たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

思い出に残る山(21)岩殿山 (山梨県)

2018年01月11日 | 心に残る思い出の山
平成6年

登山口(0:40)岩殿山(1.:15)浅利(1:00)登山口→(休憩含まず)




高月橋を渡って直ぐ左の空き地に車を置き坂道を登って行くと「ヤー、いらっしゃい」

70歳位と見られるお爺さんが声を掛けて来た。思いも掛けぬ歓待だ

気を良くしルンルン気分で行くと20分ほどで丸山公園に着いた

頭上には大岩壁が迫り、その脇を巧みに付けられた石段が上へ上へと伸びている

ここで今度は熊蜂の有り難くない出迎えを受けた

1~2分ほど蜂の求愛を受けるはめになったが「私は花じゃない」と言った言葉が

通じたのか、その内 諦めて何処かへ姿を消した

雄さんが「たかの赤い服を花と間違えたのだろう」と笑っていた

尚も続く急登を登りきると築坂峠と岩殿山の分岐に差し掛かり

先ずは武田家の家臣である小山田信茂の居城が有った岩殿山に歩を向けた


(略)

展望広場の南側、すなわち大岩壁の上に立つと眼下に蛇行して流れる桂川

その向こうに大月市街、その上には春霞に消されそうな道志の山々が広がる

空気が澄んでいれば富士山がその美しい姿を見せるはずなのだが

今日は残念ながらその姿は無い

此処には本丸が置かれていたそうだが時は戦国時代、敵に対する緊張感は常に有ったで

あろうが雄さんが毎朝、庭に出て緑を眺めている様に、やはり四季折々の景色の中に

安らぎを見出していた時間も有ったのではないだろうか

一段下がった北側の広場はこの山上では一番広い場所で馬の訓練がされていたとされるが

見た所、一走りも出来ない80坪あるかないかと言った感じなのだ

(略)

「一番大切な生活用水は50m下の亀ヶ池

敵側にしてもこの急坂では登ったはいいが疲れ果てて闘う気力を失うよね」と言う私に

「城の周囲を取り囲んで持久戦に持って行けば何れは食料も尽きて

ついには白旗を挙げる事になる」と雄さん 成るほど、その手も有るんだ

山城の一長一短を学習した想いだった


賑やかだった山城跡を後に再び分岐に戻り岩殿山の山腹を巻きながら築坂峠に向かう

この道が戦いに敗れた小山田茂信やその家臣、奥方たちが逃げた道なんですってと

雄さんに説明をすると歴史に明るい雄さんが、その相手は多分、織田軍だろうと言い

頭にインプットされた歴史書を紐解きその興亡を語ってくれた

遠い時代に想いを馳せながら戻った築坂峠は大手口に供えられた空堀で

城への入口でも有ったと言う、それを裏付ける様に大月方面に細い山道が下っていた

(略)

稜線が痩せて来て左手がスッポリ切れた所が第一の岩場で、此処を越えると第二の岩場

幅30~40㎝の道を手摺に掴まって5mほどトラバースし7mのルンゼ状の岩を

鎖で攀じ登る


(略)

ここは武田氏滅亡の哀史を秘める「稚児落し」だ

目の前に広がる岩壁を前にお互い「ワーッ」と言っただけで次の言葉が出て来ない

100mは切れ落ちているだろか 足が竦み胸が締め付けられる思いだ

ここを敗走した小山田信茂一行は胸に抱いた乳飲み子の泣き声を

追っ手に聞かれるのを恐れ泣く泣く谷に投げ落とし

母親もその後を追ったと言う悲劇の舞台がここなのだ


(略)

ここは大声を出すと岩壁に反響して大人数が声を出している様に聞こえるため

「呼ばわり谷」とも言うそうだ

その声が何故か寂しく耳に響くのは私だけだろうか

(略)

霞がなければ絶好の展望台でも有るこの岩

今日は御正体山、三つ峠山などが限度でそれも暖かい気候に災いされて霞んで見える

そうした淡い景色の中に谷底を埋め尽くす新緑が艶めかしく輝いていた


(略)

浅利集落に降り立った場所に幹回り4mを越える松の大樹が目に止まった

通りがかったお爺さんが「お疲れ様」と挨拶をして通り過ぎるのを

「この松が御座松ですか?」と尋ねると簡単な説明と少し下った場所にある千本松を

教えてくれた。 「いらっしゃい」から始まって「お疲れ様」で終わった今回は

素朴な暖かい山里の人情に触れた微笑ましい山行となった

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14 コメント

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岩殿山 (イケリン)
2018-01-11 19:58:21
思い出に残る山を拝見していて、いつも思うことは、たかさんご夫妻は危険度の高い山を選んで
登られているように思えてなりません。
もっとも、ありきたりの山を卒業されてからのこととは思いますが、
より高度な技術と体力を要する山に挑戦したくなるようですね。
幅の狭い登山道を手摺につかまってトラバースしたり、鎖でよじ登ったりと、
今回の山もスリルに満ちたすごい山だったという様子が伝わってきます。

