豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

清永聡「家庭裁判所物語」ーー 緑陰の読書(その1)

2024年08月19日 | 本と雑誌
 
 清永聡「家庭裁判所物語」(日本評論社、2018年)を図書館で借りてきて読んだ。面白かった。
 著者はNHKの解説委員で、司法記者クラブ等に所属した経験を持つ。戦後の家庭裁判所誕生から、2011年の東日本大震災時の仙台家庭裁判所(秋武憲一所長)の活動に至るまでを概観した物語である。家裁の創設から初期の運営に携わった方々の書き残した文献(例えば、五鬼上堅磐の当時の日記)や聞き書き、取材当時まだ健在だった当事者や、内藤頼博、宇田川潤四郎、三淵嘉子氏らの遺族への聞き書きを交えて要領よくまとめられていた。

 登場人物の何人かは私もお目にかかったことがあり、私なりの印象をもっていたが、著書や論文を通してお名前しか知らなかった方々の肉声というか、生身の人物像も知ることができた。
 お会いしたことがある人としては、法曹では内藤頼博さん、竹内壽平さん、佐藤藤佐さん(25、30、43頁)、森田宗一さんなど、学者では中川善之助さん、平野龍一さん、平場安治さん、宮澤浩一さん、松尾浩也さん、田宮裕さん、澤登俊雄さんなどが登場した。家庭裁判所でも家事部よりは少年部に関わる方が多い。
 著書や論文でしか存じ上げない方としては、宇田川潤四郎、三淵嘉子、栗原平八郎、秋武憲一らの諸氏の人柄にふれることができた。
 かつて私が編集部に所属した雑誌では、毎年の年末号でその年に刊行された著書・論文の講評を掲載したが、ある年、柏木千秋氏(名大教授)の刑法だったか刑訴法だったかの体系書を評者が「教科書」として紹介したところ、柏木さんが大変怒っていると澤登さん(國學院大学教授)経由でクレームが来た。澤登さんと柏木氏の接点を知らなかったので、なんで澤登さんから?と訝しく思ったが、本書で彼らの接点を知ることができた(頁数は見つからなくなってしまった)。

 以下は、思いつくままエピソード的に記しておく。
 最高裁の家庭局長(課長?)だった「五鬼上堅磐」という名前(8頁)には思い出がある。おそらく昭和30年代に彼は世田谷の赤堤周辺に住んでいたのではなかったかと思う。通学の道すがらだったか遊びに行った先に「五鬼上」という表札の家があって、何て読むのだろうと級友たちの間で話題になっていた。「ごきじょう」と読むことは後に知ったが、名前を「かきわ」と呼ぶことは本書ではじめて知った。
 内藤頼博さんを、面長、目元涼しく、鼻筋の通った二枚目、身長は175cmという描写は、まさに私がお会いした内藤さんそのものである(25頁)。前にも書いたが、NHK朝の連ドラ「虎に翼」の沢村一樹演ずる久藤何某とは似ても似つかぬ方だった。内藤さんが細野長良(最後の大審院長)と袂を分かつに至った経緯なども初めて知った(142頁)。内藤さんと石田和外最高裁長官との「交友」関係なども意外だったが(202頁)、法曹人にはそのような結びつきもあるのだろう。

 個人的には、裁判官らの自由闊達な議論と交流を封じ込めたいわゆる「司法の危機」問題、最高裁による青法協所属裁判官に対する締め付けに関する著者の筆法の弱さには不満が残った(225頁)。私は家族法の学会で最高裁家庭局付の裁判官の方の発表をお聞きし、その後の懇親会で同席して会話する機会があったが、その方の優秀さと誠実さが印象に残った。ニューシネマ時代の “handsome woman” という言葉がぴったり合う方だった。家裁発足時の精神が今に生き続けていることを信じたいが、その方はのちに地裁判事に転出してしまった。
 東京家裁事務官採用第1号の水越玲子さんという方のインタビューも印象に残った。私の教師時代の(夜間部の)受講生に東京家裁の事務官をしている女性がいたが、真面目で大へんに優秀な学生だった。きっと第1号の水越さんの精神を引き継いだ優秀な事務官でもあっただろう。
 
 小松川女子高生殺害事件をめぐって、世論が加害少年の厳罰化を要求して盛り上がった際に、これを受けた法務省で厳罰化を唱えたのが安倍治夫検事だったというのも知らなかった(156頁)。彼の著書「刑事裁判における均衡と調和」(題名は不確か)を読んだことがあった。私の学生時代の刑事訴訟法学では、弾劾的捜査観か糺問的捜査観か、当事者主義的訴訟か職権主義的訴訟かというの二項対立的な刑事手続き観が隆盛だったが、彼の本はそれでは捉えられない内容だった(ように記憶する)。
 いわゆる東大紛争をめぐって逮捕された活動家の中には126人もの未成年者が含まれており、彼らに対する少年審判事件が東京家裁に大量に係属していたことも本書で初めて知った(186頁)。

 NHK朝の連ドラ「寅に翼」で、なんで明治の女子部に穂積重遠が登場するのか不思議に思っていたが、彼は東大教授と同時に「明治大学女子部委員」という肩書をもっていたらしい(37頁)。私が在籍した大学でも、戦後まもなくの頃には東大教授が本学教授も兼務していたことがあった。
 本書は「寅に翼」の参考文献の一つになったと思われるが、私としてはドラマの「寅に翼」よりもはるかにドラマティックで、興味深い内容だった。
 ※ 5頁、飯森重任は飯守重任の誤り。

 2024年8月9日 記 
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