鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

失くしたとおもっていたPasmoが出てきた。世の中には善意の人がいるものだ、と痛感した

2013-08-25 | Weblog
 23、24日と、伊東へ出かけた時のことである。以前は溝の口から武蔵小杉経由、東海道線で行っていたが、ある時小田急線を使って小田原経由で行った方が往復800円近くも安いことがわかって、ずっとそうしており、まず溝の口駅からJR南武線で登戸駅まで行った。そこで、小田急線に乗り換えて、小田原まで行き、降りようとしたところ、財布に入れたはずのPasmoのカードがない。登戸駅で確かに改札にタッチし、財布のなかにしまったところまでは覚えているが、週刊誌を丸めて持っていて、入れた積もりがスルッと落としてしまったのだろう。折角、5000円チャージしたばかりなのにパーだ、と思って落胆していたら、かみさんが有人改札に行き、ことの詳細を話したところ、「戻ったところに遺失物センターがある」という。
 Pasmoが落ちていたら、拾った人はそのまま残額を確かめて使ってしまうことだろう。まあ、ないものと思って観念し、ダメもとと思って、小田原駅の遺失物センターに行き、ことの経過を申し立てたところ、登戸駅へ連絡を取って、問い合わせしてくれた。そのPasmoは以前勤めていた会社から通勤用に支給されたもので、使っただけの内容をコンピューターでチェックできるように名前を片かなのフルネームで印字してくれたものであったことを思い出し、その旨を告げた。
 しばらくして、折り返しの返事があり、「そのようなPasmoが届けられている」というではないか。なんというラッキーなこと、そんなことがあるのだ、と声こそ挙げなかったが、驚きというより感激した。駅員は身元を明らかにするようなものはないか、と聞いてきたが、生憎免許証も持ち合わせていなくて、携帯電話の番号を告げた。で、「どうするか」と聞いてきたので、まさかこれから登戸まで往復するのも煩わしいので、「約束があるので」と言って、帰りになる翌日の昼ごろに取りに行くことにした。
 無事に事件が解決して、かみさんとこの世にはなんと親切な人がいるものだ、と話し合った。かみさんが言うには「あなただったら、拾ったPasmoを自分のものしてしまうことだろうから、そんな届ける人がいるなんて思いもしないのだ」という。確かに、人は自らどう行動するかを考えて、物事を見極めようとするものだ。Pasmoは形はカードではあるが、チャージされている内容によっては現金と変わりないことになる。現金を落としたら、まず出て来ない、だからPasmoも同じだと思い込んでいた。しかし、世の中には心がけのいい神さまのような人がいる、ということをすっかり失念していた。
 で、伊東で一日ゆっくり静養して帰途につき、登戸の駅務室で、名乗って申し出たところ、無事に5000円チャージされたPasmoが戻ってきた。サインして受け取ったあと、善意の人にお礼をしたいので、駅員さんに「一体、だれが拾ってくたのでしょうか」と尋ねたところ、当の駅員さんは書類をひっくり返して、「うちの駅員が拾ったようです」と言ったので、「それはそれはありがとうございました」と頭を下げた。かみさんのところは戻ってから、たまたま小田原で買った饅頭があったので、それをお礼に「みなさんでどうぞ」と差し出したら、最初は「そんなのいいです」と言っていたが、結局快よく受け取ってもらえた。
 善意の人は駅員さんというオチがついたが、それでもこんなことがあるのだ、日頃から人には親切にしなくてはいけない、ということを痛感した次第。
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