匹敵する論文で、国民はあげて安倍首相の真の姿を改めて見つめ直す時である、と実感した。

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