岩殿山は典型的な山城ですね。ご主人がおっしゃるように、攻められにくい半面、
兵量責めに合うとひとたまりもないですね。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、平城または平山城が大規模に築かれるようになったのも
うなづけますね。
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一番乗りかな♪ (越後美人)
2018-01-11 20:00:38

これはまた大変な岩場ですね。
でも登山される方は、これがいい!と言われるのかも知れませんね。
握力25の私にはとても無理ですが、たかさんは相当な握力と腕力がありそうですね^^

稚児落しの谷、そんな悲しい出来事があったんですね。
自分の身に置き換えてみると、果たして出来るだろうかと思ってしまいます。
そう言った歴史のある山への登山は、常の登山とは別な感慨がありますね。

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岩殿山 (takezii)
2018-01-11 21:49:33
たか様ご夫婦、もう24年前に 訪れておられたんですね。私共は 昨年6月に なんと 初めて訪れた山、ブログにも書き込み、さすがに まだ記憶新鮮?です。
山歩きとしても 魅力的な山ですが 歴史探訪の意味でも 興味深い山ですね。
同じ山歩きでも お若いご夫婦の写真と 後期高齢者の写真では まるで 雰囲気が違いますが。
返信する
この岩凄い (Blue Wing Olive)
2018-01-11 22:08:59
なにやら悲しい言い伝えがあるようですが、凄い岩壁ですね。
私も、足がすくみますね、きっと。
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怖い〜 (okei)
2018-01-12 09:34:51
またまた足がすくみそうな場所ですね。
思い出に残る山シリーズ、毎回楽しみです。
たかさんご夫婦がこの山を楽しんでおられた頃自分は何をしていたかよく振り返っています。
まだ子供が小学生で夫の実家で同居を始め親家の隣に家を建てバタバタしていた頃です。
「何も趣味とか楽しんで居なかったなぁ〜」って・・・
私たちが山でも登ってみようかと思いだしたのが50代後半になってからです。
既に体力も衰えこんな険しい所には行けませんがハイキング程度でも楽しいです。
今回たかさんが見えたと言う三つ峠はひ〜こらしながらやっと登りましたよ。
大変なコースを選んでしまった失敗の山です。
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岩殿山 (Fs)
2018-01-12 10:29:17
かなりハードですね。
大月駅からの雄姿をいつも眺めては、今度こそは登りたいと思いつつ、何年もたってしまいました。

ひざを痛めた私でも大丈夫かな?とちょっと不安になりました。

悲しい話が伝わっているんですね。

仰るとおり、どんな時でも人間は自然を見て心をいやすものだと思います。
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イケリンさん、こんにちわ (たか)
2018-01-12 11:52:05
一度スリルを乗り越えた快感を味わうと又、次なるスリルを求めたくなるのが人間なのでしょうか。昔は私もそうして無茶な事をやっておりました。
此処は岩が谷側に傾斜しておりますので一寸した油断が大事故に繋がる所でしたので腰を落ち着ける場所を探すまでは常に緊張していた気がします。
でも上には上が居るもので先端でお弁当を広げているアベックさんもおりました。
私も先端に立ちはしましたが、とてもとてもお弁当を広げる様な場所では有りませんでした。

敵軍に追われ、ここから我が子を谷に落す親の気持ちはどんなだったでしょう。 追い詰められれば自害し最愛の者まで手に欠ける・・・
それが戦国の世だったのですね。そう言う意味では現在は平和なのでしょうね。
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越後美人さん、こんにちわ (たか)
2018-01-12 12:04:55
手の握力を失くしてからは私も鎖場は自信を無くしておりますが
(略)の中に「鎖と言うのは一寸した遊びに緊張感が混じるのでコースの引き締め役となってくれるから楽しいし嬉しい」と記して有りました。
事故は一寸した油断から起きてしまうものですが私にそんな事は絶対起きない起きるはずが無いと当時は自信さえ持っていたんでね(今は・・・とても慎重です)

「稚児落し」・・・400年も前の事ですが、これは戦国の世の悲劇ですよね。
ヤッホーと谷に向って叫んだ時、ウワ~ン・ウワ~ン・ウワ~ンと返ってくるコダマが悲しい響きとなって耳に届きました。
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takeziiさん、こんにちわ (たか)
2018-01-12 12:17:35
そうでしたね、昨年takeさんが岩殿山をアップされた時には非常に懐かしい気持ちで拝見した事を覚えております。
私も早く岩殿山を挙げたくてウズウズしておりました(笑)

takeさん、私だって今、岩殿山の稚児落しを訪れたら、とてもとても谷を見下ろす事など出来ないと思います。
あの岩壁には岩苔がビッシリ付いていたんですよ。

あの周辺の山も殆ど登りつくしましたが、どの山からも富士山が眺められるのが魅力ですね。
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Blue Wing Oliveさん、こんにちわ (たか)
2018-01-12 12:26:34
>この岩 凄い!
    気持ちがダイレクトに伝わってきました。確かに凄かったです。
    岩が谷側に傾斜していますので一寸よろけたらお終いです。
戦国時代に想いを馳せながら歩いている時はロマンに酔いながら歩いておりましたが稚児落しの上に立った時には何とも切ない気持ちにかられましたね。
そうそう、岩殿山と言う山は長野県にも有るのですよ、やはり岩山でした。
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