膵臓がんとお母さん。ちょこっと私たち。そしてその後。

2011年10月母の膵臓がんが判明。お母さん、がんばる。私たちもがんばる。笑顔で過ごす闘病日記。

余命1ヶ月。

2012-03-04 18:46:59 | 日記

 

3月初日、先生からご家族も一緒にとお呼び出しがあった。

 

入院して2週間が過ぎた頃、ちょっと忙しくて3日お見舞いに行かなかったら

その3日で急に黄疸が出た。

 

その黄疸が胆管が詰まったものならちょっとした手術?みたいのができて黄疸も抑えられて

お母さんのお腹の違和感も解消されるらしくワクワクしていたんだけど

検査の結果、その黄疸は胆管の詰まりではなく、肝臓機能の低下からくるものだった。

 

すい臓の癌は大きくなり、肺の癌も増えて。でも特に肝臓。

大きな影がびっしり。

肝臓を埋め尽くすようで、肝臓として一体どこが機能しているんだろうと思えるほど

急激に増えていた。

 

 先生が悲しそうに『末期の状況で余命は1ヶ月です』と告げる。

 

 

たったの1ヶ月。

 

今後は、望みをかけてもう1度抗癌剤をやってみるか、緩和の治療を中心にするのか。

 

追い詰められると、ずっとしゃべっているお父さんが先生に苦しめたくないと家族で決めたとしきりに言っている。

そんな話し合いをした記憶はあまりないんだけど(笑)とにかく話を挟む隙がない。

 

一緒に聞いていて、ずっとまっすぐ先生のほうを向いているお母さん。まだ一言も発していない。

お母さんは凛としてしっかりとした人だから。

きっと自分で決めたい。

 

『お父さん、お母さんがどうしたいか、お母さんに聞こうよ』と言ってみた。

先生も『ご本人の意見を聞きましょう』と言ってくれた。

 

『抗癌剤は受けたくない。もう、多分体力がもたない』

とお母さんは言った。

 

 

今後は来た痛みを緩和しながら、栄養と肝臓の点滴を続けて、

プラス漢方で免疫力の向上を図ることになった。

 

先生に挨拶をしてナースセンターを出ると看護士さんが慰めてくれた。

泣かない事にしてるんだけど、さすがにちょっとやられた。

お母さんの車椅子を押していたから見られてはいないけど。

 

自分のショックはあるけど、お母さんが「胆管の手術をしたら少し起きれるようになるかしら?」と

直前に笑っていたから、その希望がお母さんの心の中で消えてしまってすっかり諦めてしまうのがすごく怖かった。

 

先生のお話の後、お父さんも帰って、消灯前、やっぱり笑顔で私と話をしてくれるお母さんに

『ホントは悲しい?』聞いてみた。

 

『不思議なくらい悲しみも怖さもホントにないのよ』

とお母さんは言う。

 

表情を見ていると本心だと思う。

 

泣く事も、取り乱すことも人に当たることもなく

ずっと今まで通り笑っているお母さん。

 

ホントは泣けるような場所を作ってあげられたらいいのかもしれない。

 

まぁ、娘では力不足かな。

 

 

 

 

 



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