母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

8月22日

2006年08月22日 21時36分41秒 | Weblog
朝 6:30 一階に下りる。
なんとなく 父が起きている気配(タバコの匂いがする)

朝食をいつも通りに済ませ、仕事に向かう。
相変わらず 母の食は細い

昼食は 昨夜父が作ってくれた カレーライスを食べた。

段々母が弱っている、障害者年金は1年半の経過観察が必要らしく、受給は困難だ。
確か、会社勤めしている時に、年金基金に加入していたのを思い出した。
母に『この一年 60歳定年の人が多いから、倒産しないうちに 一時金でも良いから貰っちゃおうよ』
と切り出した。
母は、躊躇する。

母は どぅしても 天丼が食べたいらしい。
なので、出前をとって 夕飯とした。
お米は殆ど食べない・天ぷらのみ食べた。
食べ終わった後、母は
『これだけしか食べられない』と呟いた。
食べられたんだから 良いじゃん   としか言ってあげられない自分が悲しかった

入浴後 母は 布団に横になる。

明日は どんな体調なんだろぅ。
今日は 食べられてたから 調子が良いと良いな。

気になるのは、ここ数日 ガムを噛んでいる姿が多い。
母は言わないけど、もしかしたら、口の味が強く出ているのかも知れない。

パパが土曜の夜に帰ってくる。
パパ方の祖父(パパは孫)が近くの慈恵に入院しているのだ。
歳は91歳・肺ガンの末期と聞いている。
直系じゃないから 私だけで病院に行くにも勇気が要る。
生命維持はするものの、これと言って治療はしない と聞いた。
義姉は 看護婦さんだけあって、有る程度の目安は分かっているらしく、
【もって彼岸頃】
と言う。
でも、年齢も年齢なので、いつどぅなってもおかしくない状態である。
日曜に 病院に行く予定だ。

母も同様、受け入れがたい事が続いている。
祖父と同じく、母にも延命治療はしないと 医師には告げた。
心停止した場合、電気ショックやら何やら・・・つけて維持するような事はしたくない。
維持装置で 心臓を動かしたら、取り外す 勇気は私には無い。
病気で辛い上に、動けない何も出来ないのに、見て貰う と言う事は
母自身も望んでないと思うからだ。