鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

雷怖い

2006-05-25 | Weblog
 昨24日夕から夜にかけて、東京近郊で雷雨が襲来した。丁度、駅から家へ帰る途中で、稲光がすると同時に雷鳴が轟き、びっくりした。恐らく50メートルから100メートルの範囲内に落ちた、と思われ、いままでに感じたことのない命にかかわる恐怖感に捕らわれた。家のマンションには避雷針があるので、あともう少しでその範囲内に入るだろう、と思って家路を急いだ。早く着け、早く着け、と思いながら、必死で駈けた。
 家で早速、ネットで「避雷針」を検索してみた。すると、建築基準法によると、高さ20メートル以上の建造物には避雷針の設置が義務付けられていることがわかった。ただし、そのカバー範囲についてはよくわからなかった。当マンションの屋上には確かに避雷針がある。しかし、周囲の建物にはそれらしき建造物がないせいか、避雷針は見当たらない。ということは、当マンションのせいぜい周囲50メートル程度しか安全ではない、ということになろう。
 昔から怖いものの代表として「地震、雷、火事、親父」といわれ、漫画なんかに雷が鳴ると座布団を頭に被り、卓袱台の下に潜り込むような気の弱い男性が登場しているのがよくあった。どうして雷なんて、そんなに怖いものなのか、と半ばあきれていた。考えてみると、生まれ育った名古屋の実家の近くには中部電力の変電所があり、そこに大きな避雷針が設置してあり、いくら雷が鳴っても家に落ちる心配はない、と言われてきたので、雷に対して恐怖感を抱いたことがなかった。それと、若い時は無鉄砲というか、いつ死んでもいいや、という半ば虚無的な心情があったこともあって、雷に対し一切、怖いなんて思ったことがなかった。
 それが、昨晩は近くで雷鳴が炸裂したのを身近に体験したこともあったのか、初めて雷に恐怖心を抱いた。音の伝わる早さは1秒間に340メートルであるので、稲光が光ってから音がするまでの時間を計ることで、どのくらい先に雷が落ちたのかわかる。昨晩は本当に100メートルから2キロメートルの間にいくつもの雷が落ち、生きた気がしなかった。
 60歳を過ぎてから雷に恐怖を感じるなんて、一体どうしたのか、と思って心情を省察すると、いまはまだ死ぬわけにはいかない、やりたいことがいっぱいあることがわかった。知らないところを旅をしたいし、いい本も読みたい、いい音楽や芝居も観たい、美味しいものを食べたい、気心の通じた友達と酒を酌み交わしたい。それに守らなければならないものがある。子供であるし、かみさんであり、会社の有能な若い人である。そういう人に60年培ってきた多少のノウハウも伝えなくてはならない。いま、ここで死ぬわけにはいかないのだ、と思い至った。
 雷で改めて知った我が思いである。

追伸 今朝午前5時に起きて、5時半頃から鈍想愚感を書き出し、6時20分ころに完成し、「投稿」をクリックしたら、「gooのブログは25日午前6時から9時までメンテナンスです」のメッセージが出て、原稿がパーになってしまった。そのことを知らなかった当方のミスではあるが、最初にアクセスした時にそのメッセージが出るようにしてもらいたいものだ。
 原稿が飛ぶことはよくあるので、またか、という程度のことだが、サービス管理者としてはちょっとした心遣いをしてほしい。
コメント
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