たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

思い出に残る山(39)信州独鈷山&秩父武甲山

2019年08月15日 | 心に残る思い出の山

H8年11月

入山(10時10分)  下山(14時40分 )

(信州の妙義山と称される独鈷山)

私は寝ていたので解らなかったが別所温泉辺りは道路工事であっちへ回されこっちへ回され

雄さんは大分苦労させられたらしい

中禅寺は今が紅葉の盛りで取り囲む紅葉の山々が国宝のお堂を包み込んでいた

国宝級のお寺が競い合う中、ひっそりと忘れられた様に建つお堂の前の広場に車を置いた

入山して間もなくつるつる滑る丸太橋を渡り草が煩い山道を穏やかに登りあげて行くと

前方から滝の落下音が聞こえて来た

草月の道を尚も奥へ緩登していくと、いつしか人工林から抜け出し雑木が目立つようになってきた

同時に登山道も急登に変わった

(疲れ切って・・・)

 紅葉を纏った前山の稜線が落ちる先に塩田平の広がりが見えた位で分厚い落ち葉の堆積する中

取り立てて褒め称える景色も無くウンザリする急登に只、耐え黙々と歩むばかりだった

(略)

かなり高度を稼いでから尾根の末端に取りつき漸く小休止とした

しかし陽の射さない岩の上はヒンヤリとし瞬く間に汗が引き体が震えだす始末だった

(略)

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ここから道は一変し一寸した岩登りになり道幅も極端に狭くなってきた

一息ついて見上げる頭上の交差する枝からは柔らかな秋の日差しが降り注いでいる

岩角や木の枝に助けられながら登って行くと小さなコブの上に着き突然視界が開けた

既に箱庭となった塩田平は足元に沈んだ

正面には目指す独鈷山が盛り上がりを見せ数人の登山者も見える

捨てがたい展望についつい長いしたくなる様な場所だったが山頂まではもう少し

先を急ぐことにした

林の中を抜けて最後の急坂に一喘ぎすると道は左斜面を巻き

遮る物の何一つない大展望が待つ山頂に到着した

山名標識盤は無く祠と三角点標識、記帳ノートだけが在るだけの小広い頂だ

槍ケ岳だけは解ったが、その外はそうじゃないかな?と言った同定しか出来ない

思い切ってお休み中の登山者に声掛けすると一つ一つ丁寧に教えて下さったので

私はメモ用紙に簡単に山の形を画き名前を記入した

南には大らかな美ヶ原が、その左には蓼科山が堂々とその存在を主張している

北には浅間山、湯の丸、水の塔、篭の登、四阿山と続き西には未だ足を踏み入れていない頚城山塊  

そして尚も左に目を向けると山頂を白く光らせる白馬岳、杓子、鹿島槍、爺ヶ岳、槍、穂高といった

北アルプス郡が屏風を巡らせている  

ここは四方を大物に囲まれた低いながらも絶好の展望峰なのだった

大気がもう少し澄んでいたならそれらの山々をカメラに納める事が出来たのに、それが悔やまれる

 

 

私達は約1時間を山頂で過ごし再び急坂を慎重に下った

登りで最初の休憩を取った地点を過ぎると落ち葉滑りの急降下に入る

枯れ葉が堆積しているのでウッカリ出来ない

木や岩に付けられた赤いペンキマークを頼りに体を斜にして落ち葉ごと数メートルずり落ちながら

木の枝にぶら下がったり時には遮二無二幹に抱き着いて滑落を防いだ

時間は2時をまわった 時折り一陣の風が吹き枯れ葉が吹雪の様に舞う

大分下って小川に沿う様になった所で一休みしていると老夫婦が登って来た

この時間に何処まで行くのだろうか

秋の陽はつるべ落とし、堆積した落ち葉道は危険である

 下山後、立ち寄った独鈷のふれあいセンター「竜の湯」は

田んぼの中に建てられた中々立派な温泉施設だ

浴場も明るく清潔で久し振りにいい湯だったと言える温泉だった

5時近くにセンターを出ると辺りは既に暮色となり独鈷山が急峻な山体を

田園の奥に横たえていた

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11月  武甲山~大持山  歩行時間4時間52分

 秩父市街地からセメント工場に向かって車を走らせていくと嫌でもこれから登る武甲山が

痛ましい姿で飛び込んで来る

秩父市は大正時代、数億円と引き換えに市の誇りであった武甲山をセメント会社に売り渡した

かれこれ80年、身を削られ何処ぞのビルになりながら当初1336mあった標高を今では40m余り低くし

三角点や御岳神社さえも移動を余儀なくされてしまった

私が40年近く前、姉や兄、姉の友人たちと登った時は記憶は定かではないが

少なからずこんな無惨な姿をさらしてはいなかった

何ともやり切れない思いを抱いて生川の登山口に着いた

嘗ての修験道 杉の大木が並ぶ

幹回り、どのくらい有るのでしょう、大人が3人は必要かも

 

 

 社殿から右に回り込み展望台へ行くと北川はフェンスが張られ見下ろす先は

ショベルカーやトラックが放つ騒音が谷に響き渡り作業員の姿も手に取る様にみえる

何とも寂漠とした光景だった

そこはかとない寂しさに周囲の山を同定する気にもなれない

長居は無用  神社の脇の鐘を一突きして子持、大持の縦走路に入った

  

(左)→子持山山頂   (右)→大持山山頂

武甲山も細かに登山記を残してはいるのですが

開発の犠牲になった山として紹介したく簡単に載せてみました

今日もコメント欄を閉じております

 

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