
箱根の旅、第2日は朝10時過ぎに旅館をチェックアウト。天気はほぼ快晴。緑の山肌が青空に映えている。
旅館の裏口(6階にも出口があった!)から2、3分坂を登った先にある「奥湯本」バス停から、10時16分発の箱根登山バス、畑宿経由、元箱根港行きに乗る。湯本駅始発のバスは満員でやってきたので、座ることができない。元箱根港まで40分間も立ったままはキツイなと思っていたら、途中のホテルや旅館前で停車するたびに乗客が下車するので、10分足らずで家族4人が着席することができた。

終点の元箱根港バス停周辺は3連休の2日目ということもあって、午前11時なのに結構混んでいる。とくに、芦ノ湖めぐりの遊覧船乗り場などは長蛇の列で、「次に出港予定の便も満席のため乗船できません」というアナウンスが流れていた。
ぼくが最後に箱根に来たのは10年近く前の8月下旬(か9月上旬)、夏休みのゼミ合宿だった。2つの台風が同時に関東地方を襲ったとんでもない時で、遊覧船もロープウェーもすべて欠航、土砂降りの雨のなか激しい波に揺れる遊覧船を空しく眺めて帰るしかなかった。
今回は天候にも恵まれ、陽ざしがあって風もなく、最強寒波が到来しているという割にはそれほど寒く感じなかった。


元箱根港の周辺が混んでいるので、1キロ先にある箱根関所まで歩く。関所に向かう途中で、芦ノ湖の向こう雲の合間に雪を頂いた富士山を見ることができた(冒頭の写真)。
関所とはどんな難攻不落の遺跡が残っているのかと期待したが、ここがどうして難所だったのか分からないくらい、あっさりと通過することができる場所である。小山の上に砦のような遺構があったから、地理的に難攻不落というより監視が厳しくて通り抜けるのが難しかったのだろう。


箱根関所の宿場のような通りを抜けたすぐの所に、小田原駅始発で箱根湯本駅に向かう路線バスの「箱根関所」停留所があって、12時16分発だったかのバスに乗って湯本駅に向かう。こちらはガラガラで到着して、元箱根港で満席になった。来る時のバスとは違って、芦ノ湯や小涌園、大平台、塔ノ沢など箱根駅伝のコースを通る路線だった。懐かしいわが大学のセミナーハウスの前も通過した。
塔の沢を過ぎるあたりから渋滞が始まり、バスは一寸刻みのノロノロ運転になる。後で分かったことだが、渋滞の原因は箱根湯本駅周辺の道路を観光客が頻繁に横断するためだった。湯本に近づいた車窓からは、小津安二郎の戦争前の映画に出てきそうなレトロな外観が雰囲気のある旅館が見えた。「環翠楼」とあった。尾崎一雄の「あの日この日」という回想録のなかに、軽井沢の「環翠楼」で志賀直哉と面会する場面があったが、箱根の「環翠楼」と関係があるのだろうか。ぼくの知っている軽井沢の宿は「観翠楼」だったが。
1時間20分以上乗っているのに函嶺洞門を過ぎても渋滞が続いていたので、バスを降りて湯本方面に歩くことにした。


湯本の商店街にある食べ物屋は軒並み長い列ができていたが、「花さがみ」という料理屋をのぞいたら4人掛けのテーブルが一つだけ空いていたのでそこに入って昼食。2時を回っていた。ミニ海鮮丼を注文したが食べきれず、息子たちに助けてもらう。

予約した小田急ロマンスカーの出発まで時間があったので、駅前を流れる早川の川原に降りて、家族写真を撮る。何年か経ったら「あの頃は親父も元気だったな」と思い出してくれるだろうか。あと十何年かは元気でいたいものだ。

3時50分発だったかのロマンスカーで新宿に戻る。途中、車窓から豪徳寺駅を撮ったが写っていなかった。梅ヶ丘駅を通過する際には線路の北側に懐かしい根津山の木立も見えたがこれも写っていなかった。
午後5時半頃、新宿駅に到着。われわれは南口改札で解散し、それぞれの家路についた。
ゆったりした楽しい1泊2日の箱根の旅であった。
2025年2月27日 記

