二十代の後半、鬱々として家で書いていた小文集
といっても私は文学少女になるまいと思っていたので
文学作品は読んでおらず、ファンレターが進化して
筆まめになり、それが誰宛でもない文になっただけ
今は読み返す勇気もない
ただ手紙と違って
文をまとめる作業を絵の構図のようにデザインするので
そうした文を書くきっかけになった
大学で不要になった謄写版をもらって
ガリ版を刻んで三十部ほど刷っては知人に配っていた
謄写版の具合が悪いので、
半分は捨てていた
文集ではあったけれど
一つは草花の遊びをまとめて書いた
すると読んだ友だちが
「ほら、こんなものが出るわよ。
あなたの真似じゃない」
と広告を持って来た
雑誌『銀花』に草花遊びの特集が組まれていた
次いでそれは単行本にもなった
私はその本に載っていない遊びも書いていたので
著者に手紙を書くと
もっと系統や歴史の背景を記すべきだとか何とか返事が来たような
私がままごとの本を出すことになったとしても
そういう歴史だの日本人には必要だのとはあまり言いたくない
といっても私は文学少女になるまいと思っていたので
文学作品は読んでおらず、ファンレターが進化して
筆まめになり、それが誰宛でもない文になっただけ
今は読み返す勇気もない
ただ手紙と違って
文をまとめる作業を絵の構図のようにデザインするので
そうした文を書くきっかけになった
大学で不要になった謄写版をもらって
ガリ版を刻んで三十部ほど刷っては知人に配っていた
謄写版の具合が悪いので、
半分は捨てていた
文集ではあったけれど
一つは草花の遊びをまとめて書いた
すると読んだ友だちが
「ほら、こんなものが出るわよ。
あなたの真似じゃない」
と広告を持って来た
雑誌『銀花』に草花遊びの特集が組まれていた
次いでそれは単行本にもなった
私はその本に載っていない遊びも書いていたので
著者に手紙を書くと
もっと系統や歴史の背景を記すべきだとか何とか返事が来たような
私がままごとの本を出すことになったとしても
そういう歴史だの日本人には必要だのとはあまり言いたくない
